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WEBマガジン 18/06/08


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第八十回

件名:梯子とポピュリズム
投稿者:森 達也

美奈子さま

今回はちょっと硬いです。

「梯子を外された」
北朝鮮をめぐる日本の外交姿勢について、この表現を使う人は多い。たぶん僕もどこかで、この表現を何度か口にしていると思う。少し前までは「蚊帳の外」という表現が多かったけれど、その事態がさらに進んだというニュアンスだ。
訪米した金英哲朝鮮労働党副委員長と会談を終えた六月一日、トランプ大統領は「今後『最大限の圧力』という言葉は使いたくない」と発言した。つまりこのときも日本政府は梯子を外されたことになる。
この翌日に行われたアジア安全保障会議でも、北朝鮮への不信感をいまだにアピールし続ける小野寺防衛相に対して韓国の宋永武国防相は、「対話に支障を来す」と批判し、「度量の大きい決断をした北朝鮮を理解してほしい」と求めた。いわば梯子を外されて落ちたらそこは蚊帳の外、という展開だ。3日に開催された日米韓防衛相会談の共同声明からは、圧力という表現が消えた。この顛末を報じた欧米のメディアは、強気一辺倒の日本政府の現状を、きわめて批判的に報道している。
ずっと「最大限の圧力をかけ続ける」「対話のための対話は意味がない」などと安倍首相は公言してきたが、トランプと金英哲の会談は、まさしく金正恩委員長との対話のために行われた対話という位置づけだ。こうした試みを全否定するならば、事態が良好に進むはずはない。誰が考えてもそう思うはずだ。それなのになぜ安倍政権は梯子を上り続けるのか。
ただし梯子は一つではない。そもそもトランプが金正恩と話し合う意思があると公表したときも、やっぱり梯子は外されていた。その後にトランプが対談中止を発表したとき、安倍政権は(外されかけた梯子が戻ってきたとたぶん大喜びで)「日本政府は大統領の決断を支持する」と発言したが、直後にトランプは対談中止宣言を撤回した。まるでコントのような展開だ。この数カ月だけでも日本政府は何度も梯子を外されている。
こうした事態を引き起こす縦軸のひとつは対米従属。とにかく親分に言われるまま。焼きそばパンをおまえの小遣いで買ってこい、と言われても何も言えない。わかりましたと購買にダッシュして階段を転げ落ちて失笑される。ただし自民党の対米従属は今に始まったことではない。ある意味で日本の戦後史そのものでもある。
だから対米従属だけでは、安倍政権がこれほどに北朝鮮に対して強気に振舞おうとする理由がよくわからなくなる。外されかけた梯子に必死にしがみつきながら、でも思い切って梯子から飛び降りることもできない理由は何か。つまり縦軸はもう一つある。
拉致問題だ。
森友加計問題でこれほどにありえない事態が続いても、強硬に安倍政権を支持する層がある。それはほぼ信仰に近い。だからこそ支持率は三割以下に下がらない。
独裁的な政権に共通することだけど、安倍政権はきわめてポピュリズム性の強い政権だ。強硬に安倍政権を支持する層は、拉致問題を最優先せよと主張する層とかなり重なるのだろう。だからこそ政権はこの層を手放せない。自分たちの生命線なのだ。つまり北朝鮮に対して強気であり続けなくてはならない。このベクトルと対米従属のベクトルが絡み合うからこそ、事態はいっそう混迷する。日本は周辺国から取り残される。
実際に安倍政権は、「東アジアの安全保障や核問題よりも重要な拉致問題」「可及的速やかに核ミサイル、および日本にとって極めて大事な拉致問題の解決に向かう」などと何度も公式に明言している。なぜならば拉致問題が最優先と言ったほうが国内の支持は高まるからだ。そもそも安倍首相は拉致問題をきっかけに国民的な支持を獲得した。強気な姿勢が評価された。彼はそれを熟知している。だからこそ強気に振舞い続ける(補足するが、かつて拉致問題のスポークスマン的位置にいた蓮池透元家族会副代表は、安倍首相はむしろ北朝鮮に対して弱気だったが、世相が強硬であることを求めていると感じて路線を変更したと主張している)。
でも東アジアの安全保障や核の問題を押しのけて拉致問題解決を叫んでも、現実的には問題解決から遠のくばかりだ。まずは朝鮮戦争を終結させること。次に国交回復と経済支援の実施。そして人や情報の行き来の実現。こうした積み重ねが、拉致問題解決のための合理的なプロセスのはずだ。これを実践できないからこそ、もう何年も拉致問題は膠着してきたのだ。そして何よりも、南北朝鮮の戦争終結と東アジアの安全保障に日本の拉致問題を対置したとしても、世界にとってどちらが重要と判断されるか。それは考えるまでもなく明らかだ。
普通に考えればわかること。でも安倍政権を強硬に支持する人たちは、「朝鮮・韓国人の在日特権を許すな」とか「今の日本の大手メディアは韓国や中国に支配されている」などと本気で信じている人たちともかなりの領域で重なり合う。彼らの多くはアジアの安全保障や南北の戦争終結、核問題になど興味がない。もしかしたら拉致問題解決にも関心がない。優先するのは憎い北朝鮮をひどい目にあわせること。拉致という卑劣な手段で日本を加害した北朝鮮に正義の鉄槌を浴びせること。本音はむしろそちらにあるのかもしれない。
だからこそ安倍政権は強気な姿勢を崩せない。そして拉致問題の解決の日はますます遠ざかる。いわば拉致被害者やその家族たちが、その大義として利用されている。

……被害者を口実にする世論形成。
ずっと考え続けてきたことだけど、最近はまたこの状況が加速していると感じている。他に事例がある。それは次回に書きます。

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