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『凜として灯る』63頁の記述について

『凜として灯る』63頁の記述について


2022年7月22日 荒井 裕樹



はじめに

本年6月23日に刊行した『凜として灯る』について、記述内容の一部に「誤り」があるとのご指摘を頂きました。このご指摘について、文責を負う著者として、下記の通りご説明申し上げます。


1:頂いたご指摘について

 ご意見を頂戴したのは、本書63頁の下記の記述についてです。

【一九七〇年四月二六日、「思想集団エス・イー・エックス」は対外的な旗揚げを行った。舞台となったのは、美共闘が主催した「大阪万博反対集会」だった。】

 この箇所について、当時「美共闘」としてこの集会に関わった堀浩哉氏から米津知子氏宛に、当集会は「大阪万博反対集会」ではなく「多摩美大・45年度自主入学式」(以下「自主入学式」)だったというご指摘(ご連絡)をいただきました(2022年7月6日)。
 堀氏からは、当集会の開催を呼びかけたビラ「多摩美大・45年度自主入学式 革命のヴェクトル――受胎告知前夜」(4月24〜26日)の写しもご提供頂き、ご指摘の内容が事実であることが確認できました。
 なお、堀氏からは、ご指摘の主旨が「訂正を求める」ものではなく、「事実を伝えたい」ものであるとうかがっております。しかし、頂いたご指摘は歴史的な証言として大変貴重であり、著者として何らかのご返答を申し上げるべきと判断いたしました。


2:記述の根拠について

 本書63頁の上記記述は、『資料 日本ウーマン・リブ史T』(溝口明代・佐伯洋子・三木草子編、松香堂書店、1992年、以下『リブ史』)に掲載された「思想集団エス・イー・エックス」(以下「エス・イー・エックス」)の説明文に拠ります。その説明文には下記のようにあります。

  【1970年4月26日、美共斗主催の「大阪万博反対集会」のステージをゲリラ的に乗っ取る形で、女4人はグループ結成宣言をした】(169頁)

 この記述を基に、米津知子氏への聞き取り調査、および『リブ新宿センター資料集成 ビラ編』(リブ新宿センター資料保存会編、インパクト出版会、2008年)収録のビラを参照して、私は63頁のように記述いたしました。

 『リブ史』掲載の「エス・イー・エックス」についての説明は、『リブ史』を作成するにあたり、グループの元メンバーが編著者に書き送った文章が基になっています(『リブ史』の刊行は1992年ですが、その基になった文章は1985年に作成されました)。
つまり、米津氏を含む「エス・イー・エックス」のメンバーは、1985年の時点で、当集会を「自主入学式」ではなく「大阪万博反対集会」と認識していたことになります。

「エス・イー・エックス」のメンバーが、1970年当時から、当集会を「大阪万博反対集会」と認識(誤認)し、85年までそれを引きずっていたのか。それとも、1985年までのどこかでそのような認識になったのか(記憶違いをしたのか)。判断が難しいところですが、米津氏は、「70年当時も大阪万博への批判が印象として強く、85年には『大阪万博反対集会』だったとの認識になっていたことが考えられる」と、堀氏からのご指摘を受けて振り返っています。


3:今回の対応について

 本書『凜として灯る』は、1960〜70年代に興隆した女性運動・障害者運動・学生運動という渦の中を、一人の女性として、障害者として、必死に生き抜いた米津知子氏(本書では「知子」)の足跡を、本人の目線から綴った一冊です。
著者としては、「知子」が当集会を「大阪万博反対集会」と認識していたのであれば、たとえそれが「美共闘」の方々からすれば「誤認」であったとしても、その認識をそのままに綴っておきたいと考えます。

しかし、堀氏をはじめとした「美共闘」の方々からすれば、当集会はあくまで「自主入学式」です。これは、著者である私が「美共闘」側の資料を事前に調査すれば突き止められた事実です。歴史を記述する者として、細部の調査まで行き届いた記述ができなかった点を強く反省いたします。
堀氏からは「訂正を求める」ものではないとのご見解を頂いておりますが、頂いたご意見の内容が貴重な歴史的証言であると判断し、このような拙い説明文を認め、上記の経緯を公開させていただくことに致しました。
最後になりましたが、貴重なご指摘をお寄せ下さり、本書の至らぬ点をご教示くださいました堀浩哉氏に、著者として心より篤く御礼申し上げます。


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