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WEBマガジン 22/06/01


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第127回

件名 :火中の栗
投稿者:斎藤美奈子

森 達也さま

ご心配いただきありがとうございます。
 4月中に退院はしましたが、完治にはまだ至らず、そろりそろりと歩行訓練中です。

「福田村事件」に向けて邁進されている由。慶賀の至りです。
この事件については私も知らず(とはいえ貴君の著書でもじつは紹介されてたんだよね。ごめん、忘れてた)、前回の掲示板談話とクラウドファンディングのサイトに掲載された決意表明文ではじめて知ったような次第です(クラファン、うまく行かないと申しましたが、しばらく日にちをおいてやり直したら大丈夫でした。失礼いたしました)。

 映画自体への期待ももちろんありますが、チャレンジングな制作過程も興味津々。
 先日、メールで送られてきた井上淳一さんの「制作日記・ロケハン編」がめちゃめちゃおもしろくて、これはもう書きためた日記の全文をパンフレットに絶対掲載すべき、いや映画の公開と同時に書籍化したらいいんじゃないかとさえ思いました。
 こういうバックステージをそもそも私たち一般人は知らないし、「森達也の天然キャラ」も含めたロケハン珍道中は、それ自体がおもしろい。いや、マジな話、こういう舞台裏の制作秘話は、潤沢な資金がない作品だけに、映画制作を志す若い人たちに勇気と希望を与えるのではないだろうか。
 応援もかねて過日、新聞に書いたコラムを、下に再掲載しておきます。

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【火中の栗】
 世界に目をやれば、負の歴史を描いた映画はけっして珍しくない。
 『アウシュヴィッツ・レポート』『ホロコーストの罪人』『復讐者たち』など、ここ数年もホロコースト関連の映画が次々制作されている。
 お隣の韓国も同様で、1980年5月の光州事件(民主化を求める学生や市民のデモを戒厳軍が暴圧。二百人超の死者・行方不明者が出た民主化闘争)を描いた『光州5・18』や『タクシー運転手 約束は海を越えて』は高い評価を受け多くの観客を動員した。
 それなのに日本では過去の過ちと向きあった映画がきわめて少ない。
 本紙の報道でご存じの方もいるだろう。その空白地帯に森達也のチームが一歩踏み込もうとしている。劇映画を撮るという。題材は1923年の関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺、それも今まで知られていなかった福田村事件(香川県から来た日本人の行商人一行がデマを真に受けた自警団に千葉県旧福田村で殺害された事件)である。
 森達也(高校の同期生なので呼び捨てにしちゃうが)は火中の栗を拾いたがる人である。が、いかんせん今の日本でこうした映画に出資する会社は容易には見つからず、もっかクラウドファンディングで制作資金を募っている。私も火中の栗をと思う方はぜひ支援を。成功したら日本の映画界にもきっと風穴が開くはずだ。(東京新聞5月11日「本音のコラム」)
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 話は少し変わりますが、上のコラムでも触れた光州事件を扱った映画、貴君はどんな風に見ましたか?
〈『タクシー運転手 約束は海を越えて』のようにエンタメとして楽しませながらも社会派の映画を作りたい」〉と東京新聞のインタビューであなたは語っていてましたが、私も『光州5・18』や『タクシー運転手 約束は海を越えて』は、リアルタイムではなく、動画配信で観た口です。
 1980年の光州事件(韓国では「5・18民主化運動」と呼ばれる)の頃、私は社会人1年生でしたが、当時はあまりよくわかってなかった気がします(大学の自主講座で韓国語を勉強中だった妹はずいぶん心を痛めていましたが)。

 映画の内容については省きますけど、『光州5・18』(2007)は光州事件を「商業映画として初めて正面切って映画化」した作品だそうで、原題は「華麗なる休暇」。市民のデモを武力で鎮圧した戒厳軍の作戦名に由来している。〈1980年5月、民主化を要求する韓国の学生や市民と、その弾圧に乗り出した戒厳軍の間で起きた悲劇的事件をドラマティックに描き、韓国で大ヒットしたヒューマンドラマ〉と紹介されています。
 でもさ、これはヒューマンドラマなんて優しいものじゃないよね。描かれているのは軍と市民の間で勃発した戦争そのもの。市街戦で市民が次々に死んでゆく(実際はもっと凄惨だったという証言もある)。
 全斗煥体制下では「暴徒による騒乱」扱いだった光州事件は民主化後、民主主義の基礎を築いた英雄的行為と評価が変わり、犠牲者を「英霊」として美化する風潮も出てきたと聞きます。
 それに対して、『光州5・18』は、この事件をあくまで個人の身におこった悲劇として描いていく(だからヒューマンドラマなのかもしれないが)。軍は必要とあれば、自国の市民にも銃を向ける。その事実がとにかく恐ろしい。が、その一方、徴兵制がある韓国では、成人男性はみな銃の扱い方を知っていて、いざという時には武力で愛する人を守るというメンタリティが共有されているのかもしれません。 
 いずれにしても「韓国では観客動員が730万人を超える大ヒット作となった」ってすごいよね。心情に訴えるという作風(ある種のエンタメ性)が成功したと同時に、2000年代初頭には、光州事件が人々にとって過去にはなっていなかった証拠のように思います。

 一方、『タクシー運転手』(2018)は、戒厳令下の光州を取材して世界に事実を発信したドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーター(作中ではピーター)と、彼を乗せて光州に入ったタクシー運転手キム・サボク(作中名はマンソプ。演じているのはこのあいだカンヌで男優賞をとったソン・ガンホ)が主人公。
 当事者たちの闘いをど真ん中から描いた『光州5・18』に対して、これは取材者という外部の目を通して描かれた光州事件で、こっちのほうが感情移入しやすいかもしれない。
 実話に基づいてはいるものの、その後、キム・サボクさんの子息が名乗り出て、実際の父は映画で描かれたような純朴なタクシー運転手ではなく、政治意識が高く語学にも堪能で、光州で起きていることも十分に理解していた……といったことを語ったりもしたのだけれど、これは非常におもしろい「社会派エンターテイメント」でしたね。こういう映画がちゃんとヒットする国なんだね。

 ただ、あとで思ったのだけれど、光州事件は「負の歴史」なのかということです。国家の側からみれば、軍政自体がとんでもない「負の歴史」ですけれど、5.18は「国家権力に対して市民が立ち上がった輝かしい歴史」ともいえるわけじゃない?  
 日本でこういう民主化闘争的な史実を探すと何になるんだろう。60年安保? 成田闘争? ゴザ暴動? (世代によっては全共闘?)。あるいは、もっと遡って、足尾鉱毒事件や米騒動か(私は米騒動に思い入れがあって、昨年公開された「大コメ騒動」も、期待感いっぱいで観にいったのだけど、ちょっと肩透かしだった。エンターテイメント性は高いんだけど、社会的な義憤が、あんまり感じられなかったのよね)。要は、自力で民主主義を勝ち取った経験が日本にはない、ということなのか。
 それでも(光州事件ほどではないにせよ)米騒動も成田闘争やゴザ暴動も、必ずしも「負の歴史」ではありませんよね。しかし、貴君たちがテーマに選んだ朝鮮人虐殺となると、これはもう「負の歴史」と呼ぶ以外にはない。ほんとに「火中の栗」だよね。いや、でも、だからこそ、さすが森達也だな、と感嘆した次第です(褒めてます、もちろん)。
 もうひとつの火中の栗である『千代田区一番一号のラビリンス』について書く紙幅(と時間)がなくなりました。貴君としては、たぶんそっちの評価を先に知りたいだろうなとは思いつつ、それについてはまたあらためて。

斎藤美奈子

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