現代書館

 ご存じのとおり、人為的あるいは自然的な国境(ナショナル・ボーダー)によって現在の世界は覆われている。世界の至るところにボーダーは伸び、どこの国のものでもない筈の南極にも各国の基地があり、そこには当然のようにさまざまな国旗がはためいている。国家の触手が伸びていない土地・空間はなく、地の果てまでボーダーは伸び続ける。どこにいっても国旗ははためき、どこかの国家が流れている訳である。世界はまるでナショナル・アイデンティティのコンテスト会場のような賑わいだ。

 しかし実は世界はなかなか手の込んだ造りをしており、国家以外にもしっかり存在感を示し、地域を束ねている共同体が今も世界のあちこちで頑張っている。これは地域社会とか自治州とか自治政府とかいろいろな名前を持つが、地域文化や地域共同体のことと言ってもいいだろう。宗教や民族単位でまとまっている所もあれば、もっと身近な例で言えば「企業城下町」的な町もある。しかし宗教・民族・経済以外にも地域をまとめる要素がある。それが言語である。

 そんな例としてスペインは面白い国だ。スペインの憲法には公用語の規定があり、スペイン語が全国民にとっての公用語なのだが、この他にも地域公用語としてカタルーニャ語、バスク語、ガリシア語などがある。スペイン国内のいろいろな言語に興味を持っている日本人は当然多数派ではないのだが、彼の国では言語の独自性を保持・育成することは重大問題で、各地域の学校でも授業で教えているそうだ。なるほど、帰属意識やアイデンティティは重層的であり、けして一様なものではないらしい。フランコ時代にはバスク語など地域語は公の場では禁止されており、場合によっては地域語を話すことで死刑にすらなったということだ。そんなに深刻な言語をめぐる争いがあったのだ。

 日本にも方言は勿論存在するが、言葉の問題はここまで深刻ではないのではないか? いや、それって本当か? 日本政府が地方の言葉を禁止したり、弾圧したりすることはないだろう――と思ったら、いや日本でも言葉の問題は深刻だ。かつてアイヌ語や琉球語がどのような扱いを受けたか、そして東京以外の地域語がどんな偏見を受けてきたのかを考えれば、日本でも事情はそう単純ではない。最近は日本などでも教育議論は盛んで、故郷を愛し、故郷を誇りに思える教育の大切さを訴えている人も多い。実に結構な話だ。でもこの場合「故郷」ってどこのことだろう? もし自分の父母の言葉・生まれ育った地域で幼馴染と語り合った言葉が社会的に「劣った」言語と看做されてしまったとき、人は何語で故郷を愛すればいいのだろう? 言葉をめぐる話は、どうしても社会をめぐる話にもなってしまう。それは何故なのだろう? そんなことを考えながらこの本を読んでいただければ幸いです。

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