現代書館

WEBマガジン 11/06/17


第二十七回 震災と原発事故の後で

斎藤美奈子



森達也さま



震災から1か月あまりが経ちました。
現地入りのご報告第一弾、ありがとうございました。


この1か月、あまりにもいろんなことがありすぎて、どこから書くべきか迷います。
3月11日に私がどこで何をしていたかはどうでもいいことなので書きませんが、震災後2週間は、ご多分にもれず、私もテレビをつけっぱなしにし、ネットの信用できそうな原発情報を渉猟しつつ、小松左京『日本沈没』とか吉村昭『関東大震災』とか、中越地震で全村避難をした山古志村の人たちの手記集とか、戦災と震災関係の本とか、最近出た原発関係の本とかを読んでいました。
珍しく週刊誌も全部買いました。ジャーナリストはただちに現地に飛んでいくべきだと思いますが、こーゆーときに私みたいな人間は、ほんと、役立たずだね。

「ここ数日、テレビでは、「日本は強い国」、「今、わたしにできること」、「がんばれニッポン」などのフレーズが、少しずつ増え始めています。基本的にはその通りだと思います。負けるわけにはゆかないし、頑張ってほしいとも思う。だから大きな声で異を唱えるつもりはない。でも違和感がある。とても微妙だけど、決定的な違和感です。」

↑これは小さなことのように見えますが、重要な指摘と思います。
森君とおなじような違和感を感じているひとはいっぱいいて、でも「基本的にはその通り」だと思うから「大きな声で異を唱えるつもりはない」ということになるわけだよね。
この1か月間(これから当分の間そうなんだろうけど)の日本は「まるで戦争中みたい」だった。
日本人は(とあえていうけど)、非常事態になると、60余年前と同じことになるんだと思ったよ。
地震と津波と福島第一原発の事故。私の関心のありかはいまは原発ですけれど、それについては整理できてません。
以下、思いつくままに列挙します。


●スローガン
「がんばろう日本」「つながろう日本」「ひとつになろう日本」といった一見美しいスローガンは戦争中の「総力戦を戦おう」「進め一億火の玉だ」とまったくおなじノリといっていいです。「がんばろう気仙沼」とか「がんばろう石巻」とかいう、地域主体の発想ならいいけれど、「日本」が前面に出て来ると、モノゴトが非常に雑駁になってしまう。「国難」とか「挙国一致」とかいう言葉も、なにかが違う気がします。
 こういう言葉を思いつくのは、前線にいない「銃後」のひとに決まってて、その意味で、この種の掛け声の音頭をとっているのがテレビ局であるのは象徴的です。現地でガレキの処理にあたってる自衛隊だって「日本」という主語は使っていなかった。「日本」という語がいちいち気になるのは、私がナショナリズム・アレルギーなんでしょうか。


●同調圧力と非国民
 3月11日以来、「何か自分もしなければ」という気分が日本中に広がった。その気持ちはもちろん理解できるし、実際にも非被災地が被災地を支えなくてはしょうがないんだけど、「何もしない」ことがあたかも罪深いことであるかのような雰囲気が、あっというまに醸成されていく。
 「この震災で何かしましたか」という問いに「節電と募金」と答えた人が9割もいたというアンケートを何かで見たけど、逆にいうと「節電」も「募金」もしない人は「非国民」扱いだよね。
 しかし、震災前にくすぶっていた貧困問題も、年金問題も、じつは何もかも解決していないのです。「私には募金に回すカネなどありません。私こそ義援金が欲しいです」という人も当然いるはずだし、「なんで私が政府や東電のお達しに営々としたがって節電なんかしなきゃならないのだ」と考える人がいたっていいわけですよ、本当は。
 計画停電には、さすがに批判が出たけれど、計画停電なんて一種の脅しに近い。「(原発がないと)大規模停電になるぞ」といわれた途端に、みんな東電に協力する。日本は電力会社が支配している国だったんだなと思ったよ。


●自粛と精動運動
 4月に入って以来、雰囲気は変わりつつあるものの、実質的な「花見禁止令」を出した石原慎太郎をはじめ、日本全体に自粛の嵐が吹き荒れました。
 石原はさすが軍国主義者で、この状況をまさに「戦争」とオーバーラップさせています。「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」まではまだいいとして「同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感ができてくる」「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」。パチンコや自販機の電力をあげつらいつつ「灯火管制やっているときに明かりが漏れたら、 周りから注意され、我慢して節約した」。
 こういう人が戦時中には「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」といった標語を支持し、精動運動(国民精神総動員運動)を先導し、「パーマネントはやめましょう」とかいってたんでしょうね。
 もっともこの「自粛」ブームは、気分の問題だけではなかった。実際問題としても電車が動かず、灯火管制にも似た節電が求められ、空襲警報のような緊急地震警報がしょっちゅうあり……といった状況では(とくに小さなお子さんや高齢者がいる家庭では)、外出が減って当然です。
 ついでにいうと「買いだめ(買い占め)をやめましょう」という呼びかけにも違和感がある。買いだめが横行しているという事実を、だれかちゃんと追跡調査してたんでしょうか。伝聞でいってるだけとちがう? スーパーの品揃えが悪くなったのは単純に生産と物流が滞ったということで、消費者の「モラル」のせいみたいにいうのがいや。仮にいつもより少し多めに買った人が多かったとしても、生活防衛のためには当然の行為だと思いますし。


●大本営発表
 政府、東電、経産省の原子力安全・保安院(不安院に改称すべきでしょう)、内閣府の原子力安全委員会、みんな一蓮托生で、情報操作をしながら「このくらいの放射線量ならただちに健康に影響は出ません」といいつづけた。
 民放テレビと三大紙を中心とした大手メディアは、それらの「大本営発表」をそのまま垂れ流すだけでは飽き足らず、御用学者を呼んで来て「いかに安全か」を図解までして説明する。
 メディアの劣化については、私たちもここでもさんざん語ってきましたが、このような状況になっても(このような状況だからこそ?)独自の取材に基づく独自の見解は出さず、権力べったりの報道をだしつづける。関東大震災や太平洋戦争のときと同じです。「デマに気をつけよう」「風評被害はよろしくない」といいつづける、あなたがデマと風評の元、といいたいです。4月17日に、東電は「ステップ1は3カ月、ステップ2は3〜6カ月という、原発事故の沈静化に向かう「工程表」を発表しましたが、それも希望的観測にもとづく「このくらいですんだらいいなあ」というだけの予測で、このへんの姿勢も旧日本軍にそっくりです。


●これからの日本
 森君や現代書館の菊地さんがおっしゃるように、この震災は日本を大きく変えるでしょう。
 貴君は1995年が大きな転機だったと常々おっしゃっていますが、私はそれより2001年の9・11で社会の雰囲気が変わったと思ってた。でも、1995も2001も、じつはたいした変化ではなかったのだと今になって思います。安倍政権の時代には改憲で日本が変わるのではないかと危惧し、リーマンショックで経済政策が大きく変わるかと期待したけどそれもなく、政権交代で今度こそ変わるかと思ったがそれもなかった。
 変わる契機は、2011年の震災(および原発震災)だったのね、という感じです。
 この震災を機に日本がよいほうに変わるかもしれないという明るい未来予測をしている人もいますし、復興構想会議の場で首相は「ただ元に戻す復旧ではなく、創造的な復興案を示してほしい」というノーてんきな発言をしていましたが、よくいうよ、と思います。敗戦後の日本と同じようなところから出発するしかないでしょう。
 経済的なダメージが大きいというだけでなく、原発事故の後処理で、日本がいかに信頼できない国であるかがバレてしまった。「唯一の被爆国」だった国が、こんどは自ら大量の放射性物質を大気中と海洋に、(近隣諸国への報告もなく)放出したんだもの。「なんじゃ極東のあの国は」という評価になるよね。
 敗戦後の日本といっしょで、もはや先進国づらはできず、国際社会の監視の下に、粛々と再出発するしかないでしょう。
 米軍にあれだけ「世話になった」以上、もはや「米軍基地も海兵隊もいらない」とは言えず、普天間問題もあっちのいう通りにせざるを得なくなるんじゃないだろうか。


●原発震災責任
 戦後の轍をふまないようにするためには、せめて戦争責任ならぬ「原発責任」をはっきりさせるべきでしょう。A級からC級まで「戦犯」を、いまから見届けて、ちゃんと検証し、責任を追求すべきだと思う。原発PRに駆り出された文化人だって、C級くらいの責任はあると思う。「こうなってみてはじめて原発について考えた」という人が予想以上に多かったことに驚いています。浜岡をはじめとする原発の危険性については、すでにこれだけ情報があったのに「知らなかった」「だまされていた」じゃすまないよ。

 通常モードののんきな原稿を書く気がしなくて、困っています。


斎藤美奈子

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