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WEBマガジン 18/02/06


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第七十六回

件名:『不寛容という不安』『手紙は覚えている』と明治150年
投稿者:森 達也

美奈子さま

明治の負の歴史といえば、つい最近とても刺激的な本を読みました。
真鍋厚が書いた『不寛容という不安』(彩流社)。

キリシタン弾圧といえば一般的には、(遠藤周作の『沈黙』の印象もあって)江戸時代と考えがちだけど、実は明治初期にも江戸幕府や長崎奉行ではなくて明治政府によって相当に苛烈な弾圧があったことを、この本で知りました。結局は外圧でやめるのだけど、その間に拷問で殺害された信者もたくさんいた。
そしてもう一つは廃仏毀釈。神道(天皇制)を国家統合の基幹にしようと意図した明治政府は、仏教は外来の宗教であるとして仏教寺院や仏像・経巻などを強制的に破毀させて、多くの僧など出家者が還俗した。不思議なのは一般の民衆が国家のこの目論見に過剰に呼応したことで、多くの寺で焼き討ち的なこともあったらしい。もちろん史実として廃仏毀釈は知っていたけれど、日本中で何万もの寺院が仏像とともに徹底的に壊されたり焼かれたりしたとの史実は、その同調圧力的な攻撃性も含めてやはり衝撃的でした。
この二つを挙げながら真鍋は、IS(イスラム国)と明治初期の日本との共通性を提示します。具体的には改宗の強要、異教徒の殺害、そして破壊的なヴァンダリズム(文化の破壊)の実践。要するに、自分たちも100年とちょっと前には同じことをやっていたじゃないかということ。
もちろん、その趣旨は日本を貶めることではなく、世界中で悪のシンボルとして憎悪され忌避されているISの暴力性に内在する普遍性を抽出することです。だから(植民地主義と帝国主義が隆盛を誇っていた当時の世界で)明治政府だけが突出して劣悪だったわけではないけれど、少なくとも政府官邸が掲げる「明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した日本は、明治期において多岐にわたる近代化への取組を行い、国の基本的な形を築き上げていきました」については、あまりにご都合主義的でファンタジックすぎる視座です。
今さらだけど歴史認識は本当に重要。豊臣秀吉や安重根の例を挙げるまでもなく、どこから見るかで評価はまったく変わる。評価だけではなくて、キャラクターや人格も変わる。
結局のところ歴史は過去ではなく、今の視点の反映なのだと思う。見たくないこと認めたくないことはいつのまにか消えるし、都合のいいこと、知らせたいことは誇張される。人の個人史も同様だし、人類全般の傾向かもしれないけれど、今のこの国の傾向はちょっと強すぎる。都合の悪い歴史は否定して、世界が賞賛した日本とか世界に誇る日本人とかのタイトルのテレビ番組や書籍が急激に増えている。

その意味で同じ敗戦国でありながら、ドイツの歴史の記憶のありかたはやはり日本とは真逆。しっかりと自分たちの加害性や負の歴史を見つめている。それはそれで全面的に評価するけれど、でもドイツのこの姿勢は、ホロコーストの被害者であるユダヤ人の現在のスタンス(つまりイスラエルの正義)を正当化してしまうとのジレンマに陥りやすい。
最近では『否定と肯定』が話題になったけれど、ここ数年、ナチスやホロコースト、あるいはアイヒマン関連の映画作品が、とても増えています。もちろんその理由は、ファシズムや右傾化、独裁体制やレイシズムなどの台頭に危機感を持つ人たちが、特にヨーロッパやアメリカなど欧米の映画市場で増えているから。
でも同時に今の映画業界は、イスラエルのジレンマに直面しています。もちろん、ホロコーストと戦後イスラエルは分割して考察するべき。言葉としては是々非々。でも状況は連鎖している。持続しながら接合している。プリモ・レーヴィやダニエル・バレンボイム、最近来日したアミラ・ハスのように、戦後イスラエルの在りかたに疑問を持つユダヤ人は決して少なくないけれど、あくまでも少数派です。
二年前に公開された映画『手紙は憶えている(Remember)』は、このジレンマを見事に反転させながらクリアした作品です。もしかして観ている? 製作はカナダとドイツ。監督のアトム・エゴヤンは、亡命アルメニア系の両親のもとにエジプトに生まれ、今はカナダに在住するという複合的な背景を持っている。
映画について語ることは難しい。いわゆるネタバレは回避したい。ラストについては絶対に書けない。もしも美奈子さんがこの映画をすでに観ているならば、「それは書けないよね」と同意してくれるはずだし、これから観るのなら、観終えてから「書けなくて当然だ」と納得してくれるはず。とにかくそれほどに衝撃的で、意味深く、暗示的なラストです。人は組織に帰属することで変わる。優しくて穏やかなままで、これ以上ないほどに残虐で冷血になる。凡庸なままで殺人鬼になる。これはまさしく、アイヒマンが戦後世界に提示したメタファーです。
もうとっくにDVD化されているはずだから、もし観ていなければ絶対にお勧めです。

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