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WEBマガジン 19/06/14


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第九十二回

件名:穢れと浄め
投稿者:森 達也

美奈子さま

 船は昨夜からバミューダ・トライアングルに入ったらしい。多くの船が忽然と消えてしまうという魔の海域。…と小学校低学年のころに何かで読んだけれど、カリブの海は完全なほどに紺碧で穏やかです。
 乗っている船はピースボート。僕はニューヨークから乗船したのだけど、その日にハドソンリバーに停泊していた船のデッキでは国連の公式レセプションが行われていて、事務次長がスピーチしていました(予定では事務総長が話すはずだったのだけど、直前になって予定が合わなくなったらしい)。
 国連の公式行事が日本の民間の船で行われたわけで、その気になれば大きなニュースになってもよいのではと思うけれど、もちろん日本のメディアなどどこにもいない。そもそもピースボートに日本のメディアは冷淡だよね。ノーベル平和賞を二年前にとったアイキャンにしても母体はピースボートなのだけど、そうした背景を知る日本人はとても少ないのだろうな。
 まあこう書く僕も、10年ほど前に初めて乗船する前には、船上では夜な夜な乗客とクルーたちが「反戦平和」と染めぬかれたハチマキなどしてシュプレヒコールを上げている的なイメージがあって、何となく警戒心がありました。でも覚悟を決めて乗船して、自分の思い込みを大幅に軌道修正します。当り前だけど乗客たちは種々雑多なひとたち。自民党支持者もいれば共産党支持者もいる。原発再稼働賛成の人もいれば反対の人もいる。要するに日本社会とほぼ同じ。違いは日本以外の国籍の人がたくさんいること。だからある意味で坩堝状態。そういう人たちに僕の映画を観てもらい、夜には船内の居酒屋で議論する。なかなか充実した日を送っています。

 日本を離れる少し前、所要があって仙台で一泊しました。チェックアウトを済ませてホテルを出る。駅までは徒歩で十分ほど。しばらく歩いてから交差点で立ち止まる。目に入ったのは「奉祝」と「天皇陛下」と「令和」の文字が描かれた大きな幟。日の丸も見える。だからあらためて思う。元号は天皇制とセットなんだと。
 天皇制とは何か。もしも保守に質問すれば、日本の国体であって世界最古の誇るべき日本の王朝である、などと答えるのだろう。天皇制反対論者に訊けば、日本の諸悪の根源であって一日でも早く消滅させねばならない制度である、などの答えが返ってくるかもしれない。
 僕はどちらでもない。ただし天皇制については、その功罪も含めて、できるかぎりを理解したいとは思っています。これほど長く続いた理由は、権威ではあっても権力をまとわない存在であり続けたから。だからこそ時の為政者に錦の御旗として利用される。その極めつけが明治政府。現人神に規定された天皇は、疑似的な権力者になってしまった。ここから近代日本の過ちが始まる。
 天皇制の基盤である神道は八百万の神が示すようにアニミズムです。教義はない。教えを説く宗教指導者もいない。ただし教義はないけれど、神道には重要なテーゼがある。
 なぜトイレをご不浄と呼ぶのか。女性を大相撲の土俵にあげてはいけない理由は何か。なぜ古事記におけるイザナギは黄泉の国からイザナミを救えなかったのか。なぜ被差別部落に生まれた人たちは、差別され迫害されてきたのか。なぜ葬儀に参列した人たちは塩で自分を浄めるのか。地鎮祭で塩や酒が果たす役割は何か。
 要するに穢れと浄めの思想。この概念は日本人の生活や習俗に深く結びついている。そして神道におけるヒエラルキーのトップに位置する存在が天皇です。要するに浄めのシンボル。穢れ思想が意識下で息づいているからこそ、日本人は天皇制を自分たちと切り離すことができない。それを理解したからこそ、GHQは天皇制を存続させることを選択した。だからこそ元号は今も残っている。 
 令和で盛り上がるメディアや社会を一概に否定するつもりはないけれど、でも令和や天皇陛下万歳などと書かれた横断幕や幟を掲げながら、渋谷の交差点でカウントダウンで跳びはねながら、出典は万葉集などとドヤ顔で発表しながら、ふと穢れと浄めについて考えるくらいはしてもいい。そんなことを思いながら、東京行きの特急に乗り込みました。それから数週間が過ぎて、今はカリブの海の上にいて明日はジャマイカ。令和なんてどうでもいい。というか忘れかけていた。今はそんな気分です。

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