現代書館

WEBマガジン 20/08/11


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第106回

件名:あらゆる情報は誰かの視点
投稿者:森 達也

美奈子さま

 『女帝 小池百合子』は家にあります。買ったのは都知事選の数日前。妻と二人で家の近くの書店をぶらついていたら、平積みになっているこの本に気づいた妻から「話題になっているらしいけれど読まないの」と言われ、「あまり読む気がしない」と答えたら、「ならば自分も読むから」と言って彼女が買いました。その後数日は家のリビングのテーブルの上に置かれていて、ある日消えていたから読み始めたのかなと思って、さらに数日後に「読んだの?」と訊いたら、「少し読み始めたけれどもうやめる」との答えが返ってきて、彼女は映画の場合も観始めたらつまらなくても最後ま
で観なければ気が済まない質なので珍しいなと思いながら「なぜ?」とさらに訊いたら、「著者の悪意がいやになるくらいすごい」と一言。
 ここでこの本の我が家における命運は尽きた。それほど悪意のある文章ならどんなものか冒頭だけでも読んでみたいな、とは少しだけ思ったけれど、貧乏のべつ暇なしでそんな余裕はない。結局僕は一行一句どころか本そのものにすらほとんど触れないまま、今ではどこにあるのかすら(おそらく妻の部屋のどこかにあるのだろうけれど)わからない。
 「ちくま」8月号の連載も読みました。この本に対して肯定的な評価をしている人たちはほぼ知り合い。やれやれとかあーあなどと思いながらも、もしも自分に対して書評の依頼が来ていたら、自分は何と書いただろうと考える。大喜びで「これは凄い!」とか「圧倒されました」とか書いていたのかもしれない。決して自虐ではなく世の中で自分自身を最も信用していないから、やりかねないよなあとは思う。読んでもいないし今後も読む気はまったくない『女帝 小池百合子』について書けることはここまで。まあでも妻の短い言葉と美奈子さんの批評で、本の内容はだいたいわかったような気分になっている(本当はいちばんだめな姿勢だけど)。
 以下はふと思いだしたこと。2015年に映画『男たちの大和 YAMATO』が公開されたとき、僕の周囲では戦争を賛美している映画だとして、とても評判が悪かった。でも少し遅れてから観た僕の感想は、思想信条以前に、とにかく「痛い」映画だった。米軍
戦闘機から機銃掃射を受けるシーンがあるのだけど、甲板で跳弾する音の効果なども相まって、とにかく痛みが伝わる。まさしく地獄絵図。撃たれたくない。撃ちたくない。絶対にそんな状況にいたくない。そんな思いが湧き上がる映画だった(最近では塚本晋也監督の『野火』がそうだった)。少なくとも戦争を美化や賞賛するような映画ではない。
 観たり読んだりする側のリテラシーによって作品の評価は変わる。特に戦争映画はその傾向が激しい。観る側の思想信条が反映される。まあ同時に映画業界では、どんな戦争映画でも真剣に作れば絶対に反戦映画になる、というフレーズもあるけれど。
『男たちの大和 YAMATO』公開後に、佐藤純彌監督と話す機会があった。私には幼い孫がいます、と佐藤は言った。彼らが戦場に行くような社会状況だけは絶対にしてはいけない。その思いで作りました。脚本は野上龍雄と井上淳一。でもクレジットに二人の名前はない(公開直前に一部を改訂されたことに激高した野上がクレジットから名前を外すことを要求した)。大御所で2013年に鬼籍に入った野上との面識はないけれど、井上はよく知っている。最近の監督作では『誰がために憲法はある』。戦争を賛美するシナリオなど、彼が書くはずがない。絶対に全身で拒絶するはずだ。佐藤と話した帰り道、つくづく実感した。人は自分の身の丈で観たり読んだりする。
 メディア・リテラシーとは何か。情報は視点によって変わる。そしてあらゆる情報は誰かの視点である。要約すればこれを体得することに尽きる。
 でも美奈子さんの文章を読みながら、『女帝 小池百合子』の問題はそこではないのだろうなと考えた。うん。間違いなくそこではない。……書けることはここまで、と書きながらまた書いてしまった。

森 達也

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