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WEBマガジン 17/02/14


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第六十二回

件名:戦後レジームの国
投稿者:森達也

美奈子さま

 1月30日から一週間、ロッテルダムに滞在しました。およそ12時間のフライト。機内でようやく、映画『君の名は。』を観た。なるほど。確かによくできている。でも泣けなかった。機内で映画を観るとなぜか涙腺が緩くなる。このあいだはスタローンの『クリード』で号泣した。たぶん家でDVDの視聴だったら絶対に泣かない。気圧が低くなるせいだと聞いたことがあるけれど、でも機内の気圧も下がるものなのかな。何か腑に落ちない。
泣けなかったことはともかく『君の名は。』については、ヒットすることは当然だとの感想を持ちました。……と書きつつも、興行収入200億円(観客動員1500万人)を超えるほどの作品なのだろうかと、(半分は僻みであることを認めながら)思う。これを額面どおり解釈すれば、『FAKE』の300倍の価値ある作品となるわけで、さすがにそれには素直に同意できない。
 日本は世界一ベストセラーが生まれやすい国と聞いたことがある。あるいはブームが起きやすい国とも。誰かが読むから私も読む。誰かが観るから俺も観る。そうした傾向がとても強い国だ。
もちろんどの国でもベストセラーやブームはある。周囲に合わせるのは人間の本能だ。ただし日本人は、その傾向が少しだけ(いやかなり)強い。美奈子さんはタイタニックのジョークを知っている? 船が沈没するとき、その渦に飲み込まれないようにするために、海面に下した救命ボートで一刻も早く船から離れる必要がある。そしてそのためにはデッキから海面に飛び込まなければならないのだけど、タイタニックの海面からデッキまでの高さは五階建てのビルに相当する。簡単には飛び込めない。
そこでタイタニックの乗務員たちは、船がもし沈没するときに備えて、乗船している世界各国の人たちを海に飛び込ませるための講習を事前に受けている。ただし男女別。その男性版マニュアルによれば、アメリカ人の乗客の場合は、「いま海に飛び込めば、あなたはヒーローとして称えられますよ」と言えばいい。アメリカ人は躊躇うことなく飛び込むはずだ。イタリア人に対しては、「いま海面にきれいな女性がたくさん浮かんでいます」と耳打ちする。彼らは次の瞬間には海面に着水しているはずだ。ドイツ人に対しては、「昨日、お国で海に飛び込めとの法案が可決されました」と囁く。ドイツ人男性は一瞬だけ顔をしかめながらも、律儀に海に飛び込むはずだ。
最後は日本人。彼らに対しての殺し文句は何か。ここまでを読んだらわかる人もいるはず。正解は「みなさん飛び込んでいますよ」。これは日本におけるドメスティックなジョークではなく、世界の人が口にするジョークのひとつ。つまり日本人は、世界からそのように認識されているということになる。日本人の一人としては少々悔しい。でも認めざるを得ない。日本人は集団や組織との親和性が高く、自分の感覚や判断よりも周囲の動きに合わせようとする傾向が強い。だからこそ日本は一色になりやすい。一極集中で付和雷同。その結果として集団で大きな過ちを犯す。そして集団で失敗するからこそ、その責任やメカニズムを追及することが苦手だ。こうして同じ過ちが繰り返される。失敗するたびに誰が悪いのかと言い合いながら。
 安倍首相とトランプとの首脳会談については、多くの人が問題点を書いているからここでは省くけれど(アメリカのタイム誌が首脳会談後に、「日本の首相はトランプの心をつかむ方法を教えてくれた。こびへつらうことだ」との見出しを掲げたけれど、これにほぼ尽きると思う)、この少し前、国会で民進党議員から入国規制を宣言したトランプ大統領令についての姿勢を問われたとき、安倍首相は「コメントする立場にない」と答えている。メルケルやオランドなど多くの首脳が明確にトランプ批判の言葉を口にしているのに、日本の首脳は「コメントする立場にない」。情けないとは思うけれど、でも正直だとも思うよ。だって日本の難民受け入れは現状のアメリカ以下。ほぼ排除している。これほどに排他的な国はちょっとない。確かに批判できる立場ではない。

 そういえばスキポール空港では、入国手続きがあまりに簡単で驚いた。申告や手荷物のチェックすらない。パスポートを見せるだけ。オランダは三度目だけど、以前からこうだったのだろうか。記憶にない。でもとにかく今のこの世相で(イギリスやアメリカでは入国も出国も大変な負担だ)、この簡易さは驚嘆に値する。成田よりも楽だった。

 戦後レジームとは何か。どう考えても占領国であるアメリカへの従属体制だ。事あるごとに日本国憲法はアメリカの押し付けと自民党議員は発言する。憲法の捉えかたはともかく、アメリカ従属から少しでも離脱するというなら、まだ話はわかる。良好で緊密な関係を築きながらも、時には厳しく批判する。こうしたネイションシップを目指すというのなら、その理念はまったく間違っていない。
でも現状は逆。戦後レジームからの脱却どころか、現政権のありかたは露骨なほどに戦後レジームへの回帰と強化。今に始まったことではない。小泉政権下では、ドイツやフランスは強く批判していたのに、日本はアメリカのイラク侵攻を真っ先に支持した。支持どころか他の国への工作すら買って出た。ブッシュ政権を支持しましょうと。その結果としてアメリカはイラク侵攻を行い、ISが台頭した。
 そして現在。日本はますます戦後レジームを強化している。「属国」という言葉は過激すぎるので安易に使いたくはないけれど、首脳会談を終えた二人の満面笑みの2ショットを眺めながら、やはりこの言葉以外に思いつけないと思ってしまう。

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