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WEBマガジン 16/01/04


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第四十五回

件名:あけまして、おめでとうございます。
投稿者:斎藤美奈子

森達也さま

あっというまに、2016年になってしまいました。
あけまして、おめでとうございます。

 前回のハノイでの貴君の感慨。
……………………………………………………………………… この夏、本当に心の底から、もうこの国にはいたくないと思ったけれど、やはりこうして異国にいれば、マイナンバーだろうが安全保障法制だろうがTPPだろうが原発再稼働だろうが、日本で暮らすことがいちばん楽なのだろうな、とは思う。
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 ハハハ、そりゃそうだよね。
 ジョン・レノンの「レボリューション」、なるほど、そういう意味だったのですね。
 それと似ている(似ていないか)話として思い出したのは、映画『青い山脈』の主題歌です。〈若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く〉という歌い出しの歌ですね。

 石坂洋次郎『青い山脈』が朝日新聞に連載されたのは1947年6月〜10月。東北(作者が教師時代をすごした秋田県横手市?)の旧制女学校を舞台に、新米女性教師の奮闘ぶりを描いた、これは学園小説です。1949年には今井正監督、原節子主演で映画化され、同名の主題歌もヒットしました(そういえば、原節子さんも亡くなりましたね)。
 劇中では教師役の原節子や生徒役の池辺良らが自転車で走るシーンにこの歌が流れています。なので、てっきり「青春ソング」だとばかり私は思っていました。しかし、いろいろ調べてみて、あれは「戦後民主主義の出発」を意味する歌だったんだ、と思うようになったのです。

 歌詞を具体的に見ていきましょう。
 〈若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く〉という歌い出しは、いささかオーバーですが、春の情景を想起させます。しかし、次に出てくる〈青い山脈 雪割桜〉とは何か。「雪割桜」という名前の桜は図鑑には載っていない。作詞者の創作らしいのです。
 ここで考えるべきは「桜」のイメージ転換です。
 西条八十は戦時中に「同期の桜」(作曲・大村能章/1938年・ヒットしたのは1944年)を作詞しています。〈貴様と俺とは 同期の桜〉という歌い出しで知られる「同期の桜」は、〈同じ兵学校〉や〈同じ航空隊〉の仲間同士を「桜」にたとえた戦争末期の流行歌です。〈咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため〉〈離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう〉と歌われているように、戦中の桜はもちろん「殉国美談」の象徴です。
 ただ、「同期の桜」は完全な軍歌ともいいきれない。「同期の桜」はじつは5番まであって、4番には〈あれほど誓ったその日も待たず なぜに散ったか死んだのか〉と、友人の死を嘆く心情が歌われている。軍歌のふりした反戦歌といえないこともないんです。とはいえ桜が死のメタファーだったのは事実です。
 そう考えると、雪を割って(雪崩が消えた後に咲く? 雪の中から立ち上がる?)「雪割桜」には「冬から春へ」「死から生へ」の桜のイメージの転換がうかがえます。

 でも、ここまでは前哨戦。問題は2番の冒頭です。
 〈古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら〉
 ここは、古い軍国主義思想(古い上衣)や、若者たちの死への憧れ(さみしい夢)との決別を意味している、といわれています。でもさ、もっというと「青い山脈」は日本国憲法の精神を歌っているのじゃないかと思うわけ。
 〈青い山脈 バラ色雲に あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く〉
 は憲法24条(両性の平等)の精神が読み取れますし、市井の人々を歌った3番の
 〈雨にぬれてる 焼けあとの  名も無い花も ふり仰ぐ〉
 に憲法11条(基本的人権)の精神を読むこともできる。
 『青い山脈』の新聞連載がはじまったのは、日本国憲法が施行された直後でした。小説にも憲法について教師が語る部分が出てきますが、「青くそびえる山脈」は理想を高く掲げた戦後民主主義(ないし憲法)のメタファーと取ってもいいんじゃないでしょうか。
 だとすると、4番の
 〈父も夢見た 母も見た 旅路のはてのその涯の〉
 は「亡き父や亡き母も夢見たであろう民主主義の時代がやっと訪れた」と解釈できます。これについてては社会歴史学者の筒井清忠が評伝『西条八十』でおもしろい意見を述べています。引用します。
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 対外関係からやむをえず戦争に走ってしまったが、日本はそうした(引用者註・民主主義的な)方向をいったんは歩み始めていた。従って、再び登場した自由と民主主義は「父も夢みた 母も見た」ものなのだということを若い世代の人にも認識してもらいたい。こうした感情がこの歌詞にこもっていると考えた方が整合的であろう。
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 戦争に突入する前の「大正リベラリズム」の記憶が「青い山脈」の歌詞には刻印されている、と筒井さんはいうのですね。だとすると、3番の〈青い山脈 かがやく嶺のなつかしさ〉は、青い山脈(という名の民主主義)が「帰るべき故郷」であることを示唆していることになります。西条八十ら大正末期〜昭和初期の自由な雰囲気を覚えている世代には、事実そうだったのかもしれません。
 
 国旗国歌法(1999年)が制定される前、戦時の記憶を背負った日の丸や君が代を新しい旗や歌に変えるべきだという議論が流行ったことがありましたよね。
 宝塚ファンの田辺聖子さんは「すみれの花咲く頃」(フランツ・デーレ作曲;白井鐵造訳詞;1930年)を国歌にしろと言っていて、それも素敵だなあと思ったのですが、いまなら「青い山脈」を国歌にすればいいのに、と私は言いたいな。
 森君の〈「No.9」と何度も囁くジョンの声に、思わず「やっぱり9条なのか」と言いたくなる〉のが妄想だとしても、そういう妄想は楽しいよね。
 年頭ぐらいは、怒りはしばし封印し、貴君にならって、前向きに平和を願う話を書いてみました。今年もよろしくお願いします。 



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