現代書館

WEBマガジン 19/03/20


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第八十九回

件名:沖縄と、住民投票
投稿者:斎藤美奈子

森 達也さま

応答がだんだん後ろ倒しになって、とうとう今日は19日。ごめんなさい!
 この3月は「忙(しくて)殺(される)」とはこのことかというほど忙しく、毎日が崖っぷち(いまもまだ崖っぷち)のような感じでした。
 
 いろいろなことがあった2月3月ですが、私にとってインパクト大だったのは、辺野古の新基地建設にともなって埋め立ての賛否を問う、沖縄の県民投票でしたね。
 辺野古の新基地建設の問題もさることながら、これまであまり注目してこなかった「住民投票」について、考えるきっかけになりました。
 以下は琉球新報に頼まれて、投票日の前に書いた原稿の一部抜粋です(投票日2日前の2月22日の朝刊に載った)。

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 私が生まれ育った新潟県は現在、東京電力・柏崎刈羽原発の再稼働問題を抱えている。だが、いまから20〜40年前の新潟で「原発」といえば、巻町(現新潟市西蒲区)で建設計画が進んでいる「東北電力・巻原発」のことだった。
 巻町は、日本ではじめて条例にもとずく住民投票が行われた町である。巻原発建設計画の賛否を問う投票が行われたのは1996年8月4日。投票率88・29%。計画反対が61・22%、賛成は38・78%という結果だった。
 巻町は新潟市のベッドタウンで、原発建設予定地は新潟市にある私の家とも至近距離にある。が、白状すると、この件に私はさほど関心を払っていなかった。すでに東京で暮らしていて地元の情報に疎かったというのもあるけれど、「どうせ無理だよ」とどこかで投げていたのである。「だって保守的な土地柄だもん。原発建設計画を止めるなんてできっこないよ」
 ところが人口3万人の小さな町は、「どうせ無理だよ」という私の後ろ向きで浅はかな諦念を驚くべき強靱さで裏切っていく。
 自営業者らによる「巻原発・住民投票を実行する会」が発足したのは94年。以後、自主管理による住民投票、町議選、町長のリコール、新町長の選出。そんな紆余曲折を経て住民投票は実施され、そのまた7年後、建設計画が公になった69年から数えれば34年目の2003年12月、東北電力は巻原発建設計画を断念した。故郷を見る私の目も一八〇度変わった。やるじゃん新潟!
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 巻原発の建設計画が公になったのは1969年だった。
 私たちの高校時代には、すでに計画が持ち上がっていたわけだけど、よく知らないどころか、ぜんぜん関心なかったよね。転勤族のご子息である森君はともかく、私の家なんて、原発の予定地から20キロ圏内。事故を起こしたら、もろに帰宅困難地域だった。それでも関心がまったくなかったのだから、われわれの母校は、政治的にはダメダメだったのではないだろうか(私だけか?)。
 地元には何の関心もなかったのに、80年代(大学卒業後)には、反原発講座に通ったり、現代書館の本を読んだり、チェルノブイリ原発事故で大騒ぎしたりして、いっぱしの反原発論者のつもりでいたのだから、バカとしかいいようがないです。

 96年、巻町の次に住民投票が行われたのは、9月の沖縄県民投票で、これは「日米地位協定の見直しと基地の整理縮小」の賛否を問うものだった(投票率59・53%。賛成89・09%、反対8・54%)。以後、今日まで、住民投票というのは全国で400件を軽く越すほど行われているのだけれど、だいたいは地域限定の内容(ほとんどは市町村合併の賛否を問うもので、次に多いのは産廃処理場などの建設の是非を問うもの)。
 そのなかで、例外的に「国策」がからんでいたのが、巻原発以外では、吉野川可動堰建設の賛否を問う徳島市の住民投票(2000 年1月)と、米空母艦載機の岩国基地への移駐案受け入れの賛否を問う岩国市の住民投票(2006年3月)だった。

 詳しいことは省きますけど、しかし関係書籍(高島民雄『もう話そう 私と巻原発住民投票―計画白紙撤回まで34年の回顧録」・武田真一『吉野川住民投票―市民参加のレシピ』・井原勝『岩国に吹いた風―米軍再編・市民と共にたたかう』)を読んでわかったのは、市民が住民投票を実現させるのは、容易じゃないってことでした。
 住民投票条例の制定に向けた住民直接請求(有権者の50分の1の署名が必要)、条例を通すための議員選や首長選、事業推進派の首長や議員との戦い……。そこまでやって投票が実施されても、投票率が50%を超えなければ住民投票は成立せず、条例によっては開票すら行われない。巻原発や吉野川可動堰は結果的にストップはしたけれど、それは他のさまざまな要因がからんでの話で、そもそも住民投票には法的拘束力もない。

 それでも住民投票に意味があるのかといえば、やっぱりあるのよね。
 大きな意義のひとつは、「自分たちの意思を示す」という行為によって、住民の意識が決定的に変わること。もうひとつは、住民投票の結果が、外部の人の意識を大きくゆさぶり、場合によっては世論を動かすこと。
 先日の沖縄県民投票が、まさにそれだったと思う。

 辺野古の新基地建設を止めるのは難しいのではないかと、ちょっと前まではみんな思ってた。しかし、いまの感じだと、いずれ止めざるをえなくなるのではないだろうか。マヨネーズ状軟弱地盤にともなう、工期と工費の問題もあるしね。
 ということで、再び、琉球新報に書いた原稿の抜粋です。
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2013年12月、辺野古の新基地建設反対を掲げて当選した当時の仲井真知事が建設容認に転じた際には、本土の私たちも落胆した。が、同時に「やっぱりね」「建設を止めるのはどうせ無理なんだよ」と思ったことも否めない。
 だけど沖縄は屈しなかった。沖縄の有権者は翁長雄志氏、玉城デニー氏と、新基地建設に反対する知事を続けて選んだ。加えて埋め立て承認をめぐる両知事と国との攻防(いいかえると沖縄の抵抗)は半ばあきらめの境地にあった私たち本土の住人の意識を確実に変えた。「どうせ無理だよ」から「やるじゃん沖縄!」へ。それはかつて故郷を斜めに見ていた私自身の心境の変化とも重なる。
(略)
県民投票はすでに沖縄だけのものではない。そこで示された意思は、国会やメディアを含めた本土の人々の心をさらに動かし、大きな後押しになる可能性を持つ。そう、流れはここで変わるかもしれないのだ。
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斎藤美奈子

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