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WEBマガジン 25/05/30


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第163回

件名:朝ドラと戦争の描き方
投稿者:斎藤美奈子

森 達也さま

 最近の朝ドラは出来不出来が激しくて、3月に終わった「おむすび」は史上最低だったけど、その前の、24年4月期、三淵嘉子をモデルにした「虎に翼」(脚本・吉田恵里香)は世評にたがわず希に見る名作だった。
 「虎に翼」が稀有なドラマになり得たのは、朝ドラの定石である「女性の一代記」という域を超えていた点だったと思います。それに気づいたのは、三淵嘉子の評伝(青山誠『三淵嘉子――日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』など数冊)を読んだためです。 
 つまりどういうわけか評伝より、ドラマのほうがずっとおもしろいの。
 そもそも朝ドラは、私生活上の「不都合な事実」を物語から排除する一方、社会派的な要素はなべてスルーする傾向があります。
 小篠綾子を描いた「カーネーション」(11年10月期)では妻子ある男性との長年のパートナー関係をなかったことにし(一時的な恋人とビジネスバートナーの配役を二分した)、村岡花子を描いた「花子とアン」(14年4月期)ではヒロインの宗教的な背景や政治活動や略奪婚(後の夫と付き合い始めた時点で彼は既婚者だった)にふれず、牧野富太郎をモデルにした「らんまん」(23年4月期)では故郷に残してきた正妻を「姉」に置き換えることで、後に出会った愛妻との夫唱婦随の物語に仕立てた。結果、ヒロインは無難な「愛されキャラ」の範囲に収まっていました。

 ところが「虎に翼」は逆で、しょせんは「成功した女性の一代記」であるにすぎない評伝よりも、ドラマのほうが、とがっているし、社会派だった。
 初回の冒頭が、ナレーション(尾野真千子)による日本国憲法第14条の朗読ですからね。〈すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない〉という。
 安倍政権時代だったらこうはいかなかったかもしれないよね。その意味でも「トラツバ」は日本国憲法復権ドラマだったという評価もできるわけですが。

 ではなぜドラマのほうがとがっている、という逆転現象が起きたのか。
 清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』を読んで理由がわかった。清永聡氏はNHK解説委員で、ドラマの制作にもかかわっているんだけど、彼は次のように語っている。
〈三淵さんの評伝自体はいくつかあったんですが、それだと縦軸つまり、彼女の人生の物語は描けるけど、家庭裁判所の創設や少年法の問題や原爆裁判など、いわゆる横のイベントについてはあまり詳しくない〉〈「司法の歴史」を朝ドラで伝えたいという思いがありました。(略)女性目線あるいは庶民目線で見た憲法の問題であり、刑事司法の問題であり、民法の問題であり、家庭裁判所の問題であり、少年事件の問題であり〉というような。
 実際、同書所収の評伝(清永聡「三淵嘉子と家庭裁判所の時代」)は他の評伝とは明らかに一線を画していて、嘉子の実子や弟に取材しているほか、他の評伝には出てこない新事実もかなり盛り込まれている。つまりは長年にわたる執拗な取材の賜。原爆裁判のエピソードなんかなくてもドラマは成立するにもかかわらず、「横軸」を通すことで、時代を描くことに成功している。社会をどう描くかで、やっぱりドラマの質は変わるんだね。

 で、この4月から放送が始まった「あんぱん」(脚本・中園ミホ)です。
 放送開始からまだ2か月しかたっていないので、総合的な判断はできないものの、これもなかなか攻めているのでは、と思います。特筆すべきは「戦争の描き方」です。
 「あんぱん」は、やなせたかし夫妻をモデルにした物語ですが、史実とのもっとも大きな違いは、主人公の嵩とのぶが「幼なじみ」だという設定です。実際の二人は職場で出会うので、二人を幼なじみにしたのは成長期、青春期を同時並行で描くための創意工夫と思われますが、それはともかくヒロインの朝田(若松)のぶが、もっかスゴイことになっている。
 女子師範を出て小学校教師になったのぶは、女子師範時代、生徒全員で戦地に慰問袋を送るという自主的な活動が評価され「愛国の鑑」として新聞に載ったのを機に、いっぱしの「軍国婦人」「愛国婦人」になってしまった。

 「はようお国のためにご奉公したい」と綴り方に書いた子どもを「立派」と褒め、戦争ごっこをしながら「お国のために戦います」と口にする子どもにも「えらい、えらい」と応じる。 
 最たるものは、日中戦争で恋人(石材店で働いていた豪)が戦死した妹の蘭子まで「立派と言ってあげなさい。豪ちゃんの戦死を誰より蘭子が誇りに思ってやらんと」と諭してしまうところ。
 蘭子は「本気でそんなこと思ってるの。子供たちにもそう教えちゅうがかや? 兵隊になって戦争に行きなさい、命を惜しまずに戦いなさいって。豪ちゃんみたいに名誉の戦死をしなさい、戦死したら、立派やって言いましょうって」と言い返すも、のぶは「そうだ」と答えます。

 朝ドラはこの時代(昭和10年代)を描くことが多いので、戦時体制に直面するヒロインは珍しくないですが、しかし多くのヒロインは、反戦を口にする「非国民」ではないまでも、厭戦気分を色濃くもっていた。「花子とアン」の花子は、子どもたちに戦争のニュースは聞かせたくないという理由でラジオ放送を降板し、「ブギウギ」のスズ子は舞台演出に制限がかかって苦渋の選択を強いられる。つまりはみんな戦争の「被害者」という立場だった。
 ところが「あんぱん」ののぶは、戦後の価値観からいえば「戦争協力者」だし「加害者」の立場なんだよね。私が知る限り、ここまで「軍国婦人」を内面化させた朝ドラのヒロインは過去にいなかったと思います。ヒロインが国粋主義者では視聴者が感情移入できないから。
 でもさ、ほんとは、こっちが「リアル」なんだよね。
 ことにのぶのようなハキハキとして、自らの意思をもった子ほど戦争にはハマリやすい。

 重要なのは、ヒロイン(のぶ)パートは、創作だろうと想像されることです。 
 やなせたかしの評伝(梯久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』)によれば、やなせが戦争について語るようになったのは80歳をすぎてからだそうで、またやなせと出会うまでの妻(小松暢)ついては、あまりよくわかっていない感じです。
 ということは、あえて「戦争協力的なヒロイン」を登場させたことになる。
 朝ドラに限らず、日本のドラマや映画の多くは、主人公を被害者として描いてきたわけで、しかしそこには大きな欺瞞があったといわざるを得ない。その欺瞞を突破できたら「虎に翼」同様「あんぱん」も稀有なドラマになる可能性があります。
 もっかの「あんぱん」では、戦争で恋人を失った妹の蘭子と、過去の戦争の忌まわしい記憶をひきずっているらしいパン職人の屋村に「反戦派」を代表させ、また東京の学校で自由を謳歌している主役の柳井嵩を国粋主義者ののぶと対比させることで、バランスをとっているけれど、さあ、戦争が激しさを増し、嵩も出征するこの後はどうなるか。注目されます。

斎藤美奈子

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