現代書館

WEBマガジン 11/02/09


第二十四回 ニューヨークにて

森達也


斎藤美奈子さま

 NYに行きました。到着したのは11月29日の午前9時15分。飛行機はJAL006。機内で観た映画は「インセプション」と「怪盗グルーの月泥棒」。公開を見逃していた「インセプション」はもっと大味な映画かと思っていたら、フィリップ・K・ディックの小説のような奥行きのある展開で、いろいろと予想を裏切られながらかなり楽しめました。

JFケネディ空港に到着したのは午前9時15分。ところが空港を出たときには午後2時を回っていました。なぜなら到着してからの入国審査で別室に連行されて、それからおよそ4時間近く、移民局の担当官(警官ではないけれど銃を所持している)から取り調べを受けていたから。
白人で三十代後半らしき年齢の担当官は、「おまえは過去にビザを申請して2回拒否されている」とパソコンの画面に映る僕のデータを見ながら言う。でもそんな記憶はないから、「それは間違いだ」と言ったら「嘘をつくな」と激昂し始めた。
髪を短くクルーカットに刈り上げてずんぐりとした体躯の担当官は、最初からとにかく威圧的だった。椅子に座れと命じたあとは、ちょっと腰を浮かせかけただけで、「そこから動くな!」と大声をあげる。手は腰にかけた銃のホルスターに当てられている。ガラス扉の向こうでは、同行していた撮影スタッフたちが困惑しながら右往左往しているけれど、彼らに視線を送ろうと振り返るだけで、「何度も同じことを言わせるな!」と怒鳴られる。
2時間が過ぎるころ、僕をこのまま強制送還させるための書類を、彼は作成し始めていた。途中で駆けつけてきた日航のスタッフが僕の耳もとで、「できるだけイエスと答えてください」と耳打ちする。すると「余計なことはしゃべるな!」とまた怒声が飛ぶ。何度も「薬物を常用しているか」と質問された。答えはもちろんNO。でも担当官は納得しない。少ししたらまた同じ質問を繰り返す。そのうちにYESと言えばいいのだろうかという気分に少しだけなってくる(もちろん言わなかったけれど)。
なるほど。こうして冤罪は生まれるのだろうと実感する。どちらかといえば相手に迎合しないほうだと自分では思っていたけれど、ずっと威嚇され続けながら強制送還という最悪の事態を前にして、もしかしたらYESと言ったほうがいいのだろうかと思ってしまう瞬間があったことは確かです。
書類を作成する担当官の目を盗んで日航のスタッフに「どうなるのでしょう」と囁けば、「お気の毒ですが(強制送還を)覚悟した方がよいようです」との返事。
衝撃のレベルではなく茫然自失。今回の渡米はNHKの番組のロケなのだけど、番組はどうなってしまうのだろう。それにもしも一度でも強制送還されたなら、しばらくのあいだはアメリカに来ることは難しくなる。番組にとっても僕にとっても、とにかく被害は甚大です。でも拘束されている理由がさっぱりわからない。

 結果としては、さらに一時間後に担当官が交代してようやく解放されたけれど(交代しなかったらおそらく強制送還されていたと思う)、とにかくアメリカの空港におけるセキュリティには、心の底からうんざり。セキュリティが自己目的化している。手段が目的となっている。よほど憔悴していたように見えたのか、やっと合流できたスタッフや現地コーディネーターたちからは口々に、「おそらくデータが間違っていたのでしょう。運が悪かったですね。でも最近はよくあることです」と慰められた。
9・11以降、セキュリティ強化が加速するばかりのこの状況については、最近はさすがに賛否両論があるようです。数ヵ月前にも乳ガンの形成手術を受けた女性が胸に異物を隠しているとして激しい取り調べを受けたり、あるいは人工膀胱を装着していた男性が係官にこれを無理やり押されて中身が噴き出してしまい、精神的な苦痛を受けたとして当局に抗議して、アメリカでは大きな話題になったばかりです。
空港を出てタクシーを待ちながら、売店に置かれていた日刊紙am NEWYORKの一面に、大きくTERRORISTの見出しが掲載されていることに気づきました。何が起きたのだろうと思って購入すれば、見出しの下にはウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジの顔写真が掲載されていた。
つまり東京スポーツ的なテクニック。そういえば大学生の頃、駅のキオスクで「猪木リングで死亡」という見出しを目にしてあわててポケットの中の小銭をまさぐりながら買ったら、内側に織り込まれている部分には「・・・するかもしれないと語る」と続いていたことがあったことを思いだした。
ウィキリークスの功罪については、今は省きます。それ以前の問題。2008年11月に元厚生省官僚トップだった二人の自宅が相次いで何ものかに襲撃される事件が発生したとき、新聞各紙はすべて一面に「テロ」の文字を掲載しました。もちろんテロじゃなかった。この段階で単なる犯罪かテロなのか判断できるはずがない。つまりテロリズムのインフレ。こうして不安や恐怖が増殖する。

 >たしか導入から3年後には制度の見直しができることになっていたはずですが、そもそも裁判>員制度に反対だったはずの民主党政権に、制度見直しの動きは出ているのでしょーか。法務>大臣のしょうもない失言のせいで、それどころではないのでしょうか。こっちのほうがずっと重要>なはずなのにね。

……本当だよねえ。吐息しか出ない。
今ごろと思われるだろうけれど、最近ようやく、映画「12人の怒れる男たち」を観ることができました。もっと早く観ておくべき映画だった。僕らの時代は名画座のオールナイトや特集上映などで、多くの古典を観ることができたけれど、この作品はなぜか縁がなくて、ずっと見逃していました。その後も何度かレンタル屋でDVDを借りていたのだけど、観ないままに返却してしまうことが続いていた。
やっと観た。そして観ながらつくづく思ったけれど、陪審員12人のうち11人が少年の有罪(つまり死刑)を当たり前のように主張する前半は、まさしく世間そのもののメタファーです。別に日本に限らず、人は集団となったとき、そんな衝動が駆動する瞬間がきっとあるのだろうな。
重要なことは、少年の有罪をひっくり返す12人の男たちの議論において、最初に有罪に異議を唱えた陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)も含めて、「彼は犯人ではない」との明確な主張は誰もしていないことです。少年が犯人である可能性は依然としてある。でも犯人が他にいる可能性もある。ならば有罪にすべきではないとする考え方です。つまり近代司法の大原則である推定無罪を、12人の男たちは互いに怒鳴り合いながらも、当たり前の論理として前提にしている。
シドニー・ルメットがこの映画を撮ったのは1957年。それから半世紀が過ぎたけれど、アメリカと日本の刑事司法やセキュリティ状況は、まるで足並み揃えて急激に退行しているように感じます。
そういえば今回の渡米は、アメリカに占領された時代の日本を「敗北を抱きしめて」(岩波書店)で描いたジョン・ダワーへのインタビューが主目的。グランドゼロの中に入り、建造中の1ワールドトレードセンターに登ってきました。地上30階くらい。鉄骨の上は相当に怖かった。
世相は今、どの程度変わってきたのだろう。映画のような結末を迎えることができるのだろうか。

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