現代書館

WEBマガジン 16/03/08


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第四十七回

件名:いま私たちは〈アウェイ〉に届く言葉を持っているか?
投稿者:斎藤美奈子

森達也さま

菊地さんがやきもきしておいでです。ごめんなさい。
 今日が3月8日。3月10日(東京大空襲)と、3月11日(原発事故記念日)がまたやってきますね。もう5年だそうです。早かったのか遅かったのか。
 私も自民党は嫌いです。小学生の時から嫌いだったので年季だけは入ってます(笑)
 貴君と青木理さんの共著森達也 青木理の反メディア論』読みました。いまや言論界の良心というべきお二人の対談ですもの、もちろん共感するところ大でした。いつもながら正しいことをいってるなあ、すばらしいなあ、と(皮肉ではないです)。
 なんだけど、ここんとこ、ちょっと私は別のことを考えてたのね。
 つまり、日本はいつからこんなことになったのか、何が問題だったかということです。

 今江祥智さんという児童文学者をご存じでしょうか。昨年3月に亡くなったので、一周忌にあわせて、某児童文学評論雑誌が今江特集を組むことになり、私は作品論をおおせつかったのでした。
 今江さんの代表作は『ぼんぼん』という、最終的には4部作となる大長編小説です。大阪大空襲をいきのびた少年とその家族の物語で、要は戦争児童文学です。
 で、この『ぼんぼん』論を書くために、「二十四の瞳」「ガラスのうさぎ」「火垂るの墓」などなどの、戦争(児童)文学をまとめて読み返したのですが……。

 『少年H』という小説をご存じですよね。1997年にミリオンセラー(200万部も売れた)になった妹尾河童さんの児童文学作品で、最近(2013年?)も、水谷豊&伊藤蘭夫妻が父母を演じる映画が公開されて話題になりました(映画は私は見てない)。
 主人公は国民学校の高学年で、これは神戸空襲の中を生きのびた家族の物語です。つまり『ぼんぼん』と、いろんな意味で似通った本です。
 そして、私は『少年H』が嫌いなのです(笑)。これについては山中恒さんが痛烈な批判を加えているのですが(『間違いだらけの「少年H」』)、それはそれとして、たとえば『少年H』の次のような場面をどう思いますか。

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〈「新聞はウソばっかり書きよる」とHは腹を立てた。父親が、新聞を手にしたまま、「そら都合の悪いことは書かんわ。新聞が本当のことを書くと思わんほうがええよ。軍の検閲ということもあるけど、新聞社も戦争に協力する姿勢をみせとかな潰されるからな」といった〉
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 天才なんだよね、Hは。子どもなのに、戦時中に「新聞はウソばっかり書きよる」ってわかっちゃってるんだからさ。それに対して父が返す言葉も、正しすぎて泣きそうだ。
 そして私は、こういう描写を読みながら「これだから反戦平和教育は飽きられたのだ」と私は感じたのでした。
 『少年H』の問題点は、戦後民主主義的な観点を、戦時中の子どもに持たせちゃっていることです。戦後の価値観をもって、戦争を批判することなら、いくらだってできるわけ。でも、じゃあ戦争の渦中にいた人たちはどうだったのか。ほんとにこんなに立派な考えをもち、親子でこんな会話を堂々としていたのか。

 今江祥智の作品は、こういうストレートなのとは一線を画しています。
 『ぼんぼん』という作品には、「佐脇さん」という「元やくざ」のじいさんが出てきて、非常にいい味を出してるんですが、主人公(洋=ひろし)と佐脇さんが「情報統制」についてやりとりする部分は、こんな風に描かれている。

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 〈ぼんぼん、よう見なはれ、ノートの紙がどんどん悪うなっていってますやろ〉と佐脇さんはいった。〈なんぼでもある、と思ってはるもんでも、ある日急に、のうなってしまいますのンや〉。〈なんぼでもあるもん、いうたら、お米や紙ちゅうこと?〉と問う洋に、佐脇さんは自分の口を指さしていった。〈これだす、おしゃべりだす〉〈好きなことがおしゃべりでけへんようになりますンや〉

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 こいういう書き方、私は秀逸だと思うんだよね。
 佐脇さんは「元やくざ」なので、「抗争」については独特の体験的知見と嗅覚をもっていて、だから進行中の戦争についても、冷静な判断ができる。特異なキャラなのです。
 
 もう一箇所、日米開戦を知る場面はどうなっているか。
 こんどは、先に『ぼんぼん』から引用します。主人公の洋の一家が開戦を知るのは、泊まりがけで出かけて帰って来た日だったのですが……。

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 〈三人があがるのを待ちかねたように、佐脇さんは、きちんと坐って言った。「えらいことになりました。いくさだす」「いくさ? まさか、あんたの組のでいりがまた……」「ちがいますがな」。佐脇さんは、かしこまりながらも、強くさえぎった。「いくさだす。この日本と、米国、英国とのあいだのいさくだす」〉
〈「戦争かいな!」兄弟が声をあげた。「――そうだす。それも、もう始まって三日めだす。」「三日目やてエ!」「ほて、どないなってますのン」「なぐりこみがうまいこといって、いまのとこは勝ってます」「なぐりこみ? やくざはんのでいりみたいな戦争だンな」かあさんが、笑いたそうな顔で言った〉
〈佐脇さんは黙って、新聞を広げてみせた。〈戰史に燦たり、米太平洋艦隊の撃滅〉の大見出しの下、ハワイ攻撃の写真が全面にのっかっており、兄弟はくい入るように、その写真の下の説明の細かな活字に見入った。「おばあちゃんの言うてはったとおりやった……」かあさんが、へたんと坐りこんでつぶやいた〉
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 ちょっと長い引用で恐縮です。この場面も出色だと思うんだよね。
 戦争と「やくざのでいり」が錯綜するおかしさ。「〜だす」という断定的な語尾のリフレインがかもしだす、えもいえぬユーモアとトホホ感。
 では、『少年H』の日米開戦はどう書かれているか。

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 〈「臨時ニュースを申しあげます。臨時ニュースを申しあげます。大本営陸海軍部午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」;その放送は、Hが朝御飯を食べているときだった。とうとう始まったと思ったとたん、手が震えて味噌汁がこぼれた。お茶を呑んでいた父親は咳きこんでいた。母親が「アメリカ、イギリスと戦争になったん?」と聞いたが、二人は黙っていた。すぐに言葉が出てこなかったのだ〉
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 少年Hは天才なので、子どもだてらに何でも知っている。〈アメリカと戦争をしたら、日本は勝つ。アメリカ人には大和魂があらへんからな。早う宣戦布告したらええのに〉と息巻く同級生たちの言葉を聞いても、〈大和魂だけで勝てるのか? アメリカは天まで聳えるビルがぎょうさん建っている国やで〉とか考えるわけ。国際情勢を冷静に分析ができるほどの神童(としか思えない)なので、日米開戦もあらかじめ予測してるわけ。

 『少年H』のもうひとつの問題点は、描写がとことんステレオタイプであることです。そりゃーあんたの言ってることは正しいでしょうよ、でも、もう聞き飽きたよ、耳にタコができてるよ。そう感じる人がいたって不思議ではない。
 『少年H』の翌年(1998年)には、小林よしのりの『戦争論』がベストセラーになっています。『少年H』(に限らず、子どもむけに戦争を描いた作品はだいたいこんな感じなんですが)のようなステレオタイプ化した言説に、「飽きられた」結果が、歴史修正主義の台頭であり、右派的言説の急伸であり、憲法九条の軽視ではなかったか。
 反戦平和教育的な教材が、小中学校の国語の教科書にのるようになったのは70年代以降なんですが(だから私や森君は経験していない)、その命脈も、20世紀のおわりとともに終焉を迎えたのかもしれません。

 『少年H』は嫌いだっていったけど、この小説に出てくる少年や親は、私や森君が言いそうなこと(笑)ばかり言ってるわけ。で、それがムチャクチャ、うっとおしいんだよね。「そんなに何もかもわかってるんだったら、さっさと戦争を止めさせんかい!」とか思ってしまう。このようなタイプの作品を私は「立派な非国民」型と呼んでいます。
 そして私は、どうしたら、ステレオタイプ化を逃れた言葉や表現ができるのかと日々悩んでいます。
 私や森君(あと青木さんも)の言葉に「うんうん」と頷いてくれるのは「ホーム」の人たちじゃない? しかし、私(たち)は「アウェイ」に届く言葉をもっているのか。
 今江祥智は持っていたと思うのです。作家(文学作品)だから、フィールドはもちろん違っているんですけどね。
 というわけで、このたびは戦争児童文学の話でした。私の『ぼんぼん』論は次にでる「飛ぶ教室」に載るはずですので(季刊なので、まだかなり先だと思うけど)、よかったら読んでみてください。

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