現代書館

WEBマガジン 20/04/13


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第102回

件名:すべてフェイクだったなら
投稿者:森 達也

美奈子さま

 ツイッターとFBを始めたのはつい数年前。2016年に『Fake』を公開したとき、多くの人から宣伝のためには自分でSNSをやったほうがいい、と勧められたけれど、その気分にはなれなかった。匿名で誰かを悪しざまに攻撃するというツイッターの文化(それは時おり見聞きしていた)に対しての嫌悪もあったし、言葉と映像を軸にして表現することを生業にしているのだから書き散らすべきではないとの(多分に建て前的な)意識もあった。しかもツイッターは字数の制限がある。あんな文字数では何も書けない。いやそもそも、刹那的に思うことを多くの人に伝えたいという衝動がよくわからない。
 こうした職業意識だけではなく、出遅れたがゆえに電車などでほとんどの人がスマホを眺めている光景を目にして、ああはなりたくないと思っていたことも確かだ。時間があるのなら本や新聞を読めばいい。そうした感情(いまにして思えばちょっと選民思想に近いかも)も絶対にあった。
 でも『Fake』を公開しながら、SNSの宣伝と拡散力は実感した。フォロワーが何万人もいる著名人が「すごい映画を観た」などとツイートしてくれるだけで、翌日の動員数がまったく違う。その影響力(特に若い世代に対して)は、新聞や雑誌の映画評の比ではない。
映画は編集が終わっても完成ではない。多くの人に観てもらって初めて映画になる。多くの映画関係者が口にするこの言葉を僕も実感している。だから公開がほぼ終わりかけたころ、携帯をアナログからスマホに替えたこともあって、思いきってツイッターを始めてみた。最初のころは戸惑いもあったけれど、気がつけば僕も電車の中で、まずは本ではなくスマホを手にするようになっていた。自分の作品の宣伝だけではない。昨日のニュースをもしも見逃していたとしても、SNSを見れば昨日何が起きたかはだいたいわかる。しかも自分がフォローしている人たちがフィルターになるので、興味がないニュースはほぼ淘汰される。とても便利だ。
 ……もちろんここから、アフィリエイトやアルゴリズムなどを引き合いにしながら、ネットやSNSのヘビーユーザーになればなるほど自分の思想や信条や傾向が正しいのだと思い込んでしまう(カテゴライズが過剰に発動する)というネットリテラシーの問題を語ることも可能だけど、今回はそっちにゆかない。本題はこれから。
 ツイッターを始めてから今まで、平均すれば一日数回はツイートしてきたけれど、ここ数日はほとんどツイートしていない。RTばかりだ。表示されるツイートの半分以上は新型コロナを話題にしている。報道だってほぼ一色だ。ならば自分は新型コロナについて何を言うべきか、自分が何を言いたいのか、そもそもコロナについて何を思っているのか、自分でもよくわからなくなっている。
 ひとつだけツイートしてみたい妄想がある。明日の朝、突然WHOが記者会見する。実は新型コロナウィルスはフェイクでした。ただのインフルエンザのウィルスです。研究者が写真にちょっとだけ加工したら、未知のウィルスとして大騒ぎになってしまったようです。みなさん、このウィルスを過剰に恐れる必要はありません。飲みに行っても大丈夫です。そろそろ季節外れだけど花見もやってOKです。自営業の方たちも普通に仕事してください。国会議員のマスク着用はこれ見よがしのうえにバカみたいです。ソーシャル・ディスタンスなどどぶに捨てましょう。他者と濃厚接触することに何の問題もありません。どんどん接触しましょう。新年会も歓迎会も送別会も盛大にやりましょう。炎上を恐れる必要はありません。どうせ人は死んだら炎上されて骨になって終わるのです。普通に生活してください。
 ……こんな妄想をしてしまう理由は、現段階の発症者や死亡者などの統計を見れば、日本だけでも一年間でインフルエンザで数万人が死んでいるのに、これほど恐れる必要が本当にあるのだろうか、とどうしても思いたくなるから。でもこれは書けない(ここに書いてしまったけれど)。絶対に炎上する。
 脅威にはリスク(危険性)とハザード(危険)がある。この二つは似て非なるもの。例えばマムシはハザードが大きい。もしも噛まれたら幼児や高齢者なら命にかかわる。でも僕たちは日常生活でマムシを警戒して長靴を履いて外出したりしない。なぜならマムシと都市部で遭遇する可能性はとても低い。つまりリスクは小さい。この二つが混然になったとき社会はパニックを起こす。
十年くらい前に環境リスク学の研究者である中西準子さんから聞いたこの視点は、危機や脅威を考えるとき、僕にとってとても重要な指標となっている。だから北朝鮮のミサイルやヒアリ騒動やセキュリティ関連だけではなく、集団的自衛権とか安全保障法制などを考えるときも、リスクとハザードの概念は常に意識においてきた。
 でも新型コロナウィルスはハザードがわからない。日本の統計だけを見ればそれほど恐れる必要はないのではと思いたくなるが、医療崩壊を起こしかけているニューヨークの現状や死体が多すぎて路上に放置されているというエクアドル(昨日ニュースで見た)などの映像を観れば、これはやっぱり相当にリスクとハザードの値が高いのだと思う
 いずれにしても世界はこれから変わる。新型コロナウィルスは資本主義とグローバリゼーションとデモクラシーを破壊しようとしている。もはや一国主義はありえない。仮に日本だけで封じ込めに成功したとしても、世界のどこかに残っているのならリスクは減らない。
 同じように一国主義が通用しない案件に気候変動があるけれど、これは目に見えづらい。だからトランプのように頑強な否定論者を説得できない。ところがコロナについては、最初は民主党のフェイクだなどと相変わらずバカなことを言っていたトランプですら、さすがに数日で脅威を認めた。
 主権国家という概念はウェストファリア条約によって始まった。それから300年以上が過ぎる。この間に人類は月にも行ったし、国境をあっさりと飛び越えるネットを身近な存在にした。でも国の境界は強まるばかり(例外はEUだけど)。国が単位になるから、人は今も争い続ける。ならば国境なんかなくなればいい。これも僕の妄想だった。でもコロナウィルスは、人類の「幼年期の終わり」を媒介する存在になるかもしれない。
本当の意味のグローバリゼーション。国民国家という概念が変わる。とはいえ混乱は必至。この先収束する見通しはあるのだろうか。人類は持ちこたえられるのだろうか。
いずれにしても、大きな歴史の分岐点にいることは間違ない。これから予想されるのはアフリカにおけるパンデミック。衛生概念や環境どころか、手を洗う水すら満足に供給されない地域も多い。たくさんの犠牲者が出る。そんな状況は阻止したい。でも現状ではその見通しはない。
だからやっぱり、すべてフェイクだったなら、と時おり夢想したくなる。

森 達也

【最新記事】
GO TOP
| ご注文方法 | 会社案内 | 個人情報保護 | リンク集 |

〒102-0072東京都千代田区飯田橋3-2-5
TEL:03-3221-1321 FAX:03-3262-5906