現代書館

WEBマガジン 17/11/13


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第七十三回

件名:20年前のツケとしての2017年
投稿者:斎藤美奈子

森 達也 さま

 選挙結果の総括は森君だからねと釘を刺したつもりだったのに、炎上話でスルーされてしまいました。まったくもう(いや、その理不尽な炎上には深く同情しているんですよ)。
 もはや、すぎた話なので蒸し返すのもアレですが、大義なき解散総選挙といわれながらも、ふたを開けてみれは自民の圧勝。悪い予感が当たったというか、予想通りというか、いずれにしても、なんだかな、ではありました。
 しかし、民進党が3分割し、立憲民主党ができて野党再編へと動きはじめたのは、悪いことではなかったのではないだろうか。民進党は、もう完全に行き詰まっていた。あのままの体制で起死回生を目指すのは無理でしょう。

 小池&前原構想が出て来て政権交代を目指すと言いだしたときには、一瞬「おっ」と思ったが(小池百合子氏の構想はフェイクだったみたいですけど)、希望の党はろくなもんじないことが「排除」発言でバレてしまった。
 いまさらながらに思うのは、すぐに政権交代を目指すとか、そういうのは、あんまり考えないほうがいいんじゃないかってことですね。安倍政権の発足から、そろそろ5年。5年の間に、国会ばかりか日本社会は(メディアも行政も教育も労働環境も、ひいては人々の意識も)、土台から腐りはじめて、首相を取り換えたくらいでは修復不可能なところまで来ているように思います。だとすると永田町だけ見ていても、はじまらない。

 それと今回の選挙でつくづく思ったのは、民意を反映しない小選挙区制を変えないと、どうしようもないってことでしたね。今回の選挙の自民党の小選挙区での得票率は48%。しかし、小選挙区の議席占有率は74%。棄権者も入れた自民党の絶対得票率は25%で、自民党には有権者の4人に1人しか入れていない。
 ちなみに、じゃあ比例区はどうかというと、自民党の得票率は、いちばん高い中国ブロックでも39%。いちばん低いは北海道ブロックは29%だった。11のブロックを総合した数値は33%で、棄権者も含めた有権者比率はたった17%でしかない。
 もしこれが全国統一区の完全比例代表制だったら、465議席がどんな配分になったかを計算した殊勝な人がいてさ、それだと、こういう結果になるというんだよね(カッコ内は今総選挙後の実際の議席数)。

自民156(284) 立民93(55) 希望81(50) 公明59(39) 共産37(12) 維新28(10) 社民7(2) 幸福2(0) 大地1(0) 支持なし1(無所属22)

 ネットを検索していてぶつかったデータなので、完全かどうかはわからないけど、ざっと計算してみると、たしかにこんな数字になる。これだと国会内の景色は全然ちがうんだよね。自公は過半数割れで、どこかの党と(希望の党でしょうか)と連立を組むしかなくなる。あるいは野党が連立して政権交代という線もある。いずれにしても政治の状況は大きく違っていたはずなのよね。

 小選挙区制がどうやって導入されたか、大もとに戻ってみると、あれは90年代の政治改革論議の中で出てきたわけですよね。
 小選挙区比例代表並立制が導入されたのは1996年の総選挙から。法案が通ったのは1994年、非自民細川連立内閣のときだった。
 最近読んだ『村山富市回顧録』(岩波書店 2012年)にそのときの裏話が出てくるんだけど、これがまー、ひどいんだ。ひどいっていうか、今日みたいな状況になることを誰も想定していないんだよね。中選挙区制は金権政治になりやすい、クリーンな政治と選挙にしなければ、というのが当時の大義だったわけですが、社会党は不利になることがわかっていたから、党内には反対論が多かった。村山氏も反対だった。

 しかし、93年、宮沢内閣に対する不信任案が議決され、7月の解散総選挙を経て細川内閣が発足するわけです。ここに至る過程で、社会党は連立政権に入る条件として「小選挙区比例代表並立制を飲むこと」が求められた。社会党は、せめて「復活当選」のある「並立制」ではなく、純粋比例代表制に近い「併用制」にすべきだ主張していたんだけど、それも退けられてしまった。社会党は山花委員長の時代ですね。
 当時を思い出してみると、小選挙区制にしろというメディアのキャンペーンもすごかったよね。反対する人には「守旧派」のレッテルが貼られてさ。とうとう、社会党も押し切られて、あとはただの条件闘争。比例代表の定数をいかに増やすかが社会党の目標になってしまう。で、当初は、小選挙区250、比例区250だった配分案も、なんやかんやで、比例区はさらに減り、最終的には小選挙区300 、比例区200という数に落ち着いた、と。

 で、この数字は誰が決めたかというと、当時の細川護熙首相と、自民党の河野洋平総裁とのトップ会談だったというんですよ。
 つまり、小選挙区制を導入した「戦犯」は細川護熙と河野洋平。そして、山花の後に社会党の委員長になり、抵抗をあきらめてしまった村山富市、ということになるんだよね。現役をリタイアしたとはいえ、細川氏や河野氏は「安倍一強」政治をいま、舌鋒鋭く批判しているでしょ。もっといえば、小沢一郎なんかも、ものすごい勢いで安倍政治を批判しているじゃない? しかし、もとはといえば、あんたが音頭をとった結果だろ、って話でさ。
 なんという皮肉な結果だろうか。普通選挙によってファシズムへの道が開かれてしまった、みたいな感じである(ちょっとちがうか)。

 にしても、なぜこんなことになってしまったのか。要は、みんな浮かれていたんじゃないかと思うのよ。自民党が過半数を割って、目の前に政権交代のチャンスが来たものだから、当時の日本新党や「さきがけ」はもろちん、社会党まで浮き足だってしまった。当時は小選挙区制導入がトレンドだったから、それに乗っかるしかないだろ、と。
 細川さんや河野洋平さんは、深く考えずに小選挙区制を導入してしまったことを、いま深く悔いている、という話も聞いたことがある。

 思い起こせば、細川政権ができたとき、私もちょっと興奮したからな。2009年に民主党政権ができたときも、やっばりけっこう興奮したしね。 
 で、20年後の今日、こんなことになってしまったわけですよ。
 その気になれば選挙で政治は変わるんだ、という経験が日本の有権者に必要だったとは思う。しかし半面、政権が代わりさえすれば何とかなる、というのは幻想なんじゃないか。浮き足だって決めたことには、あとからツケが回ってくる。そんな気がします。
 長くなりました。まとまらないけど、今日はここまで。

斎藤美奈子

【最新記事】
GO TOP
| ご注文方法 | 会社案内 | 個人情報保護 | リンク集 |

〒102-0072東京都千代田区飯田橋3-2-5
TEL:03-3221-1321 FAX:03-3262-5906