現代書館

WEBマガジン 10/11/29


第二十二回 旅で考えたこと

森達也


斎藤美奈子 様

 このあいだの美奈子さんからの便りの書き出しは、「気がつけば、すっかり秋の風情になってしまいました」でした。
もしも僕も時候の挨拶を書くのなら、「いつのまにか秋が終わって初冬のような風情になってしまいました」と書かねばならない。街行く人たちの服装もすっかり冬支度です。
 夏から秋、そして冬と、まるでつるべ落としのように季節が変わったことは確かだけど、僕の返信が大幅に遅れたことも確か。申し訳ないです。こういうやりとりはリズムが何よりも大切なのだと思うけれど、こんな調子ではリズムが作れない。反省します。
 反省しながら弁解も書くけれど、僕たちの仕事は規則的ではないけれど、その代償のように年に何回かは「これはもう無理」と思うときってありますよね? ……同意を促したけれど、もし同意できなかったら無視して下さい。反論はパス。実は昨夜、加藤陽子さんと上野千鶴子さんと戦争をテーマにした公開トークショーをやったのだけど、とにかく徹底して上野さんにやられた。あとから考えれば反論はそれほど難しくない批判なのだけど、そのときはほとんど応戦できず、ただ打たれるばかりでした。斎藤さんも『文壇アイドル論』に書いていたと思うけれど、本当に上野さんは喧嘩が強い。まったく歯が立たない。その後遺症で今もまだ足腰がおぼつかない。
 話を戻します。僕にとってこの10月から11月にかけては、まさしく「これはもう無理」という時期でした。新刊の最後の作業が同時並行で、季刊などの連載の締め切りも重なり、効率が悪いということもあるのだろうけれど、何から手をつけたらよいのだろうと呆然としたまま時間ばかりが過ぎるという状態でした。
 そんな要素のひとつがテレビのロケです。BSハイビジョンで放送されている「未来への提言」という番組。戦場写真家のジェームズ・ナクトウェイに会ってきました。放送は11月4日。明日だ。これが届く頃にはもう過去だけど。
 最短のスケジュールにしてもらい、ほぼ4日でフランスのリヨンとスイスのバーゼルに行ったのだけど、このときの移動がとても興味深かった。
 ロンドンのヒースロー空港でトランジットしてリヨンに着いたら、ほとんど出国手続きがない。パスポートを見せるだけ。さすがにスタンプは押されたのかな。でもその記憶がないほどにあっさり。荷物のチェックもない。さらにリヨンからバーゼルまでは列車で移動したのだけど、国境を越えるときには何のチェックもなし。もちろん道路も。いつのまにか国境を越えている。要するに日本でいえば県境。
 確かにバーゼルはドイツとフランス、そしてスイスの国境が近接している街ではあるけれど、地元の人に聞けば、これほどに国境越えが楽になったのは、やはりEU統合以降らしい。
 だから考えてしまう。国境って何だろう。本当に必要なものなのだろうか。必要であるという前提から始めないで、まずはどれほどに有益なものなのだろうかと考えたい。さんざん打ちのめされたばかりで癪だけど、以下に上野さんの文章を引用します。


 ですからわたしの夢想を言いますと、グローバリゼーションが本当に実現されるのなら、つまりヒトの移動のグローバルな自由化が達成されるのなら、──実際、今、カネとモノと情報は世界中を駆け巡っています。移動の自由が最も奪われているのはヒトですね。実際には国境がヒトの移動を堰きとめて、一番動けないわけですが。
 世界中、ノーパスポートにすればいい。それこそマルクスじゃないですが、賃金の高い所に労働力は移動しますから、そうなると、どこも結果的に賃金が平準化します。つまりみんなひとし並みに貧乏になります(笑)。いいじゃないですか。
『生き延びるための思想』補論より

 僕も移動しながらそんなことを考えた(癪だけど)。たぶんそう考えた理由のひとつは、このときに会ったナクトウェイが、戦場だけでなく世界の貧困や格差なども自分の写真の大きなテーマにしているからだろう。
 まさしくジョン・レノンの「イマジン」そのものだけど、国境がない世界を想像したとして、そこに特に大きな問題はない。もちろん撤廃してからしばらくはかなりの混乱が生じることは明らかだけど、国境を理由にしてこれから未来において起きるであろう惨劇を考えれば、少なくとも一考くらいはすべきだと思う。
 リヨンでは駅前などに多くのロマがいた。サルコジ政権は彼らの排除を政策に掲げてルーマニアなどに強制送還していると聞いていたのだけど、結局はフランスに帰ってきてしまうのだという。もちろん陸路。パスポートなど彼らは持っていない。なくたって移動はできる。世界中の人たちがロマ化しちゃえばいい。

 こんなこと言ったり書いたりするから、サヨとか頭の中はお花畑とかバカにされるのだろうな。あるいは定住しなければ産業が育成されない。教育や雇用、食料問題はどうするのだとか、正論を言われたら言い返せない。確かにロマ化しちゃえばいいと言いましたけれど、それはロマそのものになればいいという意味ではなくて、ロマ的な生活に何らかのヒントがあるような気がしたからつい、とか何とか、ぼそぼそと言い訳するしかない。

 ポール・サイモンは、「人は大地に縛られて、この世界で一番悲しい声をあげる」と歌った。そもそもはイラク戦争や同時多発テロの背景にあるイスラエル・パレスチナ問題だって、やはり土地の問題だ(この場合は単なる領有だけではなく、シオニズムなど宗教的な背景もあるけれど)。
 でも例えば竹島とか尖閣とか、今のところ日本人は誰も居住していない土地や境界の問題に、なぜ多くの人はこれほどムキになるのだろう。
 そう訊くとほとんどの人が、「だって経済水域とか海洋資源があるじゃないか」と言う。仮にそうならば、島は渡すけれど埋蔵している資源の何%をバーターにするとか、共同開発するとか、大人の対応や方策はいくらでもできるはず。そのために外交がある。境界を主張するばかりでは幼稚園児以下だ。どちらが正当な所有者かと争っても、歴史をどこで区切るかで解釈はいくらでも変わる。
 この問題についての今の中国と日本に共通していることは、それぞれの政府が、その背後で燃えあがろうとしている民意をとても気にしているということ。つまりポピュリズム。その意味では共産党一党独裁も間接民主制も資本主義も社会主義も変わらない。
 日本の国土面積は世界60位だけど排他的経済水域の面積は世界6位。中国の五倍以上ある。だからというわけじゃないけれど、こんなときに屈辱とか恥辱とか危機とか安易に口走る政治家には要注意だと思います。

 前回の美奈子さんからの質問に最後に答えます。
「どうやったらそんなに次々本が書けるの? 」
困ったな。そんなに次々ではないと思う。今年は今のところ3冊。 11月28日にもう1冊。合計4冊です。決して多作じゃない。寡作でもないけれど。
 ただしあくせく書いていることは確か。その理由を強いて考えれば、「売れないから」です。ベストセラーをもしも書けたなら、それ以降はこんなにあくせく書かないと思う。

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