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WEBマガジン 19/09/27


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第九十五回

件名:天皇不在のナショナリズム
投稿者:斎藤美奈子

森 達也さま

前回の続きから。

〈やっぱり天皇制というシステムは危険です。いや制度そのものというよりも、天皇や皇后に対して涙を流しながら手を合わせたり日の丸を振りながら日本国万歳! 天皇陛下万歳! と叫ぶこの国の人たちの意識は危険だと思う。〉
 
 ですね。私もそうだとは思う。
 結局それは、日本国憲法の時代になっても、大日本帝国時代の意識を日本人は完全に払拭しきれていないってことだよね。今のところ日本人が望んでいるのは象徴天皇制という「民主的な天皇制(形容矛盾ともいえますが)」で、「天皇陛下万歳!」と叫びはしても、さほど「危険」な形で作動してはいない。しかし、一歩まちがえば……という気はするよね。嫌韓を煽る政府と、それにまんま乗せられるメディア、あるいは「あいちトリエンナーレ」への補助金不交付問題なんかを見ていると、すでに戦前なんじゃないかという気がしてくる。さかのぼれば、これも自分の手で自国の失敗(天皇の戦争責任を含む)を裁けなかったツケなのだろうか。

 ただ、平成の30年を通じて顕在化したのは「天皇の権威」の低下というか変化じなゃいかな。かつての右翼が崇拝していたのはあくまでも「昭和天皇」で、平成の明仁天皇に神秘性は薄く、親しみは持たれても崇拝の対象という感じではない。
 つまり、この30年で「右翼思想」と「天皇」は完全に分離した感がある。右翼思想とは何かという話になると、またややこしいことになるんだけど、ネット右翼や在特会といった今どきの「右翼・右派・保守」にとって、天皇や天皇制はおおむね関心外、どうでもいいって感じじゃない? 天皇不在のナショナリズム、天皇に頼らない愛国主義。崇拝されているのは天皇ではなくて安倍晋三かも(笑)。

 最近、歴史修正主義やいわゆる「ネット右翼」に関する検証本や研究本が次々に出版されていますよね。安田浩一+倉橋耕平『歪む社会 歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う』とか、山崎雅弘『歴史戦と思想戦 歴史問題の読み解き方』とか、伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』とか。共同研究の形で書かれた、樋口直人ほか『ネット右翼とは何か』とか、田辺俊介編著『日本人は右傾化したのか』とか。本じゃないけど、ミキ・デザキ監督の映画「主戦場」が予想以上にヒットしたのも、こうした流れと底のほうでつながっているかもれしれない。

 歴史修正主義やネット右翼の批判本、検証本が増えた理由は二つあると思うのね。
 ひとつは、右派的な言説がこれまで野放しにされてきたことへの反省。歴史学者などの有識者は基本的なスタンスは「あんなバカは相手にするな」だった。放っておけば、そのうち消える。相手にするからつけ上がるんだ、と。
 でもさ、放置してても消えなかったわけだよね。消えないどころか、言説内容はどんどんエスカレートして、教科書から慰安婦などの記述が消え、排外主義を助長して近隣アジア諸国との関係を悪化させ、ヘイトスピーチをはびこらせた。教育や外交にまで影響を与えるようになっちゃ、もうおしまいですよ。
 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」への反応なんかを見ていると、世間の認識はそうとうひどいことになってる気がする。南京虐殺はなかった、関東大震災時の朝鮮人虐殺もなかった、性奴隷としての慰安婦は存在しなかった、先の戦争を侵略戦争ではなかった、侵略や植民地支配にかんする反省や謝罪を口にするやつらは反日サヨクだ……。そんな認識がいまや「多様な意見のひとつ」として当たり前に通用している。
 さすがにもう放っておけない。歴史家や有識者が放置プレイを決め込んできた結果がこれだ……という危機意識がようやく共有されはじめたのではないだろうか。

 もうひとつは、以上のような検証が可能になった背景として、ネトウヨというか歴史修正主義的な言説には、もう25年近くの歴史がある。つまりそれ自体が研究の対象となりえるほどの「蓄積」をもってしまったってことですね。
 この種の言説の書籍レベルでの発祥が『教科書が教えない歴史』(1996)だとすると、翌97年には「新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)」が発足し、98年には小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』がベストセラーになり……というあたりがネトウヨの源流。2000年代になると、さらに山野車輪『マンガ嫌韓流』(2005)がベストセラーになり、07年に在特会が発足し、その流れが今日の「韓国なんて要らない」と題された「週刊ポスト」(9月13日号)の嫌韓記事まで続いているとみていいでしょう。 
「週刊ポスト」の記事はたしかにひどかったけど、ただ、この種の嫌韓記事や嫌韓本は、いまにはじまったことではなく、ここ十数年、ずっと続いてきた「トレンド」ですよね。
「WiLL」や「月刊Hanada」ならともかく、学年誌や図鑑を出版している小学館ともあろうものが……という意見もあったけど、小学館はそもそもネトウヨや嫌韓の発生源のひとつともいえる「SAPIO」の版元なんだしさ。

 で、何をいいたいのかというと、こうした90年代末以来のネトウヨ的な言説に、天皇はほとんどからんでこないのよね。旧来の右翼思想の中心が天皇崇拝だったのと対照的。リベラルな明仁天皇を「反日」「サヨク」「在日」呼ばわりするネトウヨまでいるのだから、頭が腸捻転を起こしそうだよ。
 なぜそうなのかを考えると、今日のネトウヨは民族派などの旧来の「右翼」とは切れたところからスタートしたからでしょうね。さっきあげた検証本などは、ネトウヨはそもそも「反権威主義」「反エリート主義」からはじまったことを示唆している。世界的な「右傾化」傾向も同じ。だから朝日新聞がターゲットになるのよね。『戦争論』が「うす甘いサヨクの市民グループ」と呼ぶリベラル系の市民運動も、ポスト冷戦時代の新しい「敵」として発見されていく。そういえば「プロ市民」という言葉もはやったよね。
 
〈令和の時代になったなら、天皇制は廃止してもいい。いやできることなら廃止したほうがいい。でもたぶん日本人には無理なのだろうな。〉〈ただしこうした神格性を剥がす方向は、天皇制のレゾンデートルを縮小する方向と重なるから、今の日本国民は望まないだろうな、とも思います。〉
 
 仮に天皇制を廃止するとしたら、敗戦時以外にはありえなかったでしょうね。
 ただ、王政(天皇制)の廃止には民衆の側の「革命の意思」みたいなのがやっぱり必要でさ、「制度としておかしい」という原理原則論だけでは人は動かない。皇室がよほど暴走するとかしない限り、天皇制批判は盛り上がらないと思う。
 一方、保守派にとっても、天皇は今はそれほどの関心事ではない。「天皇を中心とした神の国」と「天皇不在のナショナリズム」と、どっちがマシなのか。私には判断できませんけれど。

斎藤美奈子

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