現代書館

WEBマガジン 14/02/18


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第二十一回

件名:都知事選問題の続き
投稿者:森達也 2014/2/14



 美奈子さま

 都知事選の結果は、結局は「U+H<M」ではなかったけれど、「U+H≒M」だったとは言えるんじゃないかな。若干Mの得票率がU+Hを上回ったようだけど、まあこの程度は(天候やその他諸々の要素によって生じる)誤差の範囲といえると思います。
 選挙以外にもいろいろ立て続けに事件や騒動が起きて、早く返信を書かねばと思いながら、なかなか筆が進まない(というかキーボードに向かう気になれない)。
 とりあえずもし書くのなら、

 都知事選の結果についての感想
 オリンピックへの熱狂への違和感
 音楽家のゴーストライター騒動(タイトルとしては他にまとめかたがあるような気がするけれど思いつかない)についての考察

 などを考えていたのだけど、なんかどれも今ひとつ。
 そういえばNHK問題だけど、籾井勝人新会長が「「慰安婦はどこの国にもいた」「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と発言して騒動になった後も(しかし前者ばかりが取りざたされるけれど、後者の発言のほうがはるかに深刻でどうしようもないレベルです)、百田尚樹経営委員が田母神候補の応援演説で他の候補を人間のくず呼ばわりして問題になり、さらに長谷川三千子経営委員は就任直前に朝日新聞社で自決した野村秋介への追悼文を書いていたことが明らかになって、これも大きな話題になりました。以下にその追悼文の後半から部分的に引用します。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 野村秋介氏が二十年前、朝日新聞東京本社で自裁をとげたとき、彼は決して朝日新聞のために死んだりしたのではなかつた。彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない。人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである。
「すめらみこと いやさか」と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 この記述が問題になったとき菅官房長官は、「日本を代表する哲学者」と長谷川経営委員を形容したけれど、少なくとも「ふたたび現御神となられた」との記述には理性が欠片もない。理性の欠けた哲学者など高所恐怖症のパイロットに等しい。彼女の専門は日本思想史であるらしいから、ならば哲学者ではなく歴史家や思想史家や宗教家に肩書きを変えたほうがいいと思う。
 そもそも田母神候補のかつての騒動のときも、麻生太郎首相(当時)は「幕僚長という立場としては不適切」とコメントしたけれど、ならば「個人としての発言なら適切なのですか」と記者に訊いてほしかった。今回も多くの人は「経営委員という立場としてはこんな発言をすべきではない」との見解を示したけれど、僕はそうは思わない。どんどん発言すべきだと思う。
 たとえ航空自衛隊のトップの位置にいようとも、NHKの会長や経営委員という要職に就いていようとも、思うことや考えることを表明する権利はいついかなる場合でも保障されねばならない。むしろ沈黙を許すべきではない。だって日本の防衛機構のトップの立場にいるからこそ、あるいはNHKという公共放送の舵取りの一人であるからこそ、個人的な思想信条はつねに表明され、多くの人の目や耳に晒され、あらゆる角度から批判されねばならない。そして場合によっては「ふさわしくない」として解任すればいい。こうした立場に就いたら個人的な思想信条を表明すべきではないとするならば、彼らが密室でどのようなことを言ったりやったりしているのかがわからなくなる。
 実際に田母神候補(ここまで書いてから気づいたけれど、もう候補との肩書きはおかしいな。でも今さら元幕僚長じゃ変だし、氏という呼称は好きじゃないし、他に思いつかない)は統合幕僚学校長時代に「歴史観・国家観」というタイトルの科目を新設して「新しい歴史教科書をつくる会」の役員や保守派の作家、大学教授などを講師に起用している。彼らは講座で、「現在の日本の歴史『認識』は日本人のための歴史観ではない」とか、「蒋介石と日本の衝突の背後には米英やソ連、さらにはコミンテルンの暗躍があった」などと教えていた。また入賞した論文が問題になったあとに、その論文と同じ趣旨の文章を、空自隊内誌「鵬友」に寄稿していたことも明らかになっている。
 でも誰も知らなかった。公にされなかったからだ。だから封殺すべきではない。むしろどんどん思想信条を語らせるべきだ。そのうえで判断する。その立場にふさわしいかどうかを。

 ……と書きながら、そのうえで判断する基準が、一昔前とはずいぶん変わってきているのだろうなと気がついた。日本国憲法を否定しながら天皇を現御神となったと称賛する長谷川委員の思想を、あるいはメディアへのテロ行為に賛同する人が公共放送の経営委員の位置にいることを問題視どころか賛同する人が、きっと(いや間違いなく)増えている。今の国会でも、生活の党の畑浩治議員からの「憲法の性格をどう考えるか」との質問に対して安倍首相が、「国家権力を縛るものだという考え方があるが、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考えかただ」と答弁したけれど、ほとんどニュースにすらならなかった。もう少し前であれば、これは絶対に大きなニュースになっていたと思う。
 いつのまにか軸がずいぶんずれている。
 補足するけれど、安重根を憂国の志士と称えて、自決の際にも誰も傷つけようとはしなかった野村秋介は、イデオロギーを超えてやはり傑出した人物だったと思う。でもそれとこれとは別。言論へのテロ行為は絶対に容認できない。自称哲学者の思想史家に言いたい。あなたはあまりに軽い。もっと歴史を学ぶべきだ。
 安倍政権はメディアと教育に手を突っ込みだしている。いやすでに「突っ込みだしている」の次元ではなく、完全にかきまわしている。これを見過ごすならばこの国の形は間違いなく変わる。いやもう変わっているか。


 美奈子はNHKの朝ドラは観ていますか? これまでの半生で最初から最後まで観たことは一度もないけれど、昨年は(途中からではあるけれど)「あまちゃん」を時おりは観ていて、そしてその勢いで、今の「ごちそうさん」は最初から観ています。きっとそんな人は他にも多いんじゃないかな。朝ドラって習慣だから。
 関東大震災を経て物語の現在の時世は昭和19年。つまり戦時下です。乏しい配給物資でどうやっておいしい食事を作るかで奮闘する主人公の話が主軸なのだけど、現状では悲壮感がまったくない。今朝もカレーうどんを食べていた。あんな贅沢ができていたのかな。大阪だからだろうか。『戦下のレシピ』を参考にすればいいのにね。
 それはともかく、このドラマでは今、もうひとつのストーリーの軸があります。言論統制。ちょうど昨日の回では、ラジオ番組に出演した児童文学者が、国民を戦意高揚させるフレーズばかりを書かされることに反発して騒動になるとのエピソードが、コメディタッチではあるけれど描かれていました。
 ある意味で定番的なストーリー展開。でも今のこの国の雰囲気を考えたとき、とても意味深な場面でもあると思う。
 NHKに知り合いは多い。みんな必死に番組を作ってきた。でも今は一様に元気がない。もう以前のような番組は作れないと言った人もいる。
 今の朝ドラのスタッフがどの程度の意識で番組を制作しているのかはわからないけれど、でも少なくとも今の放送は、明らかに時代に対しての抗いになっている。だから応援する。できるかぎりは観続けようと思っています。

 実は昨日、雑誌の企画で堀江貴文さんと対談しました。テーマは政治。当然ながら安倍政権の話になる。彼もまた、現状の政権の方向性について同意などしていない。でもまったく悩んでいない。なぜならこんな国家主義的な政治がいつまでも続くはずがないと思っているから。その前に外圧がありますと言っていたな。そして最後には、国家が個人にかなうはずなどないと明確に言いきりました。
 もちろんこれには補足が必要。かつては個人が国家にかなうはずなどなかった。でも堀江さんが言う個人は、SNSなどメディアと情報を手にした個人。情報の世界ではグローバリゼーションがこれほどに進んでいるのに、現政権が目指すドメスティックな国家主義が我が世の春を唄い続けられるはずがない。いずれ淘汰されます、との論理です。
 あまりに楽観過ぎるとの指摘もできるし、淘汰の前に取り返しのつかないことが起きるのではとの危惧もある。でも確かにたったひとりでアメリカを震撼させたエドワード・スノーデンのように、時として情報は武力よりもはるかに強い。少なくともこの半世紀でメディア環境が大きく変わったことだけは確かです。
 その変化が吉と出るか凶と出るか。今のこの国ではネットの負の側面ばかりが目につくけれど、地球規模で考えれば、確かに人類は今、大きなターニングポイントにあるのかもしれない。

 それにしても週刊文春最新号の巻頭特集のリード文「自称ベートーヴェン(笑)」はひどい。ひどいというか読みながら恥ずかしい。

【最新記事】
GO TOP
| ご注文方法 | 会社案内 | 個人情報保護 | リンク集 |

〒102-0072東京都千代田区飯田橋3-2-5
TEL:03-3221-1321 FAX:03-3262-5906