現代書館

WEBマガジン 22/03/24神谷和宏


第5回 二次創作としての特撮と、80年代「特撮の作者」の発見

 切通理作さま

 つい最近、大塚英志さんが『シン・モノガタリ・ショウヒ・ロン』(星海社、2021年)の中で、小説に「泣ける」、「感動する」、「役に立つ」といった即効性が期待されているという状況を指摘し、それをサプリメント化と称しているのを見て、言い得て妙だなと思いました。読書が人格形成に影響したり、あるいは何かに役立ったりすることがあるのは当然ですが、だからといって「泣ける小説」といった何らかの効能をあらかじめ期待して本を読むのは少し違うかなと思うのです。映画を紹介するCMで、劇場から出た観客が「感動しました!」などと言っているのを見ると、お決まりの感想に誘導されているかのようで違和感を得るのですが、私が『ウルトラ』を道徳教材として使用しないのも、個々人が『ウルトラ』から正義観や生きる意味を感得することはあり得ることだし、自由だとしても、教育の場で『ウルトラ』を見せる側である自分が、「道徳心が養われるよ」と言わんばかりに作品をサプリメント的に利用することへの抵抗があったからなのだと思います。

 消費としてのカード文化から、生産としてのカード文化へ
 
 『全怪獣怪人大百科』でアニメの扱いがなくなり、その分、特撮の情報を網羅するかの勢いで、『ウルトラQ』以前のテレビ特撮が紹介されるようになったのは私が小学校中学年の頃でした。『ウルトラQ』以前に、『月光仮面』があったことくらいはもともと知っていましたが、『少年ジェット』や『ナショナルキッド』など、『ウルトラQ』以前の特撮を、その際に一気に知ることになりました。このように「より過去にさかのぼった」情報を取り入れ、それが「規格化」された状態で提示されることを切通さんは「カード文化」と表現されていましたが、実は私もまったく同じことを思っていました。本来、『月光仮面』や『忍者部隊月光』に仮面ライダーのような等身大ヒーローや、スーパー戦隊のような集団ヒーローのルーツを見出すことが時系列的には自然であるように思いますが、80年代に『仮面ライダースーパー1』を見た後に『忍者部隊月光』を知るように、新旧ないまぜになった状態で情報を享受する様はあたかも、そこに掲載されている情報から、サイズまで規格化されたカードがシャッフルされて出てくるカードゲームのようだなと。
 また、コンテンツとコラボしたカードゲームでは、キャラクターの攻撃力やら体力やらが数値のような規格化されたデータで示されることが多々あります。同様に今日の特撮では、ストーリーはデータとなり、キャラクターはパーツとなり、頻繁にデータとパーツが行きかうようになった点、そのような互換性をもたせるために、例えば昭和ウルトラの世界と、『ティガ』〜『ガイア』世界、または複数の『仮面ライダー』世界が同一の世界に融合されていく状況もまたカードゲーム的であるように思っていたのです。
 ゲーム的という意味では、世界観も身長もまちまちのロボットキャラクターたちが二頭身にデフォルメされることで規格化され、その結果、同一のフィールド内で交わり合うことになる「スーパーロボット大戦」のような状況が、原典であるテレビコンテンツですでに生じているのだとも言えるように思います。
 この傾向は『ウルトラ』で言えば、『メビウス』にその萌芽があり、顕現したのがニュージェネであると思っています。『ウルトラマンメビウス』は、昭和の『ウルトラ』世界の“今”という設定であったため、桜ヶ丘中学の教師であった矢的猛、ずっと再会を果たしていなかった北斗星司と南夕子、あるいは自ら率いる防衛隊の壊滅を目の当たりにしたモロボシ・ダンが描かれます。このように過去作のストーリーを随所にはめ込んで、『ウルトラマンメビウス』は成立しているのですが、これらはかつて『ウルトラ』の視聴者であった側が、長じて作り手の側になった際に、自らの視聴体験をもとに作った「その後の物語」であるという点で二次創作的でした。
 対照的なのは前作の『ウルトラマンマックス』で、こちらでは藤川桂介さんや上原正三さん、飯島敏宏さん、実相寺昭雄さんといった昭和ウルトラの重要な作り手が関わり、昭和の怪獣たちが現れるものの、ストーリー自体はメトロン星人の出てくる話を除けばオリジナルでした。
 このように、昭和の『ウルトラ』の製作者による新作、異色作を多くリリースした『ウルトラマンマックス』の作風は、製作者がかつての視聴者であり、設定そのものから二次創作的であった『ウルトラマンメビウス』とは大きく異なると思っています。しかしその『メビウス』にしても、旧作のキャラクターの再登板に先に述べた矢的や、北斗と南にまつわるようなストーリーが伴っていた点で、ニュージェネとは差異がありました。
 ニュージェネ以降の『ウルトラ』では、旧作の怪獣や宇宙人の出現が当たり前になったのみならず、これまでのウルトラマンたちの能力や特徴がアイテムのように取り入れられ、さらにはデザイン的にも、ウルトラマンキングの力を取り入れたウルトラマンジードが、ウルトラマンキングのパーツを取り入れたデザインであるロイヤルメガマスターになるなど、キャラクター主体の二次創作性が顕現しますが、この状況は、切通さんのおっしゃるカード文化の系譜上にあると私は考えています。時代をないまぜにしたコンテンツ消費の形態が、コンテンツの生産のサイドに越境したのだととらえています。
 ここでどうしても触れておきたいのが、物語の後景化の問題です。大塚英志さんはかつて『物語消費論』(新曜社、1989年。現在は星海社新書)の中で、「仮面ライダースナック」のカードが、消費者がテレビで知っているキャラクターの消費であったのに対し、「ビックリマンカード」は事前に周知されている物語がなく、ビックリマンカードの裏面に記された断片的な情報を繋ぎ合わせると物語の全貌が見えるという点に着目して論じています。そして東浩紀さんはこの論に含意されたもう一つの論点、つまり物語が不在化し、延いては二次創作的にキャラクターが流通していく状況が生じた点に注目し、それをデータベース消費と称したのでした。
 このデータベース消費はニュージェネ以降の『ウルトラ』の大きな特徴であるように思います。もちろん、近年の『ウルトラ』にもしっかりとした物語は存在していると認識しています。かなり骨太な物語が展開される場合もあります。しかし、それ以上に、『ジード』なら『ジード』、『Z』なら『Z』という一本のシリーズ、あるいは一話、一話のエピソードに出てくるキャラクターやアイテムの数は、昭和の『ウルトラ』と比べれば格段に、『ティガ』〜『メビウス』と比べても明らかに増えており、一本のエピソードで複数のウルトラマン、あるいは複数の怪獣が出てくることも恒常化し、その分、物語は後景化した印象はあります。
 切通さんの『怪獣使いと少年』は、『ウルトラ』の物語に着目して、金城哲夫さんや上原正三さんらの作家論を繰り広げているわけですが、同じような手法で、ニュージェネ版の『怪獣使いと少年』と言えるような批評が成立するかと言えば、やはり容易ではないように思うのです。物語が後景化する中で、切通さんは作品と作家の関係をどう捉えているのだろうかと、ぜひうかがいたいところです。

 キャラクターの真正性・人が演じることでの真正性

 キャラクターの真正性の問題ですが、興味深い事例、それも洋画についてたくさん挙げていただき、私は詳しくないので、未知の事例を知ることができました。
私が今注目しているのは、真正性が思いがけないかたちで引き継がれる事例です。
 『カサブランカ』は1942年公開という古いアメリカ映画で、二人の男性と一人の女性が歴史上の不幸と恋愛感情に揺さぶられるという筋書きですが、2021年には新たな吹き替え版が公開され、男性二人を古谷徹さんと池田秀一さん、女性を潘恵子さんが演じました。言うまでもなくこれは『機動戦士ガンダム』のアムロとシャア、そしてララァを演じた方々であるわけですが、アムロとシャア、そしてララァの関係もまた大変微妙なものであり、2021年版の『カサブランカ』を見る人は、いやが上にもそこに『ガンダム』世界を再生することになり得ます。もちろん『ガンダム』は『ガンダム』であり、『カサブランカ』は『カサブランカ』。これらは別個の世界であり、『ヤッターマン』の三悪の声優がそのまま『ゼンダマン』でも三悪を演じたというのとは違います。しかし、アムロとシャア、そしてララァの三者の微妙な関係というものが、当時の声優によって別世界で、別キャラクターで再生されるというのは、その三人の声優を起用した製作サイドと、『ガンダム』世界を知った上で、この新たな吹き替え版を見る視聴者との共同作業によって生じる真正性の継続ともいえるように思います。 
 切通さんが提示して下さった、もう一つの真正性の問題、スーツアクターの話題も大変、興味深い視点です。元来、海外の怪獣映画のようにコマ撮りを考えていたものの、時間がかかる等の理由から、ゴジラは着ぐるみになったということですが、結果としてこのことが、ゴジラの内側に人間を見出し、ひいては、特撮における怪獣という異形に、人間の営みを照らし合わせるという表象論を成立させる要因を与えたと思っています。
 『シン・ゴジラ』のモーションキャプチャーのためにゴジラを演じた野村萬斎さんは「狂言や能の様式美というものを意識されたと思う。無機的な、人間臭いというより、神、幽霊、怪物のような侵しがたい存在感を期待されたと思う」と発言されています。
 私は野村さんの発言を知り、人間が身体をもって超越的な存在を演じ、超越的な視点から人々の営みを俯瞰するという伝統芸能の特質が怪獣映画には通底しているのではないかと、改めて思うようになりました。そしてその結節点となったのがまさに『ゴジラ』で、以降の怪獣というものが基本、着ぐるみになったことで、伝統芸能に見られるような身体性が特撮に生じたと言えるように思います。その点からも切通さんが、着ぐるみの中にあったスーツアクターの方々に真正性を感じるというのはとても納得できることだと思いました。

 特撮「作り手」の物語

 さて、「いつ、特撮SFヒーロー番組の、裏方としての「作り手」の方にも興味を持つようになったのか、そのプロセスを振り返る段階に進みたく思います。」と今後の方向性を提示してくださいました。
 私が作り手に興味を持ったのは小学校中学年くらいからでした。特撮に関しての知識を渇望していた私は『宇宙船』や『ウルトラマン白書』をむさぼるように読んでいたわけですが、それらには特撮の放映リストがよく載っていました。そこで私は一つの発見をしました。円谷英二、円谷一、金城哲夫はすでに故人であり、佐々木守、市川森一、伊上勝、実相寺昭雄、飯島敏宏、田口成光、石堂淑朗、阿井文瓶(渉介)…といった特撮の作り手の名は、その時見ていた戦隊シリーズや宇宙刑事シリーズのスタッフの中にはないということ。つまり再放送で見てきた多くの特撮の作り手は今や特撮の最前線にはいないということを知ったのでした。再放送で見てきた特撮と、今見ている特撮に何か隔たりのようなものが感じられるのは、作っている人が違うからだからなのだと思ったりもしました。
 そしてそこでもう一つの発見をします。自分が生まれる前から特撮をたくさん手掛け、今なお、毎週のように新作を書き続けている作家がいるではないかと。それは上原正三さんです。上原さんがメインライターを務めた『帰ってきたウルトラマン』の世界は自分の生まれる以前、つまり大昔のもの(もちろん子どもの体感として)であり、遠く離れるばかりだけど、その世界を作り出した作家による作品は今週も、きっと来週も作り出されるではないかと。もちろん『ウルトラ』と『ギャバン』の世界は違うけど、同じ作家が書いた世界だと思うと、『帰ってきたウルトラマン』の世界さえまだ終わっていないような気持ちになりました。
 80年代は、昔のテレビ番組を振り返る特番がよく放映され、その中で特撮も扱われましたが、それは多くの場合、仮面ライダーに変身する間、攻撃をやめるショッカーや、高所からギターを弾いて現れるキカイダーのジローに対するツッコミなど、特撮を笑い飛ばすものでした。そこに微妙な変化が現れてくるのは80年代後半でした。それまで古い特撮を懐古するのはファンの営為でしたが、特撮が世間一般のノスタルジーの対象と化していった感があります。1989年には『ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟』という、その名の通り、『ウルトラマン』の製作当時を振り返るドラマが作られ、これは同様のテイストをもつ『ウルトラマンになりたかった男』や、『私が愛したウルトラセブン』(ともに1993年)や、主に成人を視聴者層とする『11PM』や『EXテレビ』、『驚きももの木20世紀』等のウルトラ特集につながっていったように思います。
 もっとも『ウルトラ』の製作当時を振り返るドラマが続出したのはノスタルジーのみならず、このころ、フジテレビやニッポン放送という実在の放送局が舞台の、いわゆる「業界ドラマ」である『アナウンサーぷっつん物語』や『ラジオびんびん物語』(ともに1987年)などの流行から、「業界」「製作サイド」「裏方」への関心が高まっていたこともあったと考えられます。
 80〜90年代はまだ、今のようにポップカルチャー概念も普及しておらず、文化としての特撮といった言説はそう見当たりませんが、郷愁を誘う大人の嗜みとしての特撮が再発見された時期であったとは思っています。大人向けに特撮が扱われた例としては、若者に向けたNHKの情報番組『YOU』の特撮特集「怪獣熱中時代」(1983年)もありましたが、これは青年の特撮ファンのマニアックな様相に着眼するものであり、「嗜みとしての特撮」というには程遠かったと思います。
 「嗜みとしての特撮」という時期の存在が、90年代後半以降の特撮のメジャータイトル復活につながり、ゼロ年代以降の「文化としての特撮」という言説がたくさん出てくる礎となったと感じています。
 73年生まれの私にとって、80年代後半は10代であり、90年代前半と言っても二十歳そこそこで、まだ何者でもありませんでしたが、切通さんはすでに成人され、しかもデビュー直前といったところであったかと思います。そんな切通さんがこの時期をどう受け止めていらっしゃるのか、伺いたいところです。

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