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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第175回 |
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件名:「自分アルゴリズム」に排除される政治ニュース 投稿者:斎藤美奈子
森 達也さま
前回の貴君の「犯罪報道」の話、おもしろかったです。
「世界有数の低犯罪率国であるにもかかわらず、「体感治安」はきわめて悪い国となっている」「犯罪件数が減少していく時期に、日本の犯罪報道は増大していった」「ニュースの主軸は犯罪とスポーツになり、政治や外交は後景に退いてしまう」「多いのは犯罪そのものではなく、犯罪報道の量」
ほんとにそうだね。
「京都の男児遺棄事件や旭山動物園の妻遺棄事件などの報道を見聞きしながら、地上波テレビのニュースにほとんど興味がなくなっている自分に気がついた」 という貴君の話で私も気づいたんだけど……、私はこの半年近く、ニュースに限らず地上波をほとんど見てません。衛星にはもともと加入していないので、テレビそのものをほとんど見ていない。それでも昨年まではNHKのニュースと朝ドラと、世間ウォッチングの材料として、ワイドショーくらいは、ちゃんと見ないまでも、流しっぱなしにはしてたんだけどね。 なぜこうなってしまったのかといえば、つまるところネット(PC)ですべての用事が足りるのよ。どうしても見たい番組(はあまりないけど)は、民放のティーバーと複数のサブスクとNHKオンデマンドでOKだし、好きな時間に自分のペースで視聴できるので、こっちの方が全然便利。リアルタイムのテレビのニュースを見るとしたら、地震でグラッときた時くらい? というか、私はもともとテレビと親和性の高い人間ではなく、大学の4年間と、社会人になってからの数年間、計10年近く、テレビなしの生活をしてた。外から入る情報はラジオだけ。 就職してから新聞は一応とるようになったけど、今とちがってネットはないから、ものすごく情報音痴だったと思う。その体で雑誌編集者をやってたのだから、われながら、よくもまあ、と思います。 テレビのない生活で、何がいちばん人とズレるかというと、CMですね。みんながギャグにしている流行りのCM(らしきネタ)が何のことだかわからない。人気のドラマとかバラエティ番組とかタレントとかも、半分くらい意味不明。重要なニュースもきっと見逃してたと思う。 70年代、80年代は情報に占めるテレビの割合がすごく高かったじゃない? だから会話が成立しない場面が多々あった。
大学時代にテレビを買わなかったのは、テレビがあると「テレビ漬けの生活」になるに違いないと思ったからで、実際、なくても平気だった。 その信条を曲げて中古のテレビを買ったのは1985年、春から阪神タイガースの快進撃が続いて優勝するかも、な感じになっていたから。要するにスポーツに負けただね、ハハハ。 その翌年(86年)がチェルノブイリの原発事故で、この時はテレビに釘付けになり、以後人並みに「テレビのある生活」になったけど、いままた数十年ぶりに「テレビのない生活」に戻ってみると、なくても困らない。たまにつけると、うるさいんだよね、テレビって。なのですぐ消す。
若い人で「テレビは見ません」どころか「テレビは持ってません」な人がけっこういるじゃない? 自分の経験に照らしても、それ、ちょっとわかる。 テレビ視聴は習慣の問題なので、見続けてるとなしではいられないけど、ないのが常態化すると逆に邪魔なのよね。数年前、足をケガして入院してたときも、病室のテレビは一度もつけず、パソコンでNetflixの韓国ドラマを見てたからな。 こうして世のテレビ離れは進み、やがて日本のテレビは滅ぶのだろうか……。
で、最初の「ニュースの主軸は犯罪とスポーツになり、政治や外交は後景に退いてしまう」という話ですけど、森君は映像畑の人だから、私よりテレビ報道の質に敏感なんじゃないのかな(褒め言葉ですもちろん)。「京都の男児遺棄事件や旭山動物園の妻遺棄事件などの報道」の話を知って「まだ、そんなに犯罪報道ばかりやってるのか」とは思ったけど、私はたぶん普通にニュースやワイドショーを見てたとしても、そうは感じなかったかもしれない。 地下鉄サリン事件の報道(1995年)はさすがに異常だったけど、そうじゃなくてもメディア特にテレビが異様に加熱した事件ってあるじゃない? 東電OL殺人事件(1997年)とか、神戸連続児童殺傷事件(1997年)とか、光市母子殺害事件(1999年)とか。 たぶんこのころから犯罪報道が「視聴率のとれるコンテンツ」と認識されるようになったのだと思うけど、私自身は、こういうニュースを、もちろん把握はしてたけど、みんなが「なぜそればっかりなんだ!」と怒っているのは、あまりピンと来なかった。 なぜかって、いま思い返すと「自分アルゴリズム」が働いて、犯罪報道が始まるとチャンネルを変えるとかテレビを消すとかしてたんだと思う。森君と同じで、事件に興味がないのよ。 どんなニュースも「見なければすむ」わけで、見ないでいると、実際平和。興味がないと言いつつちゃんと見て怒っている人(たとえば森君?)との温度差がそこに出てくる。
同じことが、政治や外交についても言えるのではないだろうか。 なんでこんな高市内閣の支持率が高いんだ、おかしくないか? と私たちは思うけど「政治って興味ないんですよね」な人は、自分アルゴリズムで、政治ニュースを排除している。すると世界の見え方が全然違ってくるわけで、「推し活選挙」で自民党に投票してしまう。 一概に彼らを「政治音痴」とは言えないけれど、森君が「大谷翔平、何がおもしろいの? さっぱりわからん」と公言する「スポーツ音痴」なのと同じくらいには、政治音痴なわけですよ。 それを払拭するためには、それこそジャーナリズムの本分に立ち帰り、せめて世界水準にまで政治ニュースの含有量を引き上げるしかないのだろうと思う。思うけど、そうなったら、人々は政治に興味を持って「音痴」が解消されるのだろうか。結局は、自分アルゴリズムで、チャンネルを替えるかテレビを消すという行動パターンになるのではないだろうか。 ジャーナリズムには立ち直ってもらいたいと思うけど、すでに悪循環に陥っている。その意味では、テレビにはもうあまり期待できない。活字メデイアも相当ヤバいことになっているけど、テレビよりはずっとマシと思うのは、活字ベースで生きてきた私の欲目でしょーか。
斎藤美奈子
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