現代書館

WEBマガジン 12/07/03


第四十一回 ニュースと100年前の本

斎藤美奈子

森 達也さま

映像編集における最もベーシックな論理はモンタージュです。これを要約すれば、いくつかの異なるカットの集積によって新たな意味を発生させること。

 ああ、そうですね。「戦艦ポチョムキン」の手法ですね(という理解でいいのかな)。「ポチョムキン」はプロパガンダ映画だから、目的と手法が合致していたわけだけど……。
 いつかも書きましたが、メディアリテラシーの中でも、私たち一般の視聴者は、映像方面のリテラシーは疎いところがあります。映像表現の手法について、もっと勉強しないとだめだよねと考えることしきり(森くん、そういう本、書いてくれません?)。

長く映像をやってきたから、僕にはそんな習性が染みついているのかもしれない。まとめたくない。説明したくない。直接的な話法は使いたくない。自作について語りたくない(誰かには語ってほしいけれど)。間接的に表現したい。つまり暗喩です。メタファー。

 それは、あなたが表現者マインドの持ち主だからでしょう。私もどちらかと問われれば、表現者マインドのほうが強いので、プロパガンダにはしたくない。
 しかし、客観的に考えると、あなたも(私もだけど)相当直接的なメッセージを放っていると思いますよ。世間はたぶん、森達也も斎藤美奈子も説教臭いウザイやつだと思ってんじゃないですかね(笑)。小説家とかは、もっとみんな巧みにメッセージを隠すもん。
 ただ、これは目的と手段の関係の問題で、活動家マインドの人がメッセージを伝えるためには、玉虫色の解釈が可能な表現方法だとダメだとも思う。
 暗喩(メタファー)という表現法がよいのかどうかも(映像表現でいう「暗喩」がどのようなものを指すのかはちょっとわからないのですが)、こと文学作品については疑問です。文学は暗喩から腐っていくからさ。この話は長くなるのでやめますが。
 
もしもタイトルが「戦時下の日本人の食糧事情から考察した戦争の愚かさを問う」だったら、手に取る人はあまりにも限定されてしまう。ただしというかだからこそというかこの手法は、テレビにシンボライズされるマスメディアには馴染みません。
・・・本当にテレビは自ら自分の首を絞め続けていると、つくづく思います。

 うん、そうですね。でもそれはテレビに限らず、紙メディアでも概してそうなんじゃないでしょうか。「戦下のレシピ」も岩波書店ではなく、別の会社だったら「戦時下の日本人の食糧事情から考察した戦争の愚かさを問う」にしろといわれたかもしれない。
 ただ、あの本は、べつにレシピを通じて伝えたいメッセージがあったというほどではないので、「戦争の愚かさを問う」という発想自体が、そもそも出てこないかな。

報道に常にバイアスがあることは確かだけど、そのバイアスが企業や権力サイドからだけ働いていると見なす史観は、やっぱりちょっと違うと思う。普通に競争原理や多数決のメカニズムが働いている過程で、気がついたらとんでもない事態になっていたということは、意外に多いと思っています。ちょうどナチスが、合法的にデモクラシーを体現しながら、気がついたら第一党になってしまった過程のように。

 それはもちろんそうですよ。「バイアスが企業や権力サイドからだけ働いていると見なす」のは旧左翼が陥りがちな落とし穴ですが、私だってさすがにそこまで単純ではないです。
 「政府は必ず嘘をつく」というタイトルは、「戦時下の日本人の食糧事情から考察した戦争の愚かさを問う」と同じで、出版社の意向が反映されているのだと思います。ただ、「多数派は必ずまちがう」と同じで、標語としては成立すると思いますけど。

 さて、と、ここまで書いたところで、「菊地直子容疑者逮捕」のニュースが飛び込んできました。報道のされ方を見ていると、ほんとに連赤事件と重なるところがありますね。
 菊地さんは、教団の中ではさほど重要な任務をになっていたわけではないようですが、にもかかわらず「走る爆弾娘」というニックネームが与えられていたりして。
 話をもとに戻すと、連関事件については、あさま山荘事件より、山岳ベース事件(いわゆる「リンチ事件」)のほうが、衝撃はより大きかったです。いわゆる全共闘世代がショックを受けたのも、圧倒的にそっちでしょう。
  
そんな光景を眺めながら、地下鉄サリン事件から40年が過ぎた2035年に、このようなシンポジウムが行われるだろうかと考えました。おそらく、というか間違いなく無理ですね。だってオウムの場合は、主要な事件の当事者のほとんどに対して、死刑判決が下されているのだから。精神が崩壊したまま被告席に座らせられ続けた麻原も含めて、質問に答えられる人がいない。

 その一点だけとっても、死刑はほんとに不毛な制度だよね。
 「おそらく、というか間違いなく無理」とあなたが言い切るのだから、そうなのでしょう。しかし、連赤事件を全共闘世代が「自分たちの問題」と受け止めたように、地下鉄サリン事件のときも、「自分たちの世代の問題」と受け止めた人たちはいたわけじゃない? 
 菊地逮捕関連のツイッターを見ていると、「A」「A2」「A3」を読め(見ろ)という声がずいぶんたくさん上がっていました。事件から17年たって、事件自体を知らない人たちも増えている。ああいう映画や本を出しといて、よかったよね。

 だんだん、とりとめがなくなってきました。
 森君のメールを読んでいると、さっきは「表現者マインドの持ち主」といったけど、森達也って人はやはりジャーナリストだなあ、と感じます。地下鉄サリン事件にしろ、連赤事件にしろ、あるいは3.11にしろ、「ニュースの現場」がものすごく気になるわけでしょ?
 もちろん私も人並みに気にならないわけではない。でも、それを自分のテーマにして追求しよう、作品化しようというほどの衝動も情熱もないもんな。床屋談義もこの頃つまんないし、月刊誌に時事コラムを書くのも苦痛で、毎月、あっぷあっぷです。 
 〈オウムや連合赤軍だけではなく、ナチスやポルポトや大日本帝国にも通じる構造〉として、最近、おもしろかったのは、マルクスの『ルイ・ポナパルトのブリュメール18日』(平凡社ライブラリー)です。ルイ・ボナパルト(ナポレオン三世)がどうやって帝政を復活させるにいたったかという経緯を追った本です。とても読んでいる暇などないと思いますが、ファシズムは民主主義から生まれるということが非常によくわかります。

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