現代書館

WEBマガジン 13/09/17


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第十四回

クロマグロ、オリンピック、投稿画像


件名 :初めてのゲストです
投稿者:現代書館 菊地泰博

 初めて斎藤さん、森さん以外の方に登場いただきます。
 以下の自己紹介をご覧ください。
 70年代を真直ぐ生きたひとりです。よろしくお願いします。


件名 :クロマグロの漁獲規制−低い経済的民度
投稿者:雪野建作 2013/09/11


 はじめまして。
 森さんとは昨年の連合赤軍40周年のシンポジウムでお会いしましたが、斎藤さんは多分私のことは御存じではないと思いますので、ごく簡単な自己紹介から始めます。
 1947年生まれ、学生運動で属していたグループが破局に至り、小菅の拘置所と九州の大宰府北の刑務所で計10年弱、国費留学していました。日本の農業問題にとくに興味がありました。
 1980年暮れに国費留学の年季が明け、以後は情報提供・ソフトウェア開発の会社を起業して現在に至っています。1989年に『原発大情報』という新聞記事を集めた本を三一書房から出したのを皮切りに、環境問題関係の出版やソフトウェア開発事業を20年ほど行いました。現在は戦線を縮小してIT、web関係の会社を続けています。
 他方、1987年頃から「連合赤軍事件の全体像を残す会」の活動を続けています。
 
 今回、最近気になったニュースとして「クロマグロ漁獲枠15%削減案」について思うところを書きます。
 クロマグロの漁獲は急減していますが、その原因は幼魚の乱獲です。養殖に使用されるほかは市場で値の付かないこともあるくらい乱獲され、結果として資源量が激減しています。その結果今月初旬の会議で15%の削減案で合意したものです。
 しかし、基準年は2002年から2004年で、実際には最近の漁獲量に対しては「増枠」になるという及び腰のものです。米国は25%削減を提案していたのですが。
 前年比50%削減くらいしないことには改善は望めないでしょう。
 これでは資源量の回復に至る可能性はほとんどなく、近い将来は一時のハタハタのように、絶滅に近い状態になるに違いありません。
 ウナギもそうです。
 日本は民度の高さでは世界で定評がありますが、こと経済的民度では近視眼的で「今が良ければよい」というその日暮らしの価値観しか持てないようです。
 子供のころ、「日本の漁業は世界一」と教科書で習い、いまもそうだと思っていたのですが、そのご凋落の一途をたどっていたのですね。昨年、北欧の優れた資源管理に基づく漁業の振興についての本(『日本の水産業は復活できる!』片野歩著)を読んで一驚を喫しました。かの地では漁獲量は上昇の一途をたどっており、漁船員は800万円の高給で短い漁期を終えたらレジャーを楽しんで人気の的、高性能の大型漁船が次々と作られて漁業は大資本の有力な投資分野になっているそうです。
 それもこれも、「大きく育ててから獲る」という観点から、漁業者には一定の漁獲量を割り当て、実際の漁獲量も魚箱に付けられたバーコードを読み取って水揚げ港で正確に把握して抜け駆けを防ぐという制度によって実現されたものです。漁船はGPS機器で現在地を正確に報告し、どこで何をどれだけ獲ったという漁獲内容もオープンにされます。
 昨年、三陸は志津川の若い漁業青年から聞いた話を思い出します。漁業の豊かな三陸では若い人が漁業に就労しており、彼もカキやワカメの養殖と民宿経営で張り切って仕事をしていたのですが、津波で民宿は流され、仮設住宅で再起を期していました。
 松島から石巻、女川、歌津と車で回った途中、インターネットで調べてアポをとり、お会いして話を聞いたのですが、その話では津波から1年経って、魚もカキもなにもかもびっくりするほど大きくなっているというのです。
 もちろん、漁業団体による資源管理はあり、カキやワカメの筏もそれぞれ面積が決まっているが、ひそかに筏を増やすものもいる、ムラ社会の中で角の立つ告発もされず、結果として乱獲が進んでいる、「この一年で獲り過ぎが諸悪の根源であることが証明された」といっていました。漁獲枠自体が大きすぎるうえ、実際の漁獲量を正確に把握する上でも抜け穴があるわけです。
 当初意図していたネット販売での協力は、復興補助金の仕組みのため漁獲は数年間は補助機関に全量おさめることになっているということで実現しなかったのですが、沿岸漁業の実態がわかってとても興味深いものでした。
 クロマグロはほとんど縁のない私ですが、ウナギもカキもワカメもなんとか食べ続けられて、漁業青年が希望をもって生きられるようにいなければならないと思います。

 宿泊した歌津の民宿は海抜20メートル位の丘にありました。1年経って静かな入江を望む丘には春の花が咲き、「すぐ下まで津波が来た」という事実が信じられない思いでした。しかし、小川の水門の機器はねじ曲がり、漁港は沈下して一部が海水につかっていました。
 この集落では、常々避難の訓練もしており、足の悪いお年寄りなどが数人亡くなっただけで済んだということでしたが、高台の民宿は避難所となり、電気が復旧するまで4か月もかかったと言っていました。
 毎年訪れて写真を撮って話を聞き、サイトで公開する予定なのですが、昨年10月に女川に行った後は仕事が忙しくなり、今春は行けませんでした。この秋には必ず行きます。サイトも早く公開しなければなりません。女川では公道を走れない50トンダンプが盛り土工事を始めていると聞きます。






件名 :オリンピックと画像投稿
投稿者:森 達也 2013/09/15


雪野さんご無沙汰しています。
 それにしても(決して皮肉でもなんでもなく)、かつて赤軍兵士だった雪野さんが今はIT会社を経営していて日本の漁業の未来について大きな危惧を表明する。……何か不思議ですね。でも不思議と感じる僕こそが、ステレオタイプに囚われているということなのだと思います。そういえば「日本のゲバラ」と呼ばれた滝田修さんを数年前に紹介されたときも、テレビ番組制作会社を経営していると言われて露骨に驚いてしまい、とても不作法だったと後で反省しました。

>日本は民度の高さでは世界で定評がありますが、こと経済的民度では近視眼的で「今が良ければよい」というその日暮らしの価値観しか持てないようです。
 
 これは昔から変わっていないのでしょうか。それとも最近は特にこの傾向が顕著なのでしょうか。
 そんなことを考えた理由は、オリンピックが東京に決定する前から、招致するその理由を経済効果で説く人があまりに多かったからです。前回の東京オリンピックのとき、僕は八歳だから小学校二年生くらい。だから確かな記憶じゃないけれど、経済効果を口にする大人はほとんどいなかったように思います。
 どちらかといえば、戦争を終えて経済復興を成し遂げつつある日本を世界の人に見てほしい、知ってほしい、そして日本に来た外国の人たちに日本の良さを実感してほしい、……そんな思いが強かったような気がするのです。
 今ふと思いついて東京オリンピックをウィキペディアで調べてみたら、東京オリンピックのテーマソング的な位置にある三波春夫の「東京五輪音頭」が大ヒットしたことについて音楽評論家の池田憲一が、「歌手は当然のごとく、自分の新曲が出ればその歌を熱心に歌って回るわけだが、当時の三波さんは、自分の新曲はさておき、どんな時も一生懸命『東京五輪音頭』を歌った。戦争に行き、シベリアで捕虜となっていた三波さんは、彼の言葉を借りれば、『日本は、日本人は、頑張って、こんなに戦後復興を遂げたんですよ、ということを、戦後初めて世界に示すイベントである東京五輪はなんとしても成功してもらいたいと思った』という思いが人一倍強かった。そういう強い気持ちが載った歌だった」というような内容の話をしたとのことです。でもおそらくこの気持ちはシベリア抑留帰りの三波さんだけではなく、当時の日本人全般の思いだったのじゃないかな。
 確かに経済は基本です。少しでも良い暮らしをしたいと人は願う。それは当たり前のこと。でもその当たり前さが、いつのまにか少しずつ剥きだしになってしまったような気がします。昨年末の衆院選で始まった自民党の圧勝についても、結局は原発や憲法よりも目先の暮らし優先の感覚が、投票の大きなモティベーションになったことは否定できないと思う。

 ここのところ気になるもうひとつは、ツイッターなどでアルバイト学生が公開した悪ふざけ映像が炎上して結果としてそのアルバイト先の店が休業したり閉店したりする現象。8月に船に乗っているあいだにもネットニュースではずいぶん目にしたし、昨日から今日にかけてすら、神戸の「靴下屋」では男性客が店頭展示用の筒状の靴下を剥きだしの股間に当てた写真をツイッターに投稿したことが発覚して、店側は投稿の削除を求めると同時に展示していた靴下約30足を廃棄して店内を消毒し、さらに男性を特定して損害賠償を求めることを検討すると話しているという。
 都内の個人営業のお蕎麦屋さんは、男性アルバイト店員が厨房の大型食器洗浄機に両足頭を入れた画像をツイッターに投稿して炎上したため(つくづくバカだ)、店は結局閉店することになったという。
 まずはこれほど報道が続いているというのに、若い世代の学習能力の欠如にはあきれる。新聞など読んでいないのだろうな。でもネットニュースくらいはチェックできると思うのだけど。自分の興味あるサイトしか見ないのかもしれない。一昔前、ネットにはあらゆる情報がマスメディアや権力サイドのフィルターなしに存在しているなどの記述をよく目にしたけれど、結局はこのレベルのユーザーが大半なのかもしれない。もちろんこの背景には、密室と公共のあいだを本人も気づかないうちにあっさりと越境してしまうネットの属性も働いている。
 でもそれらの要素を差し引いたとしても、この騒動についてはまだ違和感がくすぶる。要するに「なんか変だ」です。

 美奈子は高校時代のアルバムまだ持っているかな。3年7組か8組のクラス写真は、確か冬の古町(新潟市のメインストリート)で半裸になった男子生徒たちがポーズを撮っていたと思う。他にも男子トイレで撮ったりとかプロレスのマスクを被ったりとか、卒業アルバムだというのにやりたい放題やっていたように思う。
 もちろんこれらの写真は、少なくとも特定の人やお店に迷惑はかけていない。その意味ではツイッターに投稿して炎上する一連の写真とはかなり違う。でもそんなバカバカしいことや大人たちが眉をひそめるようなことを、むらむらとやりたい時期であることは確かでした。時代が変わったからといって、若い世代のそんな衝動が消えるとは思いづらい。おそらく彼らにとっての不幸は、自分たちのその時代に、ネットやツイッターやスマートフォンなどがこれほど身近にあることだろう。
 そして何よりも気になるのは、迷惑を受けたとされる店側の対応です。冷蔵庫で横になられたとか裸で椅子に座られたとか、洗浄や消毒くらいはまあ当然としても、閉店してしかもその被害総額をアルバイトに賠償請求までする意味がよくわからない。少なくとも閉店は過剰対応だと思う。でもそんな指摘は(身の回りでは)ほとんどない。
 最初のころに写真を投稿された店はすでに閑古鳥が鳴いていて閉店間近だったので、騒動にかこつけて閉店してアルバイトに損害賠償を請求したとの噂がある。まあこれもネットの情報。確かなことはわからない。でも(もし事実なら)そのプロセスが前例となった。そこに悪ふざけをするアルバイトは絶対に許せないとする民意が重なった。思いきり後悔させたい。退学や損害賠償で人生を台無しにしてやれ。そんな残虐な気分がこの現象の背景に駆動しているような気がする。
 とにかく一罰百戒。関西の大学生がテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」でボートをわざと転覆させるなどの迷惑行為をしてネット上に写真を投稿したときも、「こいつに制裁を与えよ」「絶対に許すな」式の書き込みが殺到してブログは炎上した。あるいはイタリアの世界遺産である大聖堂の壁に女子大生が落書きしたことが発覚したときも、日本の恥だなどと凄まじいバッシングが浴びせられた。このときは当の女子大生がフィレンツェまで謝罪に行き、あまりに過剰な対応だとイタリアの地元紙を驚かせている。
 2004年にイラクで三人の邦人が武装勢力に拘束されたとき、自己責任という言葉が独り歩きしたことを思い出す。思い起こせばあのころから、集団と違う動きをしたものに対しての懲罰意識が、とても強くなっている。
 つまり集団化。そして加速する同調圧力。最近は何を見ても聞いても、最後にはこの言葉に帰結してしまいます。自分でも辟易しているのだけど、集団の行動様式に見事に嵌るのだから仕方がない。

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