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WEBマガジン 18/01/15


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第七十五回

件名:明治150年って何ですか?
投稿者:斎藤美奈子

森 達也 さま

 今頃になってマヌケですが、あけましておめでとうございました。
 今年もよろしくお願いします。

 年明けに何を書けばいいのかと迷っていましたが、なんか今年って明治150年なんだそうですね。それにちなんだイベントも各地で行われているようです。大河ドラマも西郷隆盛だし、官邸のポータルサイトなんか、はしゃいじゃってもう大変です。
 見てよ、この「いい気」な文言を。


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 明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した日本は、明治期において多岐にわたる近代化への取組を行い、国の基本的な形を築き上げていきました。
 内閣制度の導入、大日本帝国憲法の制定、立憲政治・議会政治の導入、鉄道の開業や郵便制度の施行など技術革新と産業化の推進、義務教育の導入や女子師範学校の設立といった教育の充実を始めとして、多くの取組が進められました。
 また、若者や女性等が海外に留学して知識を吸収し、外国人から学んだ知識を活かしつつ、単なる西洋の真似ではない、日本の良さや伝統を活かした技術や文化も生み出されました。
 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/portal/index.html
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 明治は近代国家がスタートした時代ではあったけど、帝国主義への道を歩み出した時代でもあったわけで、負の側面には一切ふれず「明治の歩みをつなぐ、つたえる」とかいわれると、「つなぐ、つたえる」ってどういう意味よ、と思わず警戒モードになります。
 首相が長州藩だということも、なにか関係しているのですかね。ちなみに明治100年のときも、首相は長州藩の佐藤栄作で、因果がめぐるの感じがします。

 たまたまですが、12月、1月と、私は司馬遼太郎を続けて読むハメになり、ついでに歴史学者による司馬批判の書もまとめ読みし、放送中にはちゃんと見ていなかったドラマの「坂の上の雲」もNHKオンデマンドで全部見て、よくも悪くも稀有な存在だったこの歴史小説家の功罪について、今さらながら考えることになりました。
 俗に司馬史観といわれる史観の特徴は、単純化すると、第一に「明るい明治/暗い昭和」「明治大好き、昭和は嫌い」。第二に、明治の「上り坂の時代」から、敗戦に向かって突っ走る「下り坂の時代」への転換点が日露戦争だった、というものです。

 『坂の上の雲』や『この国のかたち』が広めたこの思想を共有している人は、思想のいかんを問わず、かなりいますよね。
 実際、司馬史観経由の「40年サイクル説」は非常に説得力がある。開国直後の1865年から日露戦争の勝利(1905年)までは上り坂の40年、そこから1945年の敗戦までは下り坂の40年。そこからさらに40年後は1985年で、この後、日本には空前のバブル景気が訪れるものの、すぐにバブルは崩壊し、景気は低迷するわ、経済格差は拡大するわ、思想は戦前に回帰するわで、今日までの日本はどう考えても下り坂です。
 40年サイクル説でいうと、次のどん底は2025年。その頃には何が起きているのか。東京オリンピック後のダメージはやはり大きいのか、と考えたりします。

 それはそうなんだけど、司馬史観にはやっぱり危いところがある。
 ひとつは、日清戦争に関する評価で、日露戦争から日本は道を誤ったというけれど、じゃあ日清戦争には問題がなかったのか。日朝関係史が専門の中塚明『司馬遼太郎の歴史観』(高文研)によると、『坂の上の雲』の朝鮮観には三つにまとめられる、というんです。
 (1)朝鮮の地理的位置論(北からは大国・清国やロシアの、南からは日本の圧力をうける朝鮮半島の位置が罪作りの原因だ)。(2)朝鮮無能力論(李王朝は500年の間に老化し、韓国自身の意思と力による近代化は不可能だった)。(3)帝国主義時代の宿命論(19世紀は帝国主義の時代で、日本も他国の植民地になるか帝国主国の仲間入りをするかの二つに一つしか道はなかった)。
 〈これは、日露戦争に前後して、日本が朝鮮を植民地として支配しようとしたとき、さかんにふりまかれた朝鮮停滞論、朝鮮落伍論と少しも変わらない主張です〉と中塚さんは批判している。〈朝鮮は無力である、日本が支配しなければロシアがとってしまう、そうなると日本の安全は保てない――そういって明治の日本は朝鮮への圧迫を正当化してました〉。「明治の栄光」は、隣国、朝鮮の犠牲の上になりたっていたわけで、〈その民族主権をうばって、それを「栄光」というなら、そんな「栄光」が長持ちするはずがないではありませんか〉。
 ほんとにそうだと思う。現在でも日本はせっせと周辺国(北朝鮮)への攻撃(制裁)を正当化しているわけで、日本人の対アジア観はまるで進歩していません。
 司馬史観のもうひとつの問題点は、日露戦争から後を「下り坂」と規定したために、近代史上もっともリベラルだった大正史を欠落させていること。大正デモクラシーを司馬遼太郎は過小評価している。それは民衆史への視点が薄いからだと、たとえば中村政則『「坂の上の雲」と司馬史観』(岩波書店)は批判している。

 その関連でいうと、今年は米騒動100年なんですよね。
 米騒動の学校での教え方は、軽すぎると私は思う。米「騒動」というと、食うに困った漁村の嫁たちが米蔵を襲撃したみたいなイメージだけれど、日本の近代史上、最大規模の民衆蜂起だったわけですよね。米価の異常な高騰にシベリア出兵による米の買い占めが重なって、同時多発的に民衆が立ち上がった。暴動は50日間、1都3府38県(350箇所以上)に広がり、参加のべ人数はあわせて数百万人というのだから、すごいです。おかげで寺内正毅内閣は退陣を余儀なくされ、これをきっかけに権利意識に目覚めた労働者や農民や女性が増え、大正デモクラシーへの道を開いた。……と考えると、称揚するなら明治150年より米騒動100年やろ、という気分になります。

 余談ですけど、富山県の魚津市には、海辺の公園に「米騒動発祥の地」のモニュメントと小さな説明板はあるんだけど、ちゃんとした博物館はない。

 一方、松山市の「坂の上の雲ミュージアム」はハコモノ行政の最たるもので、展示のスカスカさ加減は私が訪れたいろんな博物館の中でも、最低レベルだった。10年前の話なんで今はわかりませんけどね。これからは「坊っちゃん」ではなく「坂の上の雲」で行くんだ、みたいな感じがやだったな。
いずれにしても明治150年が悪用されないことを祈りたいです。

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