現代書館

WEBマガジン 11/08/24


第三十一回 脱原発のメディアリテラシー

斎藤美奈子


森 達也さま


まず、『A3』の講談社ノンフィクション賞受賞、おめでとうございます!
ちょっと自分のことにように嬉しいです。いや、ほんとに。
で、前回のつづき。

>まあ察しはついていたけれど、どう考えても原発事故直後に行われたあの計画停電
は、「もし原発を止めたらこんなに大変なことになるぞ」との東電のブラフだったと
しか思えない。

当然、そうでしょう。ブラフだし、脅しだよね。
ご存知とは思いますが、電力会社のキャンペーンに反して電力は足りているということは、広瀬隆さん、飯田哲也さん、小出裕章さん(みんな原発事故以後スターになった人たちですが)らが、早くから指摘していたことでした。足りていないように見えるのは火力発電所や水力発電書の稼働率が低いからで、小出氏の試算だと、震災前に設備利用率が8割を超えていたのは原子力発電所だけ。火力発電所の設備利用率は5割以下、水力発電所にいたってはたったの25%程度だった(1998年のデータですが、震災までは、火力発電所や水力発電書の稼働率を上げる理由はなかっただろうしね)。

 この夏の節電キャンペーンも「脅し」の続きだったとは思いますが、これを逆手にとることもできる。適度な節電とライフスタイルの改善で夏を首尾よく乗り切れたら、「原発なしでも大丈夫である」ということが、逆に証明されるかもしれない。
 最近、橋下大阪知事(この人のやり方に私は疑問な点が多いのだけど)が記者会見用のボードに「エアコン切れば原発止まる」という標語を入れ始めましたが、まさにその通りです。電力会社の側からいえば「薬が効きすぎた」状態ですね。
 現に、玄海原発はじめ検査を終えた原発が再開できず、いっぽうで各地の原発が次々と定期検査に入った結果、54基ある原発のうち稼働しているのは16基(7月22日現在)。このままいくと来年の春までに、すべての原発が止まるといわれている。どうせなら、あらゆる手をつかって(菅首相が突然ストレステスト導入したのも「あらゆる手」のひとつだったと私は思っていますが)、そこまでぜひ粘ってもらいたい。で、ほんとに原発が必要なのかどうかを証明してもらいたいです。

>僕や美奈子さんの世代にとっての70年代は、中学生から始まって、ちょうど大学
を卒業するころまでですね。その時代のマスメディアは、行政や企業の側に立ってい
なかったということなのかな。
 
 そうそう、マスメディアの話でしたね。
 前回、きちんと紹介できなかった宇井純さんの論文は「住民運動として自立へ――反公害闘争十年の歩み」(『展望』1974年1月号)というものでした。水俣にかかわって15年がすぎたというところからはじまり、〈日本においては、過去も、現在も、そしてここ当分未来にも、公害を食い止め、環境を改善してゆく力の中心となるものは住民の運動であって、その他の要因はすべて住民運動を通して副次的に作用するものである。現在の日本で世界最高の公害を、いささかでも食い止めているものは住民運動しかない〉と宇井さんはいっている。が、彼が力をこめて批判しているのは、企業と行政と科学者の三者です。
 企業については〈日本の企業というものは、おそらくその持っている社会的な特権の大きさの点で、世界で最も特異な存在の一つではあるまいか〉と、行政については〈むしろ行政は企業よりも前面に出て住民運動と対決する役割を果たしたといってよい。自治体の首長が保守であれ革新であれ、この点ではあまり差がない〉といい、科学者に対しても〈水俣病で企業側に加担した学者の身元を洗ってゆくと、常に私の足元である東京大学にその根本があることに気づく〉と述べて、データの捏造さえおこなう「御用学者」の多さを彼は指摘しています。
 これは水俣病をはじめとする公害問題と反公害闘争に対する対応を述べたものですが、いまの福島第一原発事故を念頭において読むと、あまりにも状況が同じので笑っちゃうくらいです。40年、いや50年たっても日本社会は何一つ学びもしなければ、進歩もしなかったんだなと思う。

ところで、じゃあこの時代(60年代〜70年代)のマスコミはどうだったのか。
現在もし宇井さんがご存命だったら、いや宇井さんじゃなくても、企業、行政、科学者に加え、同じくらいの「戦犯」として、きっとマスメディアをやり玉にあげたと思うのね。それがこの論文にはない。ってことは、当時のマスメディアは住民の側に立っていたのか。
 森くんがあげてくれた事例を思い出しても、そうだったなあと思い出すことしきりでしたが、ちなみに宇井論文では、このように書かれています。少し長くなるけど、引用します。

ーーここから引用ーー
十年前には権威ある科学者は公然と加害者の側に立って発言するのがふつうであり、これと対決するのは大きな勇気が必要だったが、今日では公然たる企業支持は困難である。新聞やテレビなどのマスコミも、たえず動揺はするが、管理職層からの強いしめつけにもかかわらず、今のところは住民運動に対して好意的である。実は昭和四十五年の秋NHKが、つづいて昭和四十六年の秋、毎日新聞が、公害報道についてこれからは告発よりは提言の時代であるとの方針を打ち出したことがある。ところがこの方針はその後一向に実現しなかった。第一線のジャーナリストの根強い抵抗が、現実に進行する公害の激化とあいまって、現実に合わない方針をふきとばしてしまったのである。今後もこの抗争はつづくであろうし、いつマスコミが方針を転換するかは予断を許さない。しかしその時まではあまり相手を過信することなくつき合ってゆくことは可能である。
ーー引用おわりーー
 
これを読む限り、70年代の中盤には、完全に信頼してはいないまでも「マスコミと共闘する可能性はあり」とみなされていたことがわかります。〈管理職層からの強いしめつけ〉に対して〈第一線のジャーナリストの根強い抵抗〉があった、ってところも興味深いよね。
 逆にいうと、現在の状況は、〈管理職層からの強いしめつけ〉が〈第一線のジャーナリストの根強い抵抗〉を凌駕してしまったということなのでしょう。本田勝一、田英夫、筑紫哲也といった往年の名物記者たちのことを考えても、もうちょっと会社と闘っていた感じはするもんね。
  
>こうしてみると確かに、日本のテレビメディアが健全に機能していたのは80年代前
半までであることは明らかですね(営利企業をスポンサーとしないNHKは、市場原理
による変質が民放より遅い)。

 うん、そうだと思う。広告費で運営されているテレビメディアはともかく、80年代までの新聞社はいまより相当マシだったと思います(「朝日ジャーナル」みたいな雑誌すら発行されていたわけですからね)。
 そういう「反体制」というか「反骨」の気分が失われたのは、(あくまでも勘ですが)90年代初頭の「バブルの崩壊」が大きかったのかもしれない。新聞や雑誌が売れなくなり、広告費に頼る割合が増えた結果、企業批判がタブーとなり、やがてそれが常態化していったのでないかな。
 NHKに関していえば、市場原理が働かないかわり、予算を政府に握られているから、政府からの圧力には弱い。そのへんは、企業に弱い民放と、どっちもどっちという気もしますが。
 
>菅は早くやめろと言う人がとても多い。でもならば聞きたい。この大事な時期に、首相
が交代しなくてはならないその理由を。僕にはさっぱりわからない。

 理由はわからないでもない。いわゆる「菅おろし」は与野党と産業界(のほとんどは原発推進派である)の陰謀でしょう。陰謀論には与したくないけれど、そうとでも思わないと辻褄が合わない。自民党は電事連と一蓮托生だし、民主党は電力総連とつるんでいるわけで、菅直人みたいな「動きの読めない首相」は、そりゃもう目の上のタンコブだろうからね。
 震災の直後から「リーダーシップがないない」と批判されてきた菅直人が、リーダーシップを発揮したときは2度あったと思う。1度目は記者会見で浜岡原発の停止を発表し(5月6日)、その後で発送電の口にしたとき(5月18日)。2回目は、玄海原発の再稼働の直前でストレステストの実施を発表し(7月6日)、その後に「脱原発依存」を口にしたとき(7月14日)。いずれも突然の記者会見だったわけだけど、与野党と経団連が示した反応は同じ。「唐突である」という批判だった。いいかえると「根回しが足りない」ということだよね。

 唐突なのは当たり前。根回しなんかしていたら、途中で潰されるに決まっているもの。
 菅直人という人は、首相なのにゲリラ戦を闘っているところがおもしろいと思うんだ。徒党を組んで、数に頼り、根回しによって人心を掌握していく従来型の政治家とは、方法論がまるでちがっている。不信任案まで出されても、のらりくらりと批判をかわし、与党も野党も敵に回し、孫正義とか知事会とかの「国会外勢力」と結託して、とにもかくにもここまで来た。
 菅直人以外のだれが首相になっても、原発政策は絶対もとに戻るに決まっているのだから、脱原発派の人は、菅直人を応援しなくちゃダメなんだよ、ほんとうは。
 ただ、将来のエネルギー政策に向けての方針は悪くなくても、もっか目の前で起きている放射能汚染問題(住民に対する対策であれ、食品汚染対策であれ)に対する対策があまりにも杜撰。そこが管内閣を完全には支持できない理由なんだけど……。 

福島における内部被曝がどんな状況になっているかについては、こんな証言もあります。
2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦
http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo&feature=related

 少なくとも自民党が政権をとっている時代だったら、こうはならなかったでしょう。彼らはもっと狡猾に、ある意味、もっと上手く事故後の処理をしたかもしれないけれど、しかしそのぶん、もとっと巧妙に情報を隠し、もっとうまく反原発の言論を封じ込めたような気がします。森くんがいうように、自民党に現政権を批判する権利なんかありません。

>もう一つ補足。最近の原発がらみの報道を見たり読んだりしながら気になることは、
「情報が錯綜していて何を信じればよいのかわからない」と怒る国民がとても多いこ
と。そう言って怒る人たちの多くは、「信じるべき情報がどこかに存在している」と
思い込んでいるのだろうな。

 思いこんでいるのでしょうね。
 私もたまーに講演なんかでメディアリテラシーの話をすると、必ず「では何を信じたらいいのですか」という質問が出る。「いままで話した90分はなんだったの!?」という感じです。
 ただ、情報を鵜呑みにしないための「自分なりの指針」をどうやってつくったらいいかわからない人が多いのも事実でしょう。「何もかも信じてはいけない」というより、必要なのは「価値のある情報をどうやって見分けるか」です。そのスキルはどうやれば磨かれるのか。メディアリテラシーについて語る以上は、そこまで考えないといけないのかなとも思います。

 八丈島へは「図書館まつり」という町のイベントで、話をするために行きました。私は森くんほどサービスがよくないので、講演みたいなものはたいていご辞退しちゃうんだけど、八丈と聞いたとたんに「行く行く」となったところが(笑)、われながら勝手です。
 飛行機でたった50分なのに別天地。南の島に憧れる人は、いまみんな沖縄や屋久島に行っちゃうから、伊豆七島は穴場かもしれません。八丈にも福島からの避難者が数家族いるとのことでした。
 
 以上、長くなりました。長いメールをどかんどかんと送り合うより、短めのメールを頻繁にやりとりするほうが、ほんとはいいんだろうなあと思いつつ。

 斎藤美奈子

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