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WEBマガジン 24/01/29


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第147回

件名:震災と自民党と吉本と
投稿者:斎藤美奈子

森 達也さま

 遅ればせながら、あけましておめでとうございました。
 そして「福田村事件」の日本アカデミー賞3賞(優秀作品賞・優秀監督賞・優秀脚本賞)受賞、おめでとうございます。昨年10月の釜山国際映画祭(新人監督部門の最優秀作品賞)に続いての快挙ですね。ちょっと厳しめのことを前回は書きましたが、応援団のひとりとして嬉しいです。

 さて、1月1日、震度7の大地震が能登半島を襲い、まさかの年明けになりました。輪島や珠洲をはじめとする奥能登に私が訪れたことがあるのは一度だけですが、網野善彦さんの著書などでもともと憧れていた土地でしたので、大きな衝撃を受けました。海沿いの高台を走る国道から見下ろした海と崖下の集落の光景は本当に絶景で、でも絶景ってことは災害には弱いのよね。
 岸田首相と馳知事のトンチキな対応、それも含めての初動の遅れ、さらには「能登に行くな」コールの欺瞞。「能登に行くな」コールについて調べてみたところ、これは4日の朝7時から、深刻な渋滞を理由に石川県警が輪島市や珠洲市に向かう車両を制限したのがキッカケだった。→これを受けて同じ4日に国交省北陸地方整備局が一般車両の能登への移動を控えるよう呼びかけ、→岸田首相がそれに従って同様の要請をし、→5日には林官房長官と石川県の馳知事がこれに続き→メディアが一斉に「能登に行くな」といいはじめた、という順番で動いていました。
 岸田も馳も道路事情を理由に現地に自ら赴かず、いわば県警の判断にのっかって、ああいう無責任な発言をした。政治的判断を怠ったわけです。なにしろ岸田が現地入りしたのは発災2週間後の1月14日だった。

 歴代首相の災害対応を見ていくと、なんだかんだいって、みんな岸田よりはマシ。
 阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の際、初動が遅いとさんざん批判された当時の村山首相はそれでも発災2日後の19日には現地に入っています。新潟中越地震(2004年10月23日)の際、小泉首相が現地に視察に入ったのは発災3日後の26日です。東日本大震災(2011年3月11日)の際には菅首相が周囲の反対を押し切る形で翌日(12日)に福島に飛び、福島第一原発に乗り込んだ後、東北一円を空から視察した。熊本地震(2016年4月14日)の際、安倍首相が現地視察に入ったのは23日で、発災9日後でしたが、これは予定の16日(発災2日後)に視察を予定していたもの、この日により大きい本震が来て延期になったためだった。
 首相の現地視察は邪魔なだけだという意見もあるけど、首相が現地に行かないとやっぱダメなんだよ。被災者を励まし、自衛隊や警察消防の士気を高めるという意味はもちろんあるけど、総理大臣だって人の子で、現地を自分の目で見てはじめて「スイッチが入る」のよね。

 村山富市はあきらかにそれで、当時は情報の伝達体制が整っていなかったこともあり、最初はのんびり構えて、NHKのニュースで震災を知ったほどだっだ。在日米軍の出動も断った。しかし現地の惨状を見てからは覚醒し、そこからかなりのリーダーシップを発揮していくんですよね。24時間体制で情報を官邸にあげる仕組みを作り、北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官だった小里貞利を新設の大震災対策担当の専任大臣に横滑りさせ、現場に判断を任せる一方、責任は自分が負うという体制をとった。意外かもしれないど、村山内閣の震災対応は、今では高く評価されている。
 菅直人が現地を視察した後、自衛隊員を増強せよと指示したのも、スイッチが入った結果だったと思います。自著の中でも菅自身も書いています。
 〈災害対応における総理の最大の政治判断は自衛隊の出動を決めることだ。これについては迷いはなかった。地震発生直後に北澤防衛大臣には最大限の人員の派遣を要請しており、即時に2万人を出してもらい、最終的には自衛隊24万のうちの10万人を動員してもらった〉(『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』)
 阪神大震災が自社さ政権の下で起こり、東日本大震災が民主党政権の下で起きたのは、天の采配ではなかったかと私は勝手に思うのですが、実際、今度の能登半島地震における自衛隊の動員数は当初たったの1000人だった。以後、徐々に増えて10日までに6300人を現地に投入たものの、本震の翌日に2万4000人体制を構築した熊本地震、前述のように10万人規模を投入した東日本大震災に比べると、1ケタ少ない。木原防衛大臣は「能登半島という特性、半島の中でも特に先端部分、北部における被害状況が大きいこと。特に道路が寸断されているところが非常に多かった」と反論していますけど、「ああ、そうですか。それなら仕方ないですね」でいいのかってことです。

 1月14日の朝日新聞電子版で、防災研究の第一人者で石川県の災害危機管理アドバイザーも務める神戸大学名誉教授の室崎益輝さんは次のように語っています。

 〈自衛隊、警察、消防の邪魔になるからと、民間の支援者やボランティアが駆けつけることを制限しました。でも、初動から公の活動だけではダメで、民の活動も必要でした。医療看 護や保健衛生だけでなく、避難所のサポートや住宅再建の相談などに専門のボランティアの 力が必要でした。/ 苦しんでいる被災者を目の前にして、「道路が渋滞するから控えて」ではなく、「公の活動を補完するために万難を排して来て下さい」と言うべきでした〉
〈初動で、一部のボランティアしか入らなかったために、水や食事が手に入らず、暖もとれず、命のぎりぎりのところに被災者が直面した。それなのに、ボランティアは炊き出し にも行けなかった。/行くのをためらった状態を作ったことは大きな間違いだったと思います。そして、先に入 った一部のボランティアまでが、行政と同じように「来ないで」と伝えたのにも、大きなショックを受けました〉〈今回は「控える」の一色になったことで、被災者にとても厳しい結果を招いたと 思います。交通渋滞の問題ならば、例えば緊急援助の迷惑にならない道をボランティアライ ンとして示す方法もあったのではないか、と思います〉

 室崎さんは阪神・淡路大震災の被災者で、以来ずっと防災を研究してきたこの道の第一人者です。しかも石川県の災害危機管理アドバイザーなわけですから、能登の地域特性にも精通していたはずです。その人が〈悔恨の念にかられています〉とまで語るのだから、相当な事態です。
 今すぐは無理でも、なぜ今回は「移動を控えろ」一色になったのか、「行くな」コールに図らずも加担したメディアは、この件についていずれ検証すべきではないでしょうか。

 という震災の問題に加えて、この1月は、この国を震撼させる事件がいくつも起きた。
 まず前回、貴君も指摘していた自民党の裏金問題ですよね。
 派閥主催パーティーのキックバック問題からはじまったこの件は、政治資金収支報告書の不記載から、めぐりめぐって安倍派(清和会)や岸田派(宏池会)の解体にまで及んでいます。とはいえ、東京地検特報部は、安倍派「5人衆」(松野博一前官房長官、高木毅前国対委員長、世耕弘成前参院幹事長、萩生田光一前政調会長、西村康稔前経済産業大臣)ほか、塩谷立座長も下村博文元文科大臣も、かつて過去に派閥の会長だった森喜朗元首相も、嫌疑なしとして不起訴処分にした。こんなことで、自民党政治が浄化されるとはとうてい思えません。

 そしてもうひとつは、年末(12月27日)に週刊文春が報じた松本人志の性暴力疑惑です。
 1月8日、松本が名誉毀損裁判に専念したいとして芸能活動の休止を発表。当初「当該事実は一切なく」と全面否定していた吉本興業も24日に態度を一変、この件は「真摯に対応すべき問題」であるとし、外部の弁護士を交えて事実確認を進めているという声明を発表しました。
 貴君は前回、このように書いていた。
 〈現在の裏金疑惑、自民党と旧統一教会の不健全な関係、ジャニーズにおける性加害、最近のメディアをにぎわせるこれら3つの事件や不祥事については、二つの共通項がある。そのひとつは、昨日今日ではなく何十年も昔からあったこと。そしてもうひとつは、多くのメディア関係者にとっては既成の事実だったということだ。/でも何十年も問題として提起されることはなかった。一人ひとりの記者やディレクターが、組織や同僚たちの一部になってしまっているからだ〉
 松本人志と吉本興業についても、同様のことがいえるよね。
 芸能界の性暴力問題は、ずーっと以前からいわれてきたことで、しかし誰も動かなかった(動けなかった)。ジャニーズ事件の場合は加害者がジャニー喜多川ひとりで、しかも加害者は死去した後だった。吉本興業はちがいます。加害疑惑がかかっているのは、もはや松本人志ひとりではなく、吉本の組織ぐるみの黙認や隠蔽が取り沙汰されていいます。
 アメリカでハリウッドのワインスタイン事件に端を発する「#Me Too」運動が起きたのは2017年です。それから7年。2024年は、日本版の「#Me Too」がいよいよ本格的に始動する年になるでしょうか。

斎藤美奈子

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