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WEBマガジン 20/07/30


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第105回

件名:『女帝 小池百合子』を読んで
投稿者:斎藤美奈子

森 達也さま

 ノンフィクション作家でもある貴君はお読みになったでしょうか。石井妙子著『女帝 小池百合子』(文藝春秋)。べつに読まなくてもいいんだけどね。
 都知事選の前に出たこともあって話題になり、20万部のベストセラーだそうだ。SNS上では絶賛の嵐で、私もそれに乗せられて読んだんだけど、途中から具合が悪くなりそうだった。小池百合子に対してじゃないよ。この本に対してです。
 ことに多くの「左派リベラル系男性論客」がこぞって激賞している(多くはないが、女性でも褒めてる人がいる)のを見て、絶望的な気持ちになり、いまでもまだ、半分くらい立ち直れていません。
 
 この本の書評はいま出ている「ちくま」8月号(もうじき「ウェブちくま」でも公開になると思う)に書いたので、誰がどんな褒め方をしたかは、そちらを見ていただきたいですが、私はこの本、まったく評価できません。正直、みなさまがおっしゃるように、おもしろいとも思えなかった。
 はっきりいいますが、この本を褒めた人は、(1)じつはきちんと読んでいない、(2)都知事選前の時流に流された(リベラル陣営に忖度した・選挙で彼女を落選させたかった)、(3)そもそも本を読む力がない、(4)そもそも性差別主義者である、のどれかではないかと思います。

 いまのところウェブ上で読める数少ない批判的書評のひとつは香山リカさんのものです。そこで彼女は、拙著『モダンガール論』のキャッチーコピー「女の子には出世の道が二つある」「社長になるか社長夫人になるか、それが問題だ」を引きながら、〈「社長夫人」ではなく「社長」を目指し、多忙さなどから独身のままでいる女性は、「悪い噂」をたてられるのか〉と嘆いています。 
〈「安倍昭恵氏のように余りある後ろ盾があって何の憂いもなくやりたいことをやる女性は「天然」「無邪気」と大目に見られ、小池氏のようにすべてを自分でまかなわなければならない女性は、攻撃的とか虚栄心の虜などと糾弾される〉。それはあまりに悲しすぎる、理不尽ではないかと。

https://note.com/nn1718/n/n9ffeabbba5f3

 全面的に賛成です。香山リカが指摘しているのは根本的なミソジニーの問題で、誰か反論できる人がいたら出てきなさいって感じです。
 ここから先は私の感想です。
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【ルッキズムにそって作られたストーリー】
 少女時代を描いた序盤で、著者がことさら強調する話題がいくつかあります。
 まずひとつは「頬のアザ」です。
〈彼女は重い宿命を生まれた時から背負わされていた。右頬の赤いアザ──。〉
 〈女児たちが唯一、無条件に「かわいい」と称賛される子ども時代に、「かわいそう」と言われ、「どうしたんですか」と尋ねられる。ケガと違って治ることのないアザだと言わなくてはならない辛さがあったろう。美醜という以前の問題を背負わされ、自分の前途は他の女の子とは違うのだと幼くして意識させられたのではないか〉
これは著者の単なる憶測です。しかも、

〈「アザのことなんか、まったく気にしていないし、それで百合子ちゃんをイジメるような子もいなかった。いつも、百合子ちゃんはすごく前向きだった」/ この言葉を聞いた時、私は小池がいかに孤独な状況にあったかを察した。アザをまったく気にしていない。そんなことがあるだろうか。気にしていないように振舞っていただけだろう。〉

 同級生が「気にしていなかった」と証言しているのに、「〜ではないか」「〜だろう」といった憶測で「アザのコンプレックスに悩む百合子」像をつくりあげる理由がわからないんですが、この話は、2016年の都知事選につながります。 
 石原慎太郎が〈大年増の厚化粧がいるんだよ。これが困ったもんでね。俺の息子も苦労してるんだ〉とブチ上げた、あの話ね。世間は非難囂々になり、小池は生まれつきの頬のアザを化粧で隠しているのだと語った。で、それを著者はこう書きます。
 〈小池はこの時を、待っていたのかもしれない。彼女の人生において、ずっと。そして、ついにその日を迎えたのだ。生まれた時に与えられた過酷な運命。その宿命に打ち勝つ瞬間を、ようやく掴んだのだった〉
 いくらなんでも予断がすぎません? それでなくとも、生まれながらの身体的な特徴を、本人の性格と結びつけたり、人生の起点と決めつけるのは、ストーリーの組み立て方としてはきわめて筋が悪い。美醜で人の人生を判断する最悪のルッキズムです。

 もうひとつ、著者が持ち出すのが、2歳下の美人の従妹の話です。
  〈名は咲子といった。よりによって、咲子は子どもの頃から、絵から抜け出たように美しかった。瓜実顔で色は白く、鼻筋が通っている。何よりも切れ長の大きな眼をしていた〉。従妹はみんなにちやほやされ、祖母も従妹ばかり可愛がった。
 かくて著者の憶測が炸裂します。
〈咲子を通じて、百合子は美貌に恵まれた少女が、どれだけ周囲に愛され、幸運を手に入れるかを理解したのではないだろうか〉。〈美貌だけでなく英語まで、咲子は苦労なく手に入れていく。百合子が英語を断念した陰には、この咲子の存在があったのだろう〉
 この従妹はレコードデビューもするのですが、〈咲子と百合子のネガとポジのような関係は、ある時期から反転していく。百合子はひたすら有名になりたいと願い電飾の光を求め、咲子は逆に虚飾の世界から姿を消すという形で〉。

 自らのアザのコンプレックスと、美人の従妹への対抗心が今日の小池百合子を作ったといいたいのだろうか? こんなストーリー(しかも憶測に基づく)って、昭和30年代の少女マンガだよ。てか、少女マンガだってここまで嫌らしくはない。美醜に異常にこだわっているのは、小池ではなく著者ではないのだろうか。「女にとって容姿は人生を左右するほど決定的な要因なのだ」といわれているようで、非常に気分が悪いです。

【ノンフィクションとしての質の問題】
 100人以上に取材したと著者はいっていますけど、誰に取材したかですよね。
 この本の売りは、小池のカイロ時代のルームメイトの証言が取れたことです。その人、早川玲子(仮名)は、本の冒頭でこう述べています。
 〈なんでも作ってしまう人だから。自分の都合のいいように。空想なのか、夢なのか。それすら、さっぱりわからない。彼女は白昼夢の中にいて、白昼夢の中を生きている。願望は彼女にとっては事実と一緒。彼女が生み出す蜃気楼。彼女が白昼見る夢に、皆が引きずり込まれてる。蜃気楼とも気づかずに〉
 本の冒頭で語られたこの不気味なトーンに引きずられて、いわば予断をもって本を読み進めることになります。〈百合子さんは仕草や表情が豊かで、相手の気持ちをそらさない。目を大きく見開いて、じっと上目遣いに相手を見る。(略)カイロでは男性たちにとってアイドル的な存在だった〉とその人はいいます。ボーイフレンドたちと遊び歩いてばかりいて勉強している姿は見たことがない。アラビア語もあやしいなどなど。

 早川玲子(仮名)なる人は、小池百合子に相当ふりまわされたのでしょうし、嫌な思いもしたのだろう。それはよくわかるし、嘘をいっているとも思わない。でもさ、20代のごく短い一時期をいっしょにすごしただけの人ですよ。
 そのくらいの関係性の人に、「あの人はこういう人」と決めつけられたのではたまらないよ。自分の過去を振り返っても、19か20歳のころの行状で人格まで決めつけられたらと思うとぞっとします。しかも彼女が告発するカイロ時代の小池百合子の行状は、感じいいとはいえないにしても、とるに足らないことが多い。「あの人ったら、こうだったのよ」「えー、信じられな〜い」式の、中高生の悪口レベルに私には見えます。

〈小池さんがカイロ・アメリカン大学に、正規の学生として在籍していたかは不明と言えます。カイロ大学は1976年の進級試験に合格できず、従って卒業はしていません〉
 この発言が、学歴詐称疑惑を裏付ける重要な証言だとされているようなのですが、カイロ大学を出た出ない問題がそんなに大事? 
 カイロ大学という看板は途中までは彼女の人生にとっては大切だったかもしれませんけど、政治家としての彼女には関係ない。学歴問題に執拗に固執なさっている方々は、東大出とかの学歴エリートのみなさまだけではないでしょーか。「小池百合子の学歴詐称疑惑」は「蓮舫の二重国籍問題」と同じ揚げ足取りに思えます。

 この人に限らず、本書に証言者として出てくる人は、匿名が多いのね。「小池をよく知る、ある人」とか「遠い親戚のある男性」とか「ある国際関係の専門家」とか。
 「小池さんに関して迂闊なことを言うと、いろいろと支障が出るので」「アラビア関係の仕事をしていて、小池さんを実名で批判することなんてできない」などの証言もあって「報復が怖いから実名が出せない」式のことを匂わせてはいますが、ふつうこういうのは証言でも批判でもなく「悪口」「陰口」「噂話」といいます。
 小池百合子本人にはもちろん、キーパーソンであるはずの細川護熙、小沢一郎、小泉純一郎らの証言が少ない(取材したのかどうかもわからない)のも疑問だし、週刊誌記事からの引用が多いことも気になります。

【政治家としての小池百合子の評価】
 ルックスの問題に関心の高い著者は、政治家になる際、あるいはなってからの小池百合子の言動も、その線で押し通します。
 細川護熙ひきいる日本新党から参院選に出馬した際のことはこんな書き方。
 〈細川の隣に、小池はミニスカート姿で寄り添った。キャスター時代から、彼女は脚を見せることを好み、ひとつの売り物としてきた。選挙戦も自分の強みで戦おうと考えた彼女は、マスコミに向かって、わざわざ「選挙もハイヒールとミニスカートで通します」と宣言した」〉〈小池は公示日後、しっかりとメイクし、約束どおり色鮮やかなミニ丈のスーツを着て、ハイヒールで登場した。計算どおりマスコミが殺到した〉〈彼女が優先したのは演説の内容ではなく、自分のビジュアル・イメージだった〉
 それで断言するわけです。〈男たちが全生涯をかけて、命がけで挑んでも、なかなか掴むことのできない大きな夢を彼女はあまりにもあっさりと手にしたのだった〉

 これ本当のことなんでしょうか。男社会はそんなにチョロいの?
 ミニスカートでトップに擦り寄れば、それなりの地位を得ることができるなら、誰だってそうするよ。この方法で男社会がだませるなら、女性の国会議員や女性の社長がもっと増えてなきゃおかしい。日本社会が国際的にも稀に見る「指導的地位の女性比率が低い国」であり続けているのは、女を権力者にせさない有形無形の圧力があるからです。ミニスカートくらいでどうにかなるなら楽なものだよ。
 「女を使ってのしあがった」「媚びを売って地位を得た」「若い女は下駄をはかせられている」「逆差別だ」とは、能力のない男たちが口にする「悪口」の常套句ですが、この本も、同じ轍をふんでいる。がっかりします。
 〈セクハラという言葉もなかった時代。女性議員の多くが男性議員や後援会の男性、有権者から受ける性的ないやがらせや、悪質な冗談に苦しんでいた。だが、小池はそんな中で、むしろ、男たちを性的魅力で翻弄し、男の下心さえも逆手に取っているかに見えた〉
 なんでそんなことがいえるのか。「見えた」だけですよね。
 はたして、小池百合子は本当にただの「ミニスカートの女」なのか。
 別の評伝で描かれている小池百合子像はまったく別物です。大下英治『挑戦 小池百合子伝』(河出書房新社。以下『挑戦』)は、小池百合子に好意的な立場で書かれた本なので、こちらはこちらでバイアスがかかっているかもしれません。
 ただ、『挑戦』が主な取材源としているのは、キャスター時代から小池の秘書を務めてきた1歳下の中山恵子を筆頭に、後に横浜市長となった秘書の中田宏、彼女の写真をずっと撮り続けてきたカメラマンの鴨志田孝一などなど、小池をずっとそばで見てきたか、いっしょに仕事をしてきた人たちです。そういう人たちの小池百合子評はぜんぜん別です。

 〈小池は、細川の政策に興味を抱いた。細川が掲げた課題は、「ワールド・ビジネスサテライト」で頻繁にとりあげていた日本が抱えている課題ばかりである。それができないばかりに、日本は国際化の波から取り残されている〉〈新党は右に行くのか左に行くのか、浮くか沈むかわからないが、細川の掲げた旗に自分もついて行こう。そんな小池の純粋な思いがあったのだった〉
 これが出馬の理由。選挙戦については、素人ばかりの陣営でがむしゃらだったというエピソードが出て来ます。特に秘書の中山恵子は選挙戦に没入しすぎて、夫や子どもは大丈夫かと周囲に心配されたらしい。比例名簿の二位になったのに〈小池は自ら順位を下げてほしいと申し出た〉という話もあります。〈普通なら、自分の順位を一つでも上げるようにゴネるところだが、小池の申し出は逆だった。理由は下位に置かれた女性候補が順位を不満として立候補を辞退すると言い出したからだ〉。

 選挙も含めて政治家の仕事はチーム仕事ですからね。個人の虚栄心などで乗り切れるほど甘くはないでしょう。秘書の中山恵子は、キャスター時代から小池専従の秘書で〈今年でふたりの付き合いは32年目になる。いわば小池事務所の生き字引〉ですし、大下英治は政治家の評伝を書き続けてきた人です。 
 キャスター時代も、議員になってからも、小池百合子がどれだけ精力的に動いていたかは、この本を読むとわかります。こういうのは単なる表の顔で、裏の小池は 〈細川を含めて男性たちは、小池の野心や上昇志向の強さを、人となりを、まだ十分に理解してはいなかった〉〈キャスターになり、国会議員になった。階段を一歩、あがるごとに彼女は過去と決別し、過去を塗り替えていった。劣等感に苛まれた過去〉(『女帝』)と書かれなけれはばならないような、どす黒く、腹黒く、過去に囚われた人物だったのか。
 〈中山恵子が、暴れ馬のごとき小池の秘書を長くつとめてこれたのには、ひとえに小池の優しさがあったためだという〉(『挑戦』)という評価は嘘なのだろうか。

【環境大臣時代の仕事について】
 ついでにあとひとつ、環境大臣時代の仕事について書き添えておきます。
 環境大臣時代の小池の仕事というと、思い出すのはクールビズですが、いろんな実績もじつは残しているんだよね。
 産業廃棄物の不法投棄問題にはじまって、特定外来生物の指定にブラックバスを入れさせたのは小池大臣だし、地球温暖化の防止を目ざす京都議定書にロシアを参加させたのも小池大臣のときです。『挑戦』は、一連の実績を、環境省事務次官・炭谷茂と小池が省内のいろいろな軋轢をしりぞけ、二人三脚でなしとげた仕事として描いています。
 『挑戦』によれば、水俣病の患者認定訴訟で国が敗訴した際には、〈なぜ、この問題を防ぐことができなかったのか。そこに行政の責任、学者の責任、マスコミの責任、政治の責任が存在するはずで、それを一度検証しましょう〉と小池は述べて、省内の強い反発をふりきり、異例の「私設懇談会」を設けています。アスベスト健康被害問題では、前例のないスピードで健康被害の救済に関する法律を成立させています。炭谷事務次官は〈ここまで迅速にできたのは、小池大臣の行動力があったからだ〉と述べている。
 まあ、若干「盛って」いるところはあるかもです。しかし異例は異例だった。

 『女帝』の評価はちがいます。水俣訴訟については〈大臣の対応は儀礼的で人としてのぬくもりがない〉〈小池さんにはまったく『心』が感じられなかった〉という原告側の言葉を紹介していますし、私設懇談会を設けたのは〈体裁を整えようと〉したためで、患者認定の基準は変えなかったことを問題にしています。たしかにそれは批判されても仕方ないかもしれない。しかし、こういう決めつけはどうなのかな。
 〈小池にとって水俣問題は関心の持てない事柄だったのだろう。それは環境省にとっても好都合だったはずだ。代わりに、彼女好みのエサが与えられていた。それがクールビズである〉〈水俣もアスベストにも無関心な小池は、クールビズ、イフタールに続いて、「風呂敷」に入れあげていた〉
 すると炭谷事務次官の評価は間違いなのか。彼は嘘八百をいってるのでしょうか。
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 すみません。長くなりました。
 『女帝 小池百合子』が描き出す像も一面の真実を語ってはいるでしょう。しかしこれが「全部」ではない。ひとりの人物像を描きだす上で、ネガティブな情報や言葉だけを集めてきて「怪物」と断じる手法は、フェアではない。両面あるのが人間です。
 この本を賞賛した「リベラル系男性論客」たちは「僕の大嫌いな小池百合子が罵倒されてる。わーい」と思ったのだろうか。しかし、仮に『女帝』の言説をまんま信じるとしても、このくらいの女性なら、いっぱいいるよ。それを「怪物」と感じるとしたら、いろんな種類の女の人を知らなすぎる。そもそも女性の政治家にだけ「100%の清廉潔白」を求めるのがおかしな話です。男の政治家はどうなのよって話です。

  ヒラリー・クリントンであれ、マーガレット・サッチャーであれ、女性の政治家(権力者)は、必ず「悪い噂」を立てられます。これは古今東西の鉄則です。中国では西太后や毛沢東夫人の江青、日本でいえば、道鏡とスキャンダルを起こした孝謙天皇や、秀吉の正妻の淀君なんかが、後世、ひどい攻撃にさらされた。攻撃の内容は「出世のためには何でもした」「男をたぶらかした」「女を使ってのし上がった」「もともと淫乱な女だった」などなど。「女が権力をもつと国が滅びる」というわけです。
 『女帝 小池百合子』も、この法則にのっとっていると判断せざるをえません。こういうのをミソジニー(家父長制に抵抗する女性やそこから逸脱しようとする女性に対するネガティブな制裁行為)っていうんですよね。
 権力者なんだから何を書いてもかまわないと言われるかもしれないけど、こういう本は、女性の政治家をますます出にくくさせる。政治家として成功したら、過去をほじくり返され、顔のアザのことまで言われ、スカートの長さを論難され、男に媚びてのしあがったと言われるんだ……と思ったら、だれが総理大臣を目指そうと思う?
 
 フェミニストを含む女性から、この本に対する批判が出ないのは「小池百合子の擁護者と思われるのは嫌だ」と思うからでしょうね。私だって政治家としての小池百合子をべつに支持も評価もしてません、ご存知のように。しかし、私は本を読んで批評するのが仕事なので仕方がない。ジェンダー論の観点からも、ノンフィクションとしての質の問題から見ても、看過できないと思った次第です。
 このままだと今年、何かのノンフィクション賞をとりかねないので、あえて書きました。貴君の感想は不要です。

斎藤美奈子

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