現代書館

WEBマガジン 11/12/29


第三十三回 『僕のお父さんは東電の社員です』と北朝鮮

森 達也

斎藤美奈子さま

 日付を確認して驚いた。1カ月も間が空いてしまった。ごめんなさい。でもこれ、
半分は菊地さんの責任だからね。
 現代書館から新刊が出ました。タイトルは『僕のお父さんは東電の社員です──小中学生の白熱議論! 3・11と働くことの意味』。毎日小学生新聞に投書した「ゆうだいくん」の手紙が発端です。その手紙の書 き出しは、「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です」というフレーズから始まります。
 この書籍の解説を書いてくれないかと菊地さんに頼まれたのは、斎藤さんも二次会に来てくれた講談社ノンフィクション賞の受賞パーティのときでした。解説ならば大丈夫ですよとその場で引き受けたら、翌日に「字数はできれば四〇〇〇〇字」とのメールが届いて唖然とした。だってもう少し頑張れば薄い本一冊分だ。最終的に四〇〇〇〇字は無理だったけれど、刊行期日はもう決まっていると何度も泣きつかれて、ひいひい言いながら何とか書き終えました。でもいろいろしわ寄せが生じた。美奈子さんへの返信もその一つ。

 ……ここまでの記述は決して新刊の宣伝ではなく、遅れた事情の釈明です。書きながらあらためて思ったけれど、やっぱり菊地さんが、半分どころか三分の二は悪い。
 でも結果として良い本になりました。老練な菊地さんの策中にはまったという気がし
ないでもないけれど。

 今日の日付は11月16日。昨日はピョンヤンでW杯アジア3次予選があって、日本は北朝鮮に1対〇で負けたそうです。
「そうです」と伝聞で書いた理由は、実際に現地に行ったわけではないことに加え、サッカーについては関心も興味もないし、この試合の意味づけもよくわからないから。でも昨夜から今朝にかけてテレビや新聞は、この試合の結果をとても大きなニュースとして報道している。各局の朝の情報系番組は、ほとんどトップの扱いだった。以下はネットに配信されたスポーツ報知の記事からの引用です。

22年ぶりの平壌での試合。一つも空席のない客席は異様な雰囲気が漂っていた。
キックオフ1時間前にはバックスタンド全面に「勝て 朝鮮」という特大の人文字が
登場。開始直後から観客が総立ちになり、メガホンや太鼓の音が鳴り響いた。日本選
手が肩を組んで歌った君が代は、叫び声に邪魔されほとんど聞こえない。相手国の国
歌斉唱を邪魔するという前代未聞のマナー違反だ。

北朝鮮のマナーの悪さやスタジアムでの露骨な日本人サポーターへの制約については、テレビでもずいぶん報道されていました。ただ、つい最近北朝鮮に行って帰ってきた鈴木邦男一水会特別顧問のブログによれば、そもそもは経済制裁による渡航自粛を盾にする日本政府のほうが頑なで、直前になってやっぱりサポーターを同行させるという話になったものだから、それでは対応できないと北朝鮮をあきれさせたということになるようです。どちらが正しくてどちらが間違っているということではなくて、たぶんどちらの要素もあるのだと思う。つまりどっちもどっち。少なくとも当日の観客席の映像を見るかぎり、北朝鮮の対応があまりに大人げないことは確かです。
でも忘れていけないことは、この国はもう何年も前から北朝鮮に対して経済制裁を実施しているということ。つまり喧嘩を売っている。そう書けば「それは北朝鮮が危険なミサイル実験を日本に向けて行ったからだ」と言い返す人がいると思うけれど、2009年4月に北朝鮮が打ち上げたロケットは、(ミサイル防衛による迎撃を準備するなど日本は大変な緊張状態になったけれど)日本列島のはるか上空を越えて太平洋に着弾している。このロケットを日本政府は当初「飛翔体」と呼称していたけれど、打ち上げから三日後に「北朝鮮によるミサイル発射に抗議する決議」を衆参両院で可決して、以降はミサイルと呼称し始めて、メディアもこれに足並みを揃えます。だからおそらく多くの人は、発射されたのは(軍事的な)ミサイルだったと思っているだろう。
 でも海外のメディアや外電などのほとんどは、実験前も実験後も「ロケット」という表記を使っています。北朝鮮とは休戦状態にある韓国ですら、「ミサイル」の呼称や表記は使用していない。発射から8日後に国連安全保障理事会が北朝鮮を非難する議長声明を出したけれど、このときも声明文には「the recent rocket launch」(最近のロケット発射)と記述されていて、ミサイルという表記はどこにもない。ところが外務省はこれをリリースするとき、「最近のミサイル発射」と翻訳しました。
 そもそもミサイルとロケットの区別は曖昧です。共通することはロケットエンジンなどの推進装置を持つこと。違いは目的だけと言ってもいい。弾頭を装着すればミサイルになるし、観測機材や人工衛星など軍事的ではない機材を搭載すればロケットになります。つまり自己申告。実験の段階で判断はできない。そして北朝鮮は一貫して、人工衛星の打ち上げ実験だったと主張している。ならばこれをミサイルだったと断定する根拠はない。
 たとロケットだったとしても、多くの国民が飢えで苦しんでいるこの状況で、宇宙開発などやっている場合かよとは思う。思うけれど、ミサイルと断定することは別の次元です。どうしてもロケットと呼びたくないのなら、せめて飛翔体と呼び続けるべきでした。これをミサイル実験だと断定するならば、日本だって種子島でミサイル発射実験をさんざんやっていると指摘されても反論できなくなる。

 これを理由に今に至るまで経済制裁が発動され続けているのだから、(政府や軍上層部はともかくとして)国内メディアしか知らない一般の北朝鮮国民の感覚としては、またも日本に言いがかりをつけられたという感覚になって当然です。国歌斉唱の際にブーイングというマナー違反は論外としても、気持ちはわかります。
 ここまでの論旨に対して、「そもそもは北朝鮮が日本国民を一方的に拉致したからだ」と反論する人はいると思う。確かに経済制裁のそもそもの始まりは拉致問題でした。でもそうなると北朝鮮は、かつての植民統治や強制連行を挙げてくるでしょう。
 関東大震災後の朝鮮人大虐殺については、日本政府は謝罪すらしていない。秀吉の耳塚の話を持ち出されたら項垂れるしかない。
 つまり歴史を遡ったらきりがない(その意味では領土問題にも似ていますね)。
ロケットとミサイルの呼称で思いだしたけれど、今朝のテレビでは、試合後に歓喜する北朝鮮国民のコメントも放送されていました。そのほとんどは「将軍さまにこの勝利を捧げる」みたいなことを口にしていて、確かにここだけ見れば、身も心も金正日体制に洗脳されている国民たちという印象を持ちたくなる。
 日本の多くのメディアは北朝鮮国民が金正日を呼ぶときの呼称を、「将軍さま」や「指導者さま」などと翻訳します。確かに実際に彼らはそう呼んでいる。ただしハングルでは、目上の人に「さま」(ニム)をつけることは当たり前の習慣です。学校の教師は先生さま(ソンセンニム)で会社の社長は社長さま(サジャンニム)、そして将軍は将軍さま(チャングンニム)です。また日本のように身内の目上を外では呼び捨てにするという習慣もない。だからこれらの呼称を日本語に翻訳するとき、普通は「さま」を取ります。例えば韓国ドラマで生徒が先生を「ソンセンニム」と呼んでいたならば、字幕テロップやアフレコの原稿には「先生さま」とは書かない。日本の呼称にならって「先生」です。
でも拉致問題以降の日本のメディアの多くは、金正日の呼称である「将軍さま」や「指導者さま」からは「さま」を取らないことが普通になっている(昨夜見たニュースでは、NHKは「さま」をちゃんと外していた。でも民放は相変わらず「将軍さま」になっていた)。
確かに嘘ではない。実際に彼らは金正日を「将軍さま」と呼んでいる。嘘ではないけれど、ここには明らかな意図がある(ただし現場のディレクターレベルは、おそらく普通はニムを外すという意識すら持っていないと思う)。
震災以降、「東電と政府とメディアが一体化して国民に嘘をついている」との批判をよく耳にするけれど、東電と政府はともかくとしても、メディアは(基本的には)嘘はつかない。だってもしも発覚したらこれ以上ないほどのダメージを受けるし、嘘をついてまで誰かに何かを伝えようとか影響力を行使しようとの意識もメディアにはない。そのかわり「将軍さま」のように、事象の四捨五入を恣意的に行います。より刺激的になるように。視聴者や読者が喜ぶように。

>でも「動物や昆虫のドキュメンタリーを撮る制作者たちのほとんどには、そうした色気や野心はまずない」っていうのはどうなのかな。「感動的な映像をとりたい」くらいは思うんじゃない? 制作者に政治的な意図はなくても、受け手の側の問題はありますよね。
 
 もちろんです。「色気や野心」とは政治的な意味で使いました。それはないにしても、観る人を感動させたいとか喜ばせたいとの意識は常にあります。現状のメディアの最大の問題は市場原理という資本の論理に従属していることだけど、仮に市場原理が働いていなくても、個々のディレクターや記者が抱く「少しでも多くの人に観てほしい」とか「少しでも多くの読者に読んでほしい」などの願望は絶対に否定できないわけで、やっぱりサービス過剰になったり刺激性を前面に押し出す危険性は、動物ものにも間違いなくあると思います。
 それとこれもご指摘のとおり、安易な擬人化は避けるべきだと僕も思う。オオスズメバチに巣を襲撃されて必死に玉砕覚悟で立ち向かうミツバチの映像とか、僕がもし動物ものドキュメンタリーが大好きな独裁者だったら、いろいろ使い道はありそうだとほくそ笑むだろうな。

 そういえば鉢呂経済業相の辞任騒動、結局は「放射能つけちゃうぞ」なんて言っていなかったとの見方が濃厚なようですね。何だそれと思うけれど、言っただろと断定されたら言ったかもしれないと思ってしまう気持ちはよくわかる。冤罪の構図ですね。
三分の二は老練な菊地さんのせいですっかり時間が空いてしまったけれど、東北の城めぐりはどうでしたか?


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