現代書館

WEBマガジン 20/09/30


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第107回

件名:安倍政権はスカだった?
投稿者:斎藤美奈子

森 達也さま

 安倍前首相が持病の悪化を理由に辞任を表明したのが8月28日。それから1ヶ月がたちました。この間に、結果が見えてるおためごかしの自民党総裁選があわただしく行われ、岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長を破って、菅義偉前官房長官が、予定通りに勝利。菅義偉政権なるものが、9月16日に発足した。
 菅新政権の支持率は予想以上に高く、朝日新聞の世論調査(9月16・17日)では65%。読売新聞(19・20日)では74%。こうなるともう「勝てば官軍」で、メディアは菅首相ヨイショ報道の嵐になっている。もともと、そういう国だとは思っていたよ。思っていたけど「なんじゃ、そりゃ」感は否めませんね。

  総裁選の最中だった9月2日の東京新聞に私が書いた「本音のコラム」はこれ。
------------------------------------------------------------------
【以下引用】
続・安倍政権
 二〇〇七年八月、第一次安倍晋三政権が退陣したときには、のどに刺さった小骨がとれたような解放感があった。そんな気分に今度はなれない。なぜなのだろう。
 ひとつは、小骨がのどに残した傷があまりに深くて大きいことだ。
 特定秘密保護法、安保法、共謀罪を含む改正組織的犯罪処罰法など、反対の声が多かった法律を強引に通したうえに、政権の後半はスキャンダルの嵐だった。
 もうひとつは「次期政権」の問題である。
 もっか「ポスト安倍」の最有力候補は安倍政権の立て役者たる菅義偉官房長官。いわばA級戦犯だ。次にできるのはつまり「続・安倍政権」で、自浄作用は望めない。ところがメディアは「じつはこんなに親しみやすい苦労人」というゴマすりキャンペーンをもうはじめている。忖度報道を続けてきたことへの反省はないってことだ。
 「まったく問題ない」「そうした指摘は当たらない」「仮定の質問には答えられない」「コメントは差し控えたい」。こんな対応で「続・安倍政権」も行くのだろうか。だとすれば不人気で短命に終わるのは必至。次の総選挙後に本命登場となる公算が大きい。
 安倍政権を「史上最悪だった」と評する人もいるけれど、判断はまだ早い。次なのか、次の次なのか。「続・最悪」がないという保証はないのである。
------------------------------------------------------------------

 この時点では「不人気で短命に終わるのは必至」と斎藤はいっているけど、見通しが甘かったかもしれないね。それでも、安倍政権をどう総括するかというのは、この8年半、政権に対してものを言ってきた人みんなの課題だと思うのよ。しかし、あっというまにその熱も冷めてしまったように見えるのは、気のせいだろうか。
 1ヶ月前には、私もいちおう安倍政権の何が問題だったか考えたんだよ。正の遺産もあったのだろうけど、「負」だけをいうと4つくらいにまとめられる。

1)戦後の枠組みを変えるような法律の制定(特定秘密保護法、安保法、共謀罪を含む改正組織的犯罪処罰法、IR法、水道民営化法、改正種子法ほか)。
2)人権軽視や生活破壊に通じる政策(二度の消費増税、沖縄県辺野古の新基地建設、米国からの武器の爆買いなど。
3)官邸主導の独善的な政権運営(数を頼んだ強行採決、メディアへの圧力、電通や吉本興業と結託した政治宣伝など)。
4)政治的なモラルの破壊(森友問題、加計問題、「桜を見る会」問題に代表される政治の私物化と、それに伴う公文書の隠蔽や改ざんなど)。

(1)(2)は賛否あるとしても、(3)(4)は誰が考えたってダメじゃない? しかし(3)(4)は政治風土の問題だから、簡単には回復しないと思うのね。 
 適菜収さんの『国賊論ーー安倍晋三と仲間たち』という4月に出た本があってさ、そこで彼は、こんなことを言っている。 
 〈大事なことは、安倍には悪意すらないことだ。安倍には記憶力もモラルもない。善悪の判断がつかない人間に悪意は発生しない。歴史を知らないから戦前に回帰しようもない。恥を知らない。言っていることは支離滅裂だが、整合性がないことは気にならない。中心は空っぽ。そこが安倍の最大の強さだろう〉

この本もからめて「ちくま」に書いた私の原稿がこれ(書いたのは9月8日)。
------------------------------------------------------------------
【以下引用】
 「アベ政治を許さない」というスローガンに象徴されるように、左派リベラルは首相個人を最大の敵と見定めてきた。でも、もしかしたらそれは買いかぶり、幻想だったのかもしれない。
 もしも『国賊論』のいう通りなら、安倍は祖父の遺産を継いだ、無能な三代目の若社長である。自分の手で憲法を変えたい、日本を「美しい国」にしたい。そんなファンタジーはあるけど、実現の仕方はわからない。それで失敗したのが第一次安倍政権だった。
 そんな失意の安倍に再起を促したのが菅だったというのは有名な話。菅という人事権をにぎったコワモテの番頭が、裏で議員や官僚に睨みをきかせ、メディアを牛耳り、三代目のスキャンダルをもみ消し、毎日の記者会見で追及の矢面に立つ。
 いわば裏の「汚れ仕事」を一手に引き受ける番頭がいたからこそ、三代目若社長は、国政は側近や官僚に任せて、外遊だ、オリンピックだ、有名人との会食だと、浮かれていられた……。もしそうだとしたら、道半ばで倒れた三代目に代わって、権力の座につく番頭がどんな政治をやるかは想像がつく。
 (中略)
 下手すると、菅は安倍よりたちが悪い。番頭は所詮番頭、イメージを取り繕う必要がないからだ。先代のレガシーを継承しつつ、番頭時代そのままのコワモテの政治を、今度は表でやる。安倍時代のほうがマシだったという話にもなりかねない。
------------------------------------------------------------------
 いまでも基本的な考えは変わってないけれど、菅と岸田や石破を比較できていた総裁選のころは、もっと緊張感があったと思うのね。
 ユーミン罵倒ツイートで炎上した白井聡さんの「ウェブ論座」の総括(8月30日)なんて、激烈だったもんね。〈安倍政権の7年余りとは、何であったか。それは日本史上の汚点である〉とまで彼は書いていた。
------------------------------------------------------------------
【以下引用】
 数知れない隣人たちが安倍政権を支持しているという事実、私からすれば、単に政治的に支持できないのではなく、己の知性と倫理の基準からして絶対に許容できないものを多くの隣人が支持しているという事実は、低温火傷のようにジリジリと高まる不快感を与え続けた。隣人(少なくともその30%)に対して敬意を持って暮らすことができないということがいかに不幸であるか、このことをこの7年余りで私は嫌というほど思い知らされた。(2020年08月30日)
「安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である
私たちの再出発は、公正と正義の理念の復活なくしてあり得ない」
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020082800004.html
------------------------------------------------------------------
 これじゃ、ほとんど「実存の危機」だからさ。さすがに「買いかぶり」だと私は思う。しかし、安倍政権はある人々にとっては、それほどの壁であり闇だった。
 ところが、どうよ。菅義偉官房長官は、きわめて不誠実な「番頭」だったのに、菅政権が誕生した(番頭が社長になった)途端、過去はすっかりリセットされたみたいに、メディアではデジタル庁の新設とか「脱ハンコ」とか縦割り行政の改革と騒いでいる。
 おかげでニュースを見る気を完全に失った。
 そして9月末、各紙の論壇時評は安倍政権をどう論じたか。

 朝日新聞の論壇時評(9月24日)で、津田大介さんは〈個別の政策の達成度に注目すると違う景色が見えてくる〉といい、「正の側面」をあげている。
 〈正規雇用の数が最も少なくなった2014年はじめから19年末にかけて正規雇用者数は250万人増加し〉た。〈外国人政策では既存のビザ基準を緩和し、ここ5年間で外国人居住者人口が3割増、日本への留学生数は25万人足らずから約35万人、4割増となった〉。〈古い家族観が批判された安倍政権の女性政策だが、女性と経済を大きく絡めることで企業に女性登用の意識を植え付け、女性活躍推進法制定にこぎつけたことを評価する女性の論者も多い〉。〈『美しい国』といった言葉で日本の土着ナショナリズムの匂いを濃厚に漂わせた」第1次政権から転換し〉〈諸外国から認められたことは、日本国内で安倍前首相個人のナショナリズム的姿勢への忌避感を和らげた〉。
 安倍政権の評価が二分するのは、なぜなのかということを彼は書く。
------------------------------------------------------------------
【以下引用】
 宇野重規の「安倍首相の長期政権を可能にしたのは、ナショナリズムと政府主導の(リベラルな)経済運営の独特なミックスであった」という分析は、そのことに対する一つの解答になっている。
 (中略)
 千葉雅也は安倍政権下で知識人やメディアが多数派に忖度するようになり、理念だけでは生きられない人間の複雑な両義性に目を向ける成熟した「大人の議論」が失われたことを嘆く。宮台真司は、経済的貧困によって本当は苦しい状況に追い詰められていても、人々がかつてのように出身や階層で連帯できず、苦しさを周囲と共有できない――「粉飾された自意識」の問題を指摘する。田中慎弥は「格差にあえぐ若い世代からすれば、学生が本を読み、人生や政治について考えていたなど、優雅なおとぎ話でしかないだろう。安倍氏はそういう、本が読まれなくなった時代の総理大臣だった」と喝破する。
 彼らに共通するのは「安倍政権で噴出した問題とは、安倍前首相個人にその責があるのではなく私たちそのものの問題である」という意識だ。安倍政権に批判的だったリベラル左派も、メディアも、野党も、政治学者と哲学者と社会学者と小説家が同じ結論に達したことの意味を考え、これを受け入れることからやり直していくしかない。対峙すべきは「アベ」ではなく、「私たち」のあり方だ。
朝日新聞9月14日「論壇時評 安倍政権の功罪 問題の責は彼個人ではなく」 
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14632975.html
------------------------------------------------------------------

 〈対峙すべきは「アベ」ではなく、「私たち」のあり方だ〉っていう言い方は、一種の「逃げ」で、ずるいよね。ただ、安倍政権下で「言論の二極化」が著しく進行したのは事実であり、右派も左派も「オール・オア・ナッシング」の思考形態にハマってしまったのは否めない。SNSの影響が大きいと私は思いますけどね。
 さらに東京新聞ほかの論壇時評(9月30日)で、中島岳志さんはこう書いている。

------------------------------------------------------------------
【以下引用】
 安倍内閣の本質は、「実現しないことによって支持を獲得する」とうカラクリにあった。安倍が選挙の度に言った言葉がある。ーー「道半ば」。まさにこの言葉が、安倍内閣を象徴している。
 多くの庶民は、アベノミクスの恩恵を全く感じていない。しかし、一部の人間が株価上昇によって利益を上げ、一部の大企業が内部留保を肥大化させていることを、私たちは知っている。「あの利益がもう少ししたら、自分の所にもやってくるかもしれない」「もう少し支持を続けていれば、自分も恩恵にあずかれるかもしれない」。そんな思いが、安倍内閣に一票を投じる動機付けになったのでないか。
 憲法改正も同様デアル。コアな右派支持者は、「安倍首相でなければ、悲願はかなえられない」と思い、懸命に支え続けた。北方領土を巡るロシアとの交渉も、拉致問題を巡る北朝鮮との交渉も同様で在る。彼らは「もう少しで自分たちが主張してきたことが実現する」と期待感を募らせたのだ。
 ポイントは「道半ば」だ。安倍内閣に一票を投じてきた人たちは、ぶら下げられたニンジンを追い続けてきたのだ。重要なことは、ニンジンには決して届かないということ。もう少しもう少しと思いながら届かないが故に、馬は走り続けるのである。
東京新聞9月30日「論壇時評 アベノミクス 憲法改正/「道半ば」の幻想が本質」
------------------------------------------------------------------
 
 津田大介氏も中島岳志氏も、安倍退陣からひと月近くたってからの論考なので、白井聡さんの激昂した筆致にくらべると、はるかに冷静で客観的だ。
 ここまでのところをまとめると「安倍政権の内実はスカだった」ということになってしまうか。私自身も「スカだった」といっているのに近いしな。
 でもそれは「終わった」と思うから言えることであって、安倍政権がそうとういろんなものを破壊してくれたことは間違いないし、ほんとのところはまだ「終わってない」んじゃないかとも思う。安倍晋三を過大評価していた人たちは、菅義偉を過小評価している可能性がある。「番頭」に徹していた菅が、何をどうしたいのか見えないだけに、ほんとにヤバイのは、これからじゃないかという気がしてならない。

斎藤美奈子

【最新記事】
GO TOP
| ご注文方法 | 会社案内 | 個人情報保護 | リンク集 |

〒102-0072東京都千代田区飯田橋3-2-5
TEL:03-3221-1321 FAX:03-3262-5906