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WEBマガジン 23/07/31


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第141回

件名:身内の論理と性暴力報道
投稿者:斎藤美奈子

森 達也さま

  前回、貴君が書いてた「文春砲」について。
 〈政治ネタもあれば芸能ネタもある。右も左も関係ない。話題になるなら何でもやる。雑誌ジャーナリズムの王道だ〉。〈もしも今内部告発しようと考える誰かがいたとして、どこに持ち込めば最もインパクトと影響力があるかを考えたとき、週刊文春は真っ先に脳裏に浮かぶはずだ〉。〈でも、この状況を言い換えれば、新聞を代表とする既成メディアがすっかり脆弱化しているとも言えるわけで、それはやっぱりよろしくない〉
 いずれも、もっともな見解で、私も同意します。
 
 前回も書いたように、もっか週刊文春が気を吐いているのは、故ジャニー喜多川氏の性加害問題です。週刊文春は1999年10月から14週にわたってジャニー氏のセクハラ(性暴力)について書き続けたわけですが、テレビはもちろん、大手新聞などの他のメディアはほとんど相手にしなかった。
 99年11月、名誉毀損で喜多川氏側が文芸春秋を提訴。2004年には「記事の主要部分は真実性の要件を満たしている」という判決が確定しますが、それでもメディアは無視し続けた。ようやくこの件が問題化したのは、ご存じのように、今年3月にBBCがこの件を報道し、元ジャニーズJr.のメンバーが被害体験を実名で告発した4月以降です。
 実名の告発者も続々と登場して、被害を訴える当事者の会が発足。24日には国連人権理事会「ビジネスと人権」作業部会が日本で聞き取り調査を行うために来日しています。ジャニーズ事務所が誠意ある対応をしているとはいえない現在、ジャニーズ側を擁護する人はさすがにいないだろう……と思っていたところに、出てきたのが山下達郎氏のラジオ番組での発言でした(7月9日)。
 「数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は、今も変わっていません」「私の姿勢を、忖度あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであればそれでもかまいません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう」
 次いでデヴィ夫人のツイートが物議をかもします(7月18日) 
 「死人に鞭打ちではないか。本当に嫌な思いをしたのなら、その時なぜすぐに訴えない」「被害を訴えている人々は国連まで巻き込んで、日本国の日本人として、そんな権利がどこに与えられていると思っているのか。あまりにも嘆かわしく、恥ずかしい」
 山下達郎氏とデヴィ夫人は生前のジャニー氏とも親交があったようなので、こういう発言になったのだと思います。要するに身内の論理。批判されても仕方ないでしょう。

 なのですが、身内をかばう体質は誰にでもあって、これは人権を重んじる(はずの)左派リベラル陣営も例外ではありません。古い話を蒸し返しますが、この件で、私が忘れられないのは2016年7月、都知事選の際の「文春砲」です。
 この時、週刊文春(7月21日発売号)が報じたのは「鳥越俊太郎都知事候補 『女子大生淫行』疑惑 被害女性の夫が怒りの告白!」という記事だった。この後、追い打ちをかけるように週刊新潮(7月28日発売号)が「13年前の『被害女性』証言記録」と題する記事を出し、鳥越氏は窮地に追い込まれた。彼は小池百合子候補の対抗馬として出馬した当時の国政野党(民進党、日本共産党、社会民主党、生活の党と山本太郎となかまたち)の統一候補でしたから、影響は大きいです。
 鳥越氏本人は「まったく事実無根。法的代理人が東京地検に告訴状を提出したので、弁護士に一任している」と述べましたけど、ほんとのところは怪しかった。で、ここから先が問題の本質にかかわることなのですが、このとき(当時のこの往復書簡でも書きましたけど)、野党側はとリベラル陣営はこぞって鳥越擁護に回ったんだよね。 
「悪質な選挙妨害だ」「こんな週刊誌のデマを信じるのか」「冤罪に手を貸すのか」等々。SNS上には「10年以上前のことを今いうな」「そのくらいの経験は誰にでもある」「キスだけなら問題ない」「20歳なら〈淫行〉ではない」等のセクハラ容認発言まであって、私は熱が出そうだった。
 なにしろ、あの赤旗までが、この記事をデマと決めつけ「東京と日本の未来がかかった選挙戦を、卑劣なデマ報道で妨害することは絶対に許せません」と書いてたからね。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-22/2016072201_04_1.html

 たしかにこの時の記事には曖昧なところがあったし、証言者は「被害者の夫」でしたから詰めが甘いといえば甘かった。森君の映画「Fake」のもとになった佐村河内氏の事件のように、文春の報道がすべて正しいとは言いません。言いませんけど、鳥越候補のセクハラ疑惑が事実無根とは思えなかった。野党共闘の要請(というより圧力)で出馬を断念した宇都宮健児氏も、「女性の証言がある以上、事実無根とするのは女性へのさらなる人権侵害になる」として、応援を断ったほどです。
 しかし、野党共闘とリベラル陣営は記事を「デマ」と決めつけた。渋谷駅前で著名なフェミニストがずらりと並んで鳥越応援演説をしていた光景を私は忘れられません。あれは完全に、野党共闘という組織の論理に基づく「党派的な行動」でしたよね。
 スキャンダルの影響だけではなかったと思いますが、結果的に鳥越氏は大差で落選。2017年には、鳥越氏が名誉毀損と公職選挙法違反で刑事告訴した週刊文春と週刊新潮の編集長らは「嫌疑不十分」で不起訴処分になっています。文春砲は「選挙妨害」には当たらず、記事の内容も「事実無根」とはいえなかったということでしょう。

 もう一件、しつこく古い話を蒸し返すと、文春砲といえば、2018年12月、DAYSJAPANの発行人だったフォトジャーナリスト広河隆一氏のセクハラ(性暴力)事件が思い出されます。
「『世界的人権派ジャーナリスト広河隆一の性暴力を告発する』セックス要求、ヌード撮影 七人の女性が#MeToo」(12月26日発売号)と、「『広河隆一は私を二週間 毎晩レイプした』新たな女性が涙の告発」(2019年1月31日発売号)です。
 私はこの雑誌に創刊の年から15年、連載コラムを持っていたので、とても他人事ではなく、1年近く立ち直れなかった。(この記事の執筆者は、私もよく知るDAYSJAPANともかかわりのある人で、文春の発売前にこういう記事が出るという話も聞いていました)。DAYSがワンマン経営の会社であることはなんとなく聞いていましたけど、ここまでのセクハラやパワハラが放置されていたとは想像もしなかったので、そりゃあショックは大きかった。
 これは内部告発に近い記事でしたし、広河氏は著名なフォトジャーナリストだったし、2017年に世界中を席巻した「#Me Too」運動の後でもあったので、大手メディアもさすがにスルーはしなかったけれど、たとえばいつもは舌鋒鋭く権力者のスキャンダルを追究するネットメディア(LITERA)は、広河事件はほとんど報じなかった(LITERAは鳥越セクハラ報道も、後追い報道はしなかった)。あのLITERAにして「忖度」が働くのかと、いたく失望した記憶があります。
 DAYSはその後、最終号でこの件に関する検証を出し(19年3月)、19年12月26日には外部の委員会の手で「デイズジャパン検証委員会『報告書』」が発表されましたけど、いずれもあまり納得のいくものではなく、いまだに釈然としない気分が残っています。
 
 で、話はジャニーズ事件に戻りますが、山下達郎氏やデヴィ夫人のとった態度は、鳥越事件の時の野党リベラル陣営、広河事件の際のLITERAの方針と重なるところがある。事実、ジャニー喜多川氏の性暴力が20年(その後で出きた当事者の告発によれば50年以上)も放置されてきたのは、忖度どころか、メディアとジャニーズ事務所の結託の結果というしかありません。
 こういう土壌の国で、性被害を訴えるのは、どれほど困難なことか、と思います。
 ちなみに広河氏は、昨年、noteで「『文春砲』の性暴力報道」という記事を書いていますけど、自分の真意が伝わっていないという不満と弁明で、とても共感を得られるものではありません。もしジャニー喜多川氏が存命だったら、同じようなことを言うのだろうな、と思わせます。
https://note.com/ryuichihirokawa/n/n3fa64bbcb71c

 「#Me Too」運動のキッカケをつくったのは、ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの長年にわたる性暴力を告発したニューヨーク・タイムズ紙ウェブ版の2017年の記事でした。この件をこつこつと取材し、記事を執筆した二人の女性記者(ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイー)の報道に踏み切るまでの経緯は『その名を暴け』(古屋美登里訳・文藝春秋)で、詳しく書かれていますが、ジャニー喜多川氏の性暴力が放置されてきた過程、さらにそれが明るみに出る過程ときわめてよく似ています。
 〈右も左も関係ない。話題になるなら何でもやる〉という姿勢の文春に、〈新聞を代表とする既成メディア〉はまったく追いついていない。それは相手が「右」か「左」かによって態度を変える論壇や言論人の態度とも、通底している気がします。

斎藤美奈子

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