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WEBマガジン 19/07/16


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第九十三回

件名:天皇制のこれから
投稿者:斎藤美奈子

森 達也さま

 ピースボートの旅からはお戻りになられましたでしょうか。
 菊地さんのリクエストもあったので、もう少しだけ天皇制の話をします。前回はテキトー感想文でしたので、もう少し真剣に。

 突然ですけど、明仁天皇自らが国民に向かって直接退位したいと表明したときの「おことば」(2016年8月8日)の内容って覚えています?
 私は正直、何の興味もなかったので、「おことば」の内容なんかどうでもよかったし、まったく気にしていなかった……ということ自体が、この国の国民と天皇との向き合い方をよーく表しています。簡単にいえば「思考停止」ってやつです。
 森君は前から明仁天皇に関心をもっていたので違うと思うけど、この国の大多数の人は天皇制、あるいは皇室に対して思考停止だったと思うんだ。多くの人は無条件に「ありがたい一家」と思ってるだけ。セレブを見る目とほとんど同じ。
 そうじゃない、反権力的ないし旧左翼的な発想の持ち主は、「左翼の流儀」として当然のように「天皇制なんかいらないじゃん」と言ってきた(私もそうだった)。特に昭和天皇の時代は、戦争責任の問題があったからね。そして「いらないじゃん」の一言で片づけることで、考えることを放棄してきた。

 その結果、平成の30年間を通じて非常におかしな「ねじれ」が生じたわけですよ。左派リベラルが(自分たちと同じ)「護憲派」「平和主義者」「戦後民主主義を重んじるリベラリスト」としての明仁天皇に妙なシンパシーを持つっていう。
 何度もいうけど、森くんもその気配があったじゃない?(ないとは言わせない。笑)。それ、私にはすっごく違和感があったんだよ。
 先日、伊藤智永さんの『「平成の天皇」論』(講談社現代新書)という本を読んで、その理由がわかった。著者は毎日新聞の論説委員で、やっぱり明仁天皇をたいへん高く評価し、〈平成の天皇は、思想家だった〉とまでいっちゃうわけ。〈ただ「ある」のではない、象徴に「なる」のであるという思想を創造した〉とかさ。〈譲位は象徴制を続けていくにはこれしかないと天皇自身が突き詰めた戦略である〉とかさ。
 もうほとんど「個人崇拝」に近い。一歩まちがえば天皇の神格化だ。この明仁論が問題なのは「この国の主権者は誰か」っていう視点が抜け落ちていることなんだよね。
 明仁天皇夫妻の好感度が高いのは事実だとしても、象徴天皇制って、そもそもは「天皇個人の思想」を封じる策だったんじゃないですか? 「保守的な安倍政権」に敵対する存在としての「リベラルな天皇」を彼は称揚しているのだが、逆ならどうだったのか。「リベラルな政権vs保守的な天皇」という構図だったらどうなのよって話です。

 で、3年前の8月8日の「おことば」です。
 そこで天皇は自らの務めとして、「国民の安寧と幸せを祈ること」と、「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」の二つをあげた。要するに「宮中祭祀」と「行幸(福祉施設や被災地や戦争激戦地への旅)」ですよね。
 なるほどそれが「象徴の務め」であったのか、とは思ったが、そこに含まれている問題点にはあんまり気づいていなかった。
 行幸の問題点については原武史さんが『平成の終焉 退位と天皇・皇后』(岩波新書)で縷々指摘しているところですが、追悼の旅の訪問先だけ見ても、じつは相当なバイアスがかかっている。前回も書いた通り、日本軍が壊滅的に敗北した島(沖縄、硫黄島、サイパン、パラオ、フィリピン……)には行っても、加害の地(柳条湖、盧溝橋、南京、武漢、重慶、真珠湾……)には行っていない。いくら「おことば」で「深い反省」を示しても、加害の歴史と真摯に向き合っているとはいいがたい。
 一方で、福祉施設は多数訪れているけれど、精神障害者施設や刑務所は訪問先から除外されている。海外の日系人の施設は訪れても、 国内の在日外国人の施設には行っていない。つまりそこには、巧妙な選別と排除の論理が働いているのよね。
 一方、じゃあ宮中祭祀についてはどうかというと、こっちはこっちで根本的な矛盾がある。神道の流儀で「国民の安寧と幸せを祈る」といわれても、そんな流儀で祈られても困るという国民(主権者)はいるだろうし、そもそも政教分離の原則ともズレている。歴代首相が新年に伊勢神宮に参拝するのだって本当は変だしさ。象徴天皇が特定の宗教と結びついて、それが権威の源になるって、近代国家としてはどうなんですか?

 ここまでが平成というか明仁天皇の話で、じゃあ今後はどうすべきなのか。
 ポイントは2つ。(A)天皇制の存続論と、(B)存続させるのだとしたらどんな天皇制が望ましいのか論、ですよね。

 Aに関していえば、廃止論者には、思考停止に近い「なくていいじゃん」派から菅孝行さんみたいな本気の廃止論者までの幅があるわけだけど、それはそれとして、天皇制はすでに有史以来最大の存亡の危機に立っている。だとしたら、年来の天皇制廃止論者(共同通信の世論調査では4.8%)は、この「好機」を逃さず、いかにしてこの国を共和制に移行させるか、マジメに、具体的に議論すべきではないだろうか。
 辛うじて今は悠仁親王が残っているとしても、存亡の危機はその先も続くし、皇族の数が減れば、ひとりひとりにも相当な負担を強いる。ならば「いっそ天皇制をなくしませんか」という議論が出てきてもおかしくはないのよ。
 そしたらもう「護憲」とかは言ってられない。憲法1条改正への道筋をいかに敷くかですよ。少なくとも、皇位継承者がひとりもいなくなった場合はどうするか、という規定を皇室典範に入れておくべきでしょう(実際、ベルギーのように、そうした規定のある国もある)。天皇制廃止論は、ついに具体化の時代に入ったんだよ。

 とはいうものの、現状においては大多数(共同通信の世論調査では80.9%)の人が「今の象徴のままでよい」と考えている。つまり「象徴天皇制の存続」が主権者の意志。だとしたら、主権者としちゃ、Bについてちゃんと考えたほうがいい。 
 これについては、ケネス・ルオフ『天皇と日本人』(朝日新書)がおもしろかった。著者はアメリカの天皇制研究者で、この本にも「ハーバード大学講義でみる『平成』と改元」というサブタイトルがついているのだけれど、「外から見ればこうなのか」という視点がいろいろ新鮮だった。

 まず明仁天皇の退位についてですが、じつは国王の生前退位は2000年代のトレンドだったんだね。2006年〜14年に、ブータン、オランダ、カタール、ベルギー、スペインの5カ国で生前退位による王位が継承されたのだそうだ。おそらく明仁天皇も同世代の王たちのふるまいを参考にしたのではないだろうか。
 と考えると「なーんだ」って感じがしません? 明仁天皇はグローバルな流れに乗っていたのか。と思うと、いっきに風通しがよくなる。
 しかも、生前退位をした国は、どこもその機にけっこうな「王室改革」をやってるわけ。ブータンは日本をモデルに、絶対王政から議会制民主主義+象徴王制への大転換を果たし、オランダの新国王は「陛下」という称号をやめてくれと述べて王室がいっきにカジュアル化し、多言語国であるベルギーの新国王は3カ国語で宣誓を行った。
 新しい路線を続々と打ち出す各国王室の流れに、日本も連動すべきだとルオフは言っている。日本人は天皇制を特別な制度と思っているけれど、外から見れば、日本の天皇制もイギリスやスペインやベルギーなんかと同じ「象徴君主制」でしょって話なんだよね。

 そうすると、望ましい天皇制の、少なくとも方向性は見えてくる。
 まず皇位継承者を男系男子に限るという、バカな縛りをやめる(世論調査をみても、共同通信は79%、朝日新聞は76%、産経新聞は64%が女性天皇に賛成)。スウェーデンもオランダもデンマークもノルウェーも男女の別のない長子相続なんだし、雅子皇后が苦しんだような男子出産のプレッシャーからも皇室女子は解放される。
 女性宮家の創出もありでしょうね(朝日は50%、産経は69%が賛成)。ただし現状では、秋篠宮家の長女をはじめ、皇室女子はみんな、さっさと降嫁して、不自由な皇室を出たいのではないか。それは止められない。解放してあげたほうがよい。それでも、もし現段階で女性宮家をつくるなら、交換条件として、真子内親王の恋愛結婚は認めるとかじゃないですかね。彼女の両親も伯父夫妻も、祖父母もいちおう恋愛結婚だったわけだしさ。
 上記2点が実現したら、いまだに日本に残る男子優先の家制度の残滓は、かなり払拭されると思います。国際的なイメージアップ効果もで絶大でしょう。

 その上で、徳仁天皇&雅子夫妻はどこを目指すかというと、ともに留学体験があり、先代よりもはるかに国際的な経験を積んでいる二人は、ルオフもいっているようにグローバルな時代にふさわしい「国際派」の天皇皇后をめざすのが正解だよね。 
 先代が果たせなかった「加害の地」への訪問も、国内のマイノリティとの交流も、主権者が望めば、令和の時代には果たせるかもしれない(そのためには、まず政権を取り換える必要があるけど)。明仁天皇夫妻のように「いつも二人で」行動する必要もないし、天皇は天皇、皇后は皇后で、それぞれの得意分野を生かせばいい。
 ちなみに朝日新聞の今年4月の調査では「新天皇に期待する役割(複数回答)」として、次のような答えが出てました。

・被災地訪問などで国民を励ます 66%
・外国訪問や外国要人との面会  55%
・戦没者への慰霊など平和を願う 52%
・宮中祭祀など伝統を守る    47%
・国民体育大会など国民的な催し出席 36%
・国会召集など国事行為に専念する 21%

 この調査結果がおもしろいのは「宮中祭祀」と「国民的な催しへの参加」は、それほど期待されてないってことですね。つまり主権者の意志にしたがえば、この二つは縮小しても廃止してもかまわないのよ。先のルオフも、人種的にも宗教的にも多様化するであろう日本の将来を考えるなら「神道の祭祀(宮中祭祀)」も再考すべきだと言っている。
 もちろん右派は大反対するだろう。しかし、天皇の生前退位だって、そもそも右派は大反対だったのだ。つまり変えようと思えば、なんだって変えられる。
 ただ、いずれにしても、象徴天皇である以上、彼らが向かうべき方向性は、政府でも宮内庁でも天皇個人でもなく、主権者の総意で決めること。上記の朝日のような意識調査は、むしろ国が率先してやるべきだよね。その結果が天皇の行動や今後の天皇制に反映されるとなれば、思考停止から多くの人が脱却し、神秘性も減り、ただたんに「ありがたがる」のではなく、存続論も含めた天皇制のありかたを主体的に考えるようになるのではないだろうか。天皇制も是か非か、黒か白かだけではなく、まだまだ改良の余地があるってことです。

すみません! 長くなりました。今日はここまで。

斎藤美奈子

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