現代書館

WEBマガジン 22/02/09切通理作


第4回 社会性とは社会正義の押しつけではない、ということ(中)

フィクションと情報の通路

 さて話題は変わりますが、神谷さんは前回「切通さんは『怪獣は環境だった』とおっしゃっていました。私は環境という語を風景と置き換えても良いと思っています」と書かれました。
 そこに続いての、神谷さんが展開されている内容にはまったく共感するのですが、私が「怪獣は環境だった」と言ったのは、「風景」というよりは、前回の神谷さんの文章でいえば、後半の怪獣図鑑に触れている部分なのです(怪獣図鑑・怪獣百科、ウルトラ授業のこと(上)参照)。
 「風景」というのは、我々が広く映画やテレビドラマに触れるのと同じように、その中のシーンであったり、シークエンスが、観る個人の心象風景に響き合うということだと思います。つまり作品を鑑賞するという体験です。それは個々によって重なることもあれば違うこともあり、ストーリーを深く理解したり、作品を主体的に味わうことにまっすぐつながっていると思います。
 私が「環境」というのは、どちらかというと「情報環境」のことで、それはたとえば植物図鑑や昆虫図鑑と並んで怪獣図鑑が紛れ込んでいたり、怪獣の身長体重出身地のみならず、足型までもがデータ化されている中で、極端な話、番組でその怪獣が出ているのを直接見ていなくても、当時の子どもの一人として、摂取する必要がある情報であるかのように思わされてしまった……という状況のことなのです。
 大人の言葉で言えば、たとえば「教養」と呼ばれるもの。その摂取のありようの前段階として、あるいはシミュレーションとして、私にとっては「怪獣」があり、大人になって、そんなものは必ずしも知る必要はなかったのだと知ってなお、刷り込まれた本能のようなものとして、残っているのです。
 あるいは作品の劇中でも、怪獣対策に寄せてその道の博士がなにやら科学的知識のようなものを会議や対策本部で語るとき、子どもの自分はそのセリフの内容自体を半分以上というかほとんど理解できないがゆえに、怪獣はフィクションの存在であると知っていながら、その背景に「あり得るかもしれない」現実との通路を見出すのです。
 大人になっても、その思考がどこか残っていて、怪獣の存在理由を科学的に解明しようと試みる著書を出す人がいるのも、わかる気がします。
 また怪獣映画で育った世代が作り手になる時「セリフが難解だ」という指摘に「それでも子どもにはわかる」と言う時の「背伸びした感覚」というのは、まさにこの通路のことを指しているのだと思われます。
 それは神谷さんもおっしゃる通り、怪獣が登場する映画や番組を作るメイキングへの興味を掻き立てられるものとは別筋ですが、私はそれが「作られたもの」だと知ってはいても、一方で、怪獣そのものが情報であるという現在を生きてきたのだと考えます。

情報の先にある物語

 神谷さんが話題として引き取って下さったケイブンシャの大百科シリーズについてですが、細かいことをいえば、私の少年時代に出ていた初期のものと、神谷さんが子どもの頃に手にした時代のものとは、違いがあります。
 初期は五十音順に怪獣怪人が並べられており、番組別ではありませんでした。個々の説明文の下に、放映もしくは上映データが記されていたのです。
 しかし後には番組別に分けて掲載されるようになりました。
現在は各プロダクションが他社のキャラクターとの混載を避ける姿勢が強くなっており、その傾向が取り入れられていったのだと推測がされますが、これが私と神谷さんの、世代的な需要の仕方の大きな違いであるのだと思います。
 大百科にはもともと、映画では『ゴジラ』(1954年公開)以降の怪獣怪人が掲載されていたのに対し、テレビ番組では、ウルトラマンシリーズの原点である『ウルトラQ』(1966年放映)から後のものが掲載されていました。
 しかし途中から、ウルトラ怪獣の登場よりも前の『月光仮面』(1958年放映)時代のものから載るようになりました。これは80年代以降のことで、当時手にする子どもたちが、自分が生まれるよりずっと前の番組に登場するヒーローや怪獣怪人を知るきっかけになっていったのです。
 自分が子どもだった時よりもあとに出たものが、より過去にさかのぼった「情報」を取り入れているというのも面白い現象だと思います。
 こうした「情報」文化は、カード文化と言い換えてもいいかと思います。
 1枚1枚のカードのように、規格化された枠の中に怪獣を封じ込める。子どもたちはそれをコレクションするように知識として集めていく。
 ビックリマンカード(シール)*のように、このカード文化は児童文化として、昭和のウルトラマン以降発達していきますが、現在放映中のニュージェネウルトラマンへと続く、子どもの情報収集欲の中での「怪獣」の位置付けへの欲求は、いまも絶えることがありません。
 ビックリマンカードまでくると、もはやテレビ番組から生まれたものですらなく、そこから逆に物語が生まれるという逆転した状況が生まれていますが、そこからわかるのは、やはり人は情報の先に物語を求めるということなのでしょう。
 ひるがえって、ウルトラマンシリーズのことを考えるのならば、ドラマの中の怪獣の生き死にリアリティを覚える背景に、それらの児童文化のありようが根差していると、私は感じるのです。
 怪獣というものは個体個体であるとともに、情報環境そのものでもあったというのが、私の実感です。

*ビックリマンシール……1985年、「ビックリマンチョコ」の付録として「天使VS悪魔シリーズ」が発売されると、爆発的な売れ行きを記録し社会現象となった。「天使」「悪魔」「お守り」にカテゴリー分けされ、シールの素材、ストーリー性が話題となった。アニメ番組の放映、『コロコロコミック』での連載など、多メディアでの広がりで人気を確かなものにした。スーパーでは「一人3個まで」と制限されるほどだった。一方、シールだけを求めてチョコ菓子を捨てたり、シール欲しさの恐喝事件が起きるなどの社会問題も発生した。

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