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WEBマガジン 21/07/29


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第117回

件名:茹でガエルの国の五輪
投稿者:斎藤美奈子

森 達也さま

 7月24日、とうとう東京五輪が開幕しました。そして28日、東京都のコロナウイルス陽性者数は、はじめて3000人を超え、3170人を記録しました
 オリンピックがはじまった途端、メディアは案の定五輪報道一色に染まり、半面、それに冷や水をあびせるように、コロナウイルスが感染を広げる。前回貴君が書いていた「いい湯だなと鼻歌を唄っているうちに取り返しのつかない状況になってしまっている「茹でガエルの法則」、あるいは「崖からすべり落ちる梶井基次郎の法則」が、いよいよ当てはまりそうな気配です。
  
 それはそれとして、 パンデミックとは別の文脈でも、この五輪は前代未聞の醜聞続きです。組織委員会には構造的な問題があるにちがいなく、どうせまた何かやらかすとは思っていたけど、開会式の直前にこの国の「闇」が次々明るみに出るとは、正直、想像を超えていた。
 障害者に対する壮絶な「いじめ」を雑誌で語っていたことで、すったもんだのあげく開閉会式の楽曲担当だった小山田圭吾氏が辞任し(19日)、さらに絵本作家ののぶみ氏が教員いじめほかの問題で関連プログラムへの出演を辞退(20日)。そのすぐ後には、過去の舞台でナチのホロコーストを揶揄するようなコントを演じていたことで、ショーディレクターの小林賢太郎氏が辞任しました(22日)。

 彼らがかかわっていた「過去の案件」はすべて見たけど、どれもアウトと判断せざるを得なかった。ことに小山田氏の一件は、出版界がかかわっていただけにショックでした。この件は一部では有名な話で、インタビュー記事を掲載した雑誌(94年の「ロッキング・オン・ジャパン」と95年の「クイック・ジャパン」)は、二十数年間、放置されてきたわけでしょ。 版元のロッキング・オンと太田出版は謝罪文を出したけど、もしも東京五輪がなければ、あるいは東京五輪のテーマが「多様性と調和」でなかったら、過去は不問のままだったのでしょうか。
 しかし、開会式をめぐる疑念はこれだけではなかった。組織委が問題にしなかっただけで、 東京五輪は差別問題のデパートか、と思うほどでした。これについては東京新聞のコラムに圧縮して書いたので、備忘録がわりに、それを貼っておきます。

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【非多様性と不調和】
 「レディース・アンド・ジェントルメン」というアナウンスは性の多様性への配慮から近年廃止されつつある。本邦でも日本航空やディズニーランドほかが廃止し、エブリワンなどに変更した。
 その古めかしいアナウンスが何度も流れる五輪開会式だった。これでテーマが「多様性と調和」とは。発表時の演出チームは23人中22人が男性。共生をアピールする機会として地元から要請が出ていたアイヌ民族の舞踊も琉球舞踊もプログラムにはなく、セネガル出身の打楽器奏者は直前に外されたと訴え、人種差別的な新作歌舞伎で物議をかもした歌舞伎役者が登場した。
 入場行進で「ドラゴンクエスト」の楽曲が使われたことへの疑問も噴出している。作曲者のすぎやまこういち氏は慰安婦問題や南京虐殺を否定する修正主義的歴史観の持ち主で、数年前にはLGBT差別に同調する発言もしていた。事前に辞任や解任が続いたのに、なぜ彼はOKなのか。
 当然の疑問だと私は思うが、組織委員会は意に介さないだろう。なぜって氏の思想は五輪招致を牽引した石原慎太郎元都知事や安倍晋三前首相の思想とも、政府与党の方針とも合致するからだ。彼らは負の歴史と向き合おうとせず、LGBT差別がノーならば杉田水脈議員はとっくに辞職していなければおかしい。口先だけの多様性。類友五輪。(東京新聞7月28日「本音のコラム」)
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 事前にドラクエの情報が流れてきたときには、私も「本気かよ」と思ったよ。
 作曲者のすぎやまこういち氏は、「THE FACT」と題する「慰安婦は性奴隷ではない」と主張する意見広告をワシントンポスト紙に載せたグループの一員だし(2007年)、「南京事件は虐殺ではない」とする河村たかし氏の発言に賛同する意見広告にも名を連ねていたし(2012年)、保守論壇誌にもたびたびこの種の寄稿をしていた。確信犯的な歴史修正主義者ですよね。加えて、チャンネル桜で、LGBTを否定する内容の対談を、落選中の杉田水脈議員とやっていた(2015年)。
 何人もの重要なスタッフが、人権問題で開会式から消えた経緯を考えれば、いくら「楽曲が使われただけである」といっても、ドラクエだってあかんやろ、と思ったのよね。
 しかしドラクエは入場行進でそのまま使われ、SNS上では騒ぎになったけれども、大手メデイアが問題視する気配はない。もちろん組織委も動かない。

 それで改めて、認識した。この国では、障害者差別やいじめはNG、ホロコーストを否定したり揶揄したりするのもNGだけど、慰安婦問題や南京事件を否定するのはOKなんだと。ここは人権に関する国際スタンダードが通用しない国だったんだと。
 考えてみれば、すぎやまこういち氏は、石原慎太郎や安倍晋三と同じ思想の持ち主で、「国家の方針」に沿っている。初手から問題になるわけがないんです。 
 われながら、なんでそんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。歴史修正主義については、やいのやいの言ってきたはずなのに、この国自体が負の歴史と真摯にむきあっていないことを、うっかり忘れてた。
 LGBT差別だって、そうだよね。あれほど骨抜きにされた「LGBT理解法案」ですら、自民党の抵抗で潰されたわけじゃない? 性的少数者は差別してもいい、それがこの国の方針。
 もともと「アンダーコントロール」とか「「晴れる日が多く温暖でアスリート に最適な気候」とかの嘘八百からはじまった五輪ですからね。インチキなのはわかりきっていた。わかりきっていたけどさ、五輪憲章に照らせば、この国に五輪を開催する資格なんか、もともとないのよね。

 五輪で噴出した人権問題をどう考えるかは、小林解任劇の後に出た朝日新聞のインタビュー記事(7月22日ウェブ版「開会式担当解任が示す日本の大衆娯楽の『ガラパゴス化』」)が、いちばん的を射ていたように思います。一部を引用しておきます。

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〈いまの日本社会全体の人権意識の低さが露呈した。仲間うちで面白がっているものが一歩外に出ると通用しない、という日本社会のゆがんだ部分が、海外から注目が集まるこの機会に一気に噴出した形だと受け止めている〉。〈人種差別や民族差別が許されないのはすでに国際的合意と言ってよいが、日本ではそうした問題への認識が甘い。日本の歴史教育が現代史をおろそかにして、悲劇を二度と繰り返さないという観点から歴史的事実をきちんと伝えるということをしていないのも、背景にある問題の一つだろう〉(《哲学者で日本や欧米、東アジアの歴史認識問題に詳しい高橋哲哉・東京大学名誉教授の話》)
〈たとえ当人が本心ではどんな意見の持ち主であっても、国内外の注目が集まる公共の場では一定の振る舞い方が求められる〉。〈小林氏も組織委も、国際社会と接するために必要な「敏感さ」(センシビリティー)を海外と共有できていなかった。これは英語ができるかどうか、欧米の議論の文脈を知っているかどうか、欧米人と日常的に付き合いがあるかどうかなどとは関係がない。被害を受けた側の立場を想像できるかどうか、というのが問題の本質だろう〉(《ホロコーストの罪と向き合ってきた現代ドイツ思想に詳しい三島憲一・大阪大学名誉教授の話》)

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 五輪騒ぎはもともと嫌いだったので、ほとんど無視してきましたが、今回だけは開会式を最初から最後まで見ました。意地悪な目で監視するためです、もちろん(56%の視聴率が話題になっていたけど、私みたいな視聴者もかなりいたんじゃなかろうか)。
 プログラムや演出にかんする批評は控えるけれど、もし貴君が開会式のプロデュースを任されたら(どうせ依頼がくるわけはなく、万一きてもあなたなら断るだろうけどさ)、どんな形にします?  
 私だったら、アイヌの古式舞踊と、沖縄の琉球舞踊かエイサー、あとは在日コリアンのプンムルノリと、中華街チームの獅子舞や龍舞を入れますね。そして人形浄瑠璃ね(これは私の趣味)。 「多様性と調和」を謳うなら、多民族の共生をアピールすればいいのにってことです。門外漢の私だって、そのくらいは思いつく。過去の五輪にも先住民族をフィーチャーしたパフォーマンスがあったわけじゃない?
 しかし、いまの日本政府は、けっしてそういう方向性では考えないだろう。それが現在の日本の現実だし、限界なんだと思うと、あらためてガッカリします。
 
斎藤美奈子

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