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WEBマガジン 14/08/19


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第二十八回

件名 :富岡とシルク遺産
投稿者:斎藤美奈子 2014/08/18

森 達也 様

 集団的自衛権の問題、首相のコピペ挨拶問題、辺野古の着工……。政治向きの話題はいろいろありますが、今回はヒマネタ。
 仕事を離れたところでの、私のもっか最大のお楽しみというか逃避先(?)はヘリテージング(近代化遺産を訪ねること)です。中世、近世の城もですけど、数でいえば、近代化遺産のほうがはるかにたくさん行ったと思う。炭鉱訪問も、その一環。春の五島列島教会巡りもその流れです。森君の平壌訪問にくらべると、ずーっと呑気ですね。ごめんさない。

 で、下は8月上旬配信の、共同通信に書いたコラムです。富岡製糸場の世界遺産登録については、いいたいことが山ほどあるのですが(いつかも、ここに書きましたよね)、悪口は封印して、夏休みのガイドっぽく書いた記事です(見出しと小見出しは記者がつけてくれたもの)。製糸は私が大学のゼミで勉強したテーマだったので、いまだに思い入れが深いのです。

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近代化支えた遺産は各地に──「富岡」に劣らぬ歴史

 「富岡製糸場と絹産業遺産群」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産に登録されたことで、にわかに注目を集める群馬県の富岡製糸場。夏休みに訪れてみたいと思っている人も多いのではないだろうか。
 日本初の官営模範工場として富岡製糸場が創業したのは1872(明治5)年。敷地内に当時のまま残る繭倉(よく写真で見るのはこれ)や工場は近代の産業史を知る上で貴重な遺構だ。
 しかし、一応強調しておきたい。日本の絹産業遺産は富岡製糸場だけでもないのである。
 初期の富岡製糸場は寄宿舎つきの職業訓練校に近い性格を持ち、ここで近代的な製糸を学んだ娘たち(伝習工女)が地元に技術を持ち帰り、殖産興業に役立てることを明治政府は望んだ。そして実際、日清戦争の頃を機にシルクは日本最大の輸出産業に成長、明治、大正、昭和戦前期を通じて日本は世界一のシルク生産国となった。
 古さでは及ばぬものの富岡に勝るとも劣らない絹産業遺産は、だから各地に残っている。
 その場に身を置くだけで荘厳な気持ちになれる寺社や城とちがい、近代化遺産を楽しむには多少の知識と想像力が要る。特にシルクは長い歴史と広範な地域にまたがり、養蚕農家から貿易業者まで幅広い裾野を持つ産業だけに、富岡だけでは完結しない。明治の開花期にスタートし、基幹産業としての一時代を築き、戦後は衰退の一途をたどったシルクは近代の栄枯盛衰を凝縮した産業ともいえる。むしろ日本の蚕糸業全体の中でとらえることが世界遺産の意図にかなっていよう。

▽製糸業の最盛期
 たとえば質量ともに最盛期の製糸業を支えたのは長野県である。
 とりわけ岡谷市はシルク産業遺産の宝庫といってよく、日本の蚕糸業を知るには必見の地だ。岡谷製糸発展の基礎を築いた林国蔵の旧宅ほかの近代化遺産に加え、8月1日には蚕糸博物館もリニューアルオープン。操糸機のすばらしいコレクション(創業時の富岡製糸場の操糸機も所有)を持つ博物館だけに、ぜひ一度は訪れたい。
 隣の諏訪市に残る片倉館は、富岡製糸場の4代目の所有者となった片倉製糸(現片倉工業)が労働者の慰安施設を兼ねて建設した昭和初期の建物で、重要文化財にもかかわらず、モダンな天然温泉大浴場に入浴することができる。
 埼玉県には富岡製糸場の姉妹工場ともいえる片倉の熊谷工場を一部博物館に転用した片倉シルク記念館(熊谷市)や、富岡製糸場の建設を指揮した渋沢栄一と初代工場長・尾高惇忠の生家(ともに深谷市)が残る。
 また蚕糸業を語る上で無視できないのが横浜である。ここは往時の生糸輸出の一大拠点港。蚕の紋章を壁にとどめる旧横浜生糸検査所(現横浜第二合同庁舎)が生糸とかかわりの深い建物なら、氷川丸は米国向けの輸出生糸も運んだ船。市民の憩いの場である三渓園は、生糸貿易で富を築き、後に富岡製糸場の3代目所有者となった原合名会社社長(原富太郎)の別宅だった。

▽忘れがたい地に
 近代化遺産を訪ねる楽しみは、レトロなたたずまいの魅力もさることながら、実物を目の当たりにすることで歴史がぐっと身近になることだ。
 旅と読書はワンセット。せっかく世界遺産を訪れても、見学しっぱなしではもったいない。予習でも復習でもいい、関連書籍を1冊読むことで記憶は定着し、そこは忘れがたい地に変わる。自分には関係ないと思っていた近代の歴史も不思議と頭に入ってくる。
 関連書籍としては和田英『富岡日記』(ちくま文庫)、山本茂実『あゝ野麦峠』(角川文庫)などがあげられよう。現地で販売されている資料も手に入れたい。
 製糸労働者の多くは、年端も行かない10代(現代でいえば中学生くらいの年齢)の少女たちだった。昆虫の繭を煮て糸を取るのだ。すさまじい熱気と臭気、そして騒音の中での過酷な労働。そんな歴史を感じつつ訪れれば、富岡製糸場も他のシルク産業遺産も、味わい深く見学できるにちがいない。
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 製糸業の奥は深いです。
 なんたって、黎明期から昭和戦前期までの日本の資本主義を支えていたのは、小中学生くらいの女の子だったのですからね(工場法ができて12歳以下の労働が禁止されても、低年齢化は止まらなかった)。それひとつとっても、健全とはいえない。
 富岡は、見に行っても、たぶん多くの人は「何がおもしろいんですか?」だと思う。それでも世界遺産に登録されたというだけで、人がわんさか押しかける。苦笑しつつも、これでみんなが近代史に興味をもってくれれば、と殊勝なことをいってみる。
 来月は新しくなった岡谷の製糸博物館と、前から登ってみたかった野麦峠に行ってみようと思ってますが、それまでは仕事がびっちり。やれやれです。



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