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WEBマガジン 21/04/26


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第114回

件名:人は人を殺せるようにはできていない
投稿者:森 達也

美奈子さま

今回は文体を変えます。いつもの「です・ます」は内容に馴染まないので。

ミャンマーのテレビニュースを観ながら、なぜ国軍兵士たちはこれほど無慈悲に市民たちに発砲できるのだろうと考える。僕だけではなく多くの人が、きっと同じように思っているはずだ。命令に反発する兵士はいないのか。軍の内部でミン・アウン・フライン国軍総司令官を頂点とする国軍上層部に対するクーデターを企てる人は現れないのか。
人権監視団体「ビルマ政治囚支援協会(Assistance Association for Political Prisoners)」によれば、インド北東部ミゾラム(Mizoram)州などに、数十人の警官や兵士たちが、組織から離反して越境しながら身を潜めているという。
ニューヨークタイムズや毎日新聞が、彼ら数人へのインタビューに成功している。

20代の国軍兵士の男性は、上官から「必要があれば、ちゅうちょなくデモ隊に自動小銃を撃てと命じられた」と証言。デモに「抑制した」対応を取っていると主張する国軍だが、市民の犠牲をいとわず、武力で弾圧しようとしている実態が明らかになった。(中略)国軍兵士の男性はこう強調する。「軍人の中でも、軍が誤った方向に向かっていると気づき始めている人はいる。一刻も早く軍の暴走を止めなければいけない」
毎日新聞

「私は軍を非常に愛しています」と彼は言う。「でも、私が仲間の兵士に伝えたいのは、国か軍のどちらかを選ぶならば、国を選べということです」
50万人の兵を有するといわれるミャンマー国軍は、「殺人ロボットの集団」とよく表現される。その残虐さは、2月にミャンマーの文民指導者が追放されて全国的な抗議行動が発生して以来、さらに増している。(中略)「私が国軍に入ったのは国を守るためで、国民と戦うためではありません。兵士が自国民を殺しているのを見るのは、とても悲しいことです」
ニューヨークタイムズ

彼らは市民を標的にして銃撃することに耐えかねて軍から離脱した。その心情はよくわかる。というか想像の射程内。でもわからないのは、ちゅうちょなくデモ隊に自動小銃を撃てと命じられて実際にちゅうちょなく発砲する多くの兵士たちの心情だ。銃撃だけではない。動かなくなった市民を大勢の兵士たちが取り囲んで殴る蹴る。市民たちがスマホなどで必死に撮ったそんな映像も、テレビニュースやネットで見ることができる。だからわからなくなる。なぜこんなことができるのか。なぜこれほどに残虐な命令に従うことができるのか。
この設問に対してニューヨークタイムズは、一つのヒントを示している。

1948年の独立以来、ミャンマー国軍は、共産ゲリラ、民族反乱軍、軍の弾圧でジャングルに追いやられた民主化運動家などと戦い、常に戦時体制にあった。そして、国軍のカルト的な世界においては、多数派の仏教徒ビルマ族が上位の存在とされ、多くの少数民族は何十年にもわたって軍の弾圧を受け、犠牲となってきた。
さらに、敵はビルマ族の中にも存在する。国軍の怒りの矛先は、先月のクーデターで拘束、収監された文民指導者のアウン・サン・スー・チーである。彼女の父親であるアウン・サン将軍はミャンマー国軍を創設した人物だ。
現在の国軍の敵も国内にいる。街頭での反クーデターの集会やストライキに押し寄せた何百万人もの市民こそが敵だ。

ずっと準戦時下の状況にあり、さらに民族闘争など国内の紛争が続いたからこそ、自国民に銃口を向けることへの抵抗が小さい。それは確かに事実だろう。でもそもそも統計的に多くの国の軍隊は、他国の兵士よりも自国民を殺す数のほうが圧倒的に多い。アジアだけに限定しても、例えば中国の六四天安門事件、カンボジアのクメール・ルージュによる大虐殺がある。インドネシア虐殺のきっかけはスハルト陸軍司令官によるクーデター計画だし、光州事件や済州島四・三事件で自国民を軍が虐殺したのは韓国だ。
ならば軍とは何のためにあるのか。自国民を外敵から守ることは彼らにとって二次的で副次的な使命であり、むしろ国内の治安維持、統制管理などが主目的であり最優先される使命なのだろう。
それを維持しなければいけないから、どこの国でも軍の規律は厳しい。命がかかっているのだから当たり前との見方もできるけれど、結果的にはこの厳しさが、軍という独特な存在を存続させ続けている。
でも、人は人を殺せるようにはできていない。デーブ・グロスマンによれば、第二次世界大戦時に前線で実際に敵兵に向けて引き金を引いた米兵の割合は20%以下。これを知った米軍は、戦後に訓練方法を大きく変える。つまり条件付け。例えば射撃訓練の標的をそれまでの同心円から人の顔写真にする。こうして人を殺すことの抵抗を下げる。その結果として、朝鮮戦争やベトナム戦争で兵士たちの発砲率は上昇した。この条件付けは、大日本帝国陸軍が新兵に対して強要した実的刺突(立ち木などに縛り付けた捕虜に突進して銃剣で突き刺して殺す訓練)と同じだね(実際に米軍は、日本の訓練を参考したとの説もある)。
こうして米軍は世界最強になったけれど、新たな問題が生じた。兵士たちが壊れ始めたのだ。つまりPTSD。恐怖だけではなく人を殺したとの負い目が自分を蝕む。何かを壊さなくては人は人を殺せない。ベトナム戦争時のハリウッド映画は、『タクシー・ドライバー』『ディア・ハンター』『帰郷』『ローリング・サンダー』など、除隊後に社会生活に適応できなくなった元兵士たちが主人公だ。一作目の『ランボー』はまさしくこの系譜にある。たった一人で州兵たちと戦うランボーは、最後に「まだ終わっていない」「戦争は続いている!」と叫んで泣きじゃくる(二作目以降はつまらないアクション映画になってしまったけれど)。
海兵隊の厳しい訓練としごきで完全に壊れてしまって上官を殺害したのは、キューブリックが監督した『フルメタル・ジャケット』のレナード・ローレンス二等兵だ。ベトナム戦争だけではなくイラク戦争でも兵士たちのPTSDは大きな問題になり、イーストウッドは実話をベースに『アメリカン・スナイパー』を発表した。
つまり人は人を、ちゅうちょなく殺せるようにはできていない。殺せるようにするためには、個人の何かを壊さなくてはならない。そしてそれは、個人ではなく組織の一員としてはより完成された存在になる、ということになるのだろう。
これはホロコーストも同じ。当時のナチの兵士たちが、みな残虐で冷酷だったはずはない。一人ひとりは善良で穏やかだったはずだ。でも組織の一員として大きな悪をなす。これが凡庸な悪。組織内では気づかない。だって規律でありモラルであり正義なのだ。こうして人は人を大量に殺す。自分をも壊しながら。
それは今のミャンマー国軍も同じ。気づかせたい。思い出させたい。心からそう思う。でもそれは、閉鎖された組織内にいるかぎり、とても難しいことでもあるのだろう。

森 達也

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