現代書館

WEBマガジン 13/11/10


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第十五回

件名:「中悪」と「意志の勝利」?
投稿者:斎藤美奈子 2013/10/31



森さま、雪野さま、菊地さま

 菊地さんの矢のような催促に(これだけサボってりゃ当然ですが)おびえつつ、気がつけばもう10月も終わり。せめて10月中にアップします。

>日本は民度の高さでは世界で定評がありますが、こと経済的民度では近視眼的で「今が良ければよい」というその日暮らしの価値観しか持てないようです。
>これは昔から変わっていないのでしょうか。それとも最近は特にこの傾向が顕著なのでしょうか。

 きちんと検証したわけではありませんが、「この傾向」は周期的に上がったり下がったりするように思います。景気がよければ民度はアップ、悪ければ民度はダウン(単純すぎるけど)。その意味で、いまの経済的民度は最悪かもしれない。「経済成長」や「経済効果」はもはや宗教か強迫観念に近いものになっている。
 と同時にみんな、何かに苛立っている。「炎上」という現象はそのわかりやすい例でしょう。卒業アルバムはいま手元にありませんが、昔から若者は「バカ」をやることに決まっていて、大人もそれには寛容だった。苦笑しつつ見守る(自分もそうだったから)というスタンスが担保されてましたよね。
 ネット上のバッシングに走っているのは、でも真っ当な大人の社会人じゃないと思う。ネットに張り付いて人の批判している暇なんか、働いてる人にはないはずだもん。

 やや観点は異なりますが、ホテルのレストランにおける「食品偽装」が話題になっていますよね。「車海老」がブラックタイガーだったとか、「フレッシュジュース」が絞りたてじゃないストレートジュースだったとか、「自家製パン」を外部業者に委託してたとか。もうみんな、傘にかかって批判している。
 たしかにメニューの表示と中身が違うのは(厳密にいえば)褒められたことではないでしょう。でも、あんなに批判的報道を繰り返すほどの悪事なのかな。「見抜けなかった客の客」だし、もっといえば「おいしけりゃいいじゃん」だと思うけどね。「じゃあ値段を下げろよ」とは要求してもよいかもしれませんけれど。
 食品表示の世界は(特に魚介関係は)じつにいい加減、というかフレキシブルで、寿司屋の「アワビ」がじつは「ロコ貝」だったり、「赤貝」が「サトウ貝」だったりするのはザラ。日本産の「ハマグリ」はほぼ絶滅状態にあり、「ハマグリ」の名で売られている貝のほとんどは、とっくの昔からシナハマグリ(これもすでに希少)かチョウセンハマグリです(この命名もちょっとドキッとしますけど)。
 雪野さんがおっしゃる「マグロの乱獲」ほどではなくても、かつて日本人が普通に食べていた食材はもう当たり前ではなくなっている。漁業が壊滅状態で漁獲量が減った分、商社が介入した輸入品が増えているってことですよね。
 ウナギに関してはいえば「土用の丑の日にコンビニでウナギを売るのは止めろ」と思うよ。最近はコンビニのウナギも「予約制」が多くなりましたが、それでも全国のコンビニでウナギの予約をとったら、どうなるか。

 話を名称問題に戻すと、和名と異なる名の食材名も単純に「だまし」とか「偽装」とかは言えない。ブラックタイガーは車海老じゃないといいうけど、ブラックタイガーなんてな和名のエビはないわけで。あれは養殖のウシエビの商品名。ウシエビは一応クルマエビ科なんだしさ。新潟の高級魚「ノドクロ」だって和名は「アカムツ」だし。
 農水産物の名前には生物学的な和名のほかに地方名や商品名があり、文化の問題ともかかわってくる。というようなことを考えると、ああいうのにこだわる人は「美しい日本語」や「正しい日本語」にこだわる「標準語原理主義者」に近い気がします。
 それにそもそも、メニュー偽装なんていうのは「中悪」の部類でしょう。日本のメディアは「巨悪」を放置して「中悪叩き」に行くんだよね。ホテルのエビやジュースは糾弾するけど、TPPについては何も言わないんだから、どうかしてるよ。

 で、「巨悪」のほうですが、ぼやぼやしてたら、「ねじれ」解消後の安倍政権はどんどんひどいことになっています。企業減税とセットの消費税アップまでは予測できたとしても、特定秘密保護法案、解釈改憲による集団的自衛権の行使……。森君と「また床屋談義かよ」で笑っていられたころが、いまとなっては懐かしいです。
 共同通信の長めのコラム(現論)に書いた原稿を、以下アップしておきます。
 では、森くん、2日に新潟でお会いしましょう。

以下は共同通信配信のコラム「現論」に書いた原稿です。だいぶ時間がたっちゃったので、すでに「マヌケ」な感じですが。安倍総理の言語感覚はおもしろすぎて(むろん皮肉です)目が離せません。
……………………………………
 10月16日に招集された臨時国会の所信表明演説で、安倍晋三首相は「意志の力」というフレーズを4回使った。
 うち2回はパラリンピックで15個の金メダルを獲得した水泳の成田真由美選手をたたえた言葉。あとの2回は「強い日本を目指せ」というメッセージのためだった。
 「明治人たちの『意志の力』に学び、前に進んで行くしかない」「要は、その『意志』があるか、ないか。「強い日本」。それをつくるのは、ほかの誰でもありません。私たち自身です」
 「今の日本が直面している数々の課題」「これらも『意志の力』さえあれば、必ず、乗り越えることができる。私はそう確信しています」
 これを評した北海道、東北、関西など各地方紙の社説の見出しがふるっていた。「独り善がりが目に余る」「精神論だけでは打開しない」「避けた論点が多過ぎる」
 その通り! が、批判の仕方がまっとうすぎる。「意志の力」と聞き、私は腹を抱えて絶倒した。ある作品のことを思い出したからである。

 佐藤哲也『沢蟹まけると意志の力』(新潮社)は1996年の小説である(残念ながら現在品切れ。文庫化を強く望みたい)。主人公の沢蟹まけるは「意志の力」で卵の中にいる間に人間の姿になった蟹の子だ。と、そんな奇想天外な設定ではじまるこのナンセンス小説は、表題からもわかる通り、じつは全編これ「意志の力」を解説し、批評し、揶揄しまくった書なのである。
 たとえば、こんなエピソードが登場する。
 第2次大戦時、アルデンヌの戦いの最中、合衆国陸軍の大尉が軍曹に向かって叫んだ。「全速前進、砲撃を速力で振り切る」。「しかし、大尉」と軍曹。「それでは敵の目の前を横切ることになります」。「七秒で敵前方を突破する」「間に合うでしょうか」「間に合う。意志の力によって間に合わせるのだ」
 同じく第2次大戦時、連合軍がドイツ軍占領下のオランダに降下を試みたマーケットガーデン作戦で。「降下地点上空に達したので、作戦どおり降下を開始する」と命じる大佐。「しかし」と大尉がいった。「我々はまだパラシュートを支給されていませんが」「今回の降下ではパラシュートは使用しない」。「不可能です」「そんなことはない。意志の力で不可能を可能にするのだ」
 そして語り手はいうのである。「このように、特に戦時下においては意志の力に対する要請が大きい。これは戦闘という行為が日常性から逸脱し、同時に非手続き的であることによる」
 「意志の力」は理不尽な命令の代名詞。『沢蟹まける…』はナチス・ドイツを意識している。

 特に歴史に強くなくても、「意志の力」と聞いて世界中の人が連想するのは、レ二・リーフェンシュタールが監督した、34年9月、ニュルンベルクにおけるナチ党全国党大会の記録映画『意志の勝利』だろう。17日の代表質問で、民主党の海江田万里代表が「思い出したのは『意志の力』を好んで使った独裁者のこと」と指摘したのも当然といえる。
 ほら、ヒトラー自身もいっている。「兵器は錆び、隊形は時代遅れになる。だが意志だけはこの両者を何度でも復活させることができる」(平野一郎訳『続・わが闘争』角川文庫)
 戦時下の政府のパロディーみたいな安倍政権。麻生太郎財務相がいう「ナチスの手口」は政権の「意志」なのかも。安倍首相は「意志の力」で特定秘密保全法案を通し、集団的自衛権の行使に踏み切り、TPPを推し進め、いずれは「意志の力」で改憲を成し遂げるつもりなのだろう。東京五輪を勝ち取ったのも「意志の力」。東京電力福島第一原発の事故で出た汚染水も「意志の力」さえあればコントロールできると信じているにちがいない。
 『沢蟹まける…』はいう。「意志の力とは不可能を可能にする力ではない。不可能なことを可能だと断言する力である」 
 「意志の力」の日本的な表現が「進め一億火の玉だ」であり「欲しがりません勝つまでは」であろう。挙国一致を求めた戦時下の「国民精神総動員運動」を思い出す。

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