現代書館

WEBマガジン 17/09/12


第12回 3−4 一生のバイブルとの出合い(その4)

黒田龍之助 Web連載 「ぼくたちのロシア語学校」


 本科に進級してからも、わたしは相変わらずクラスで最年少だった。ときには貝澤くんと違うクラスに配属されることもあり、そうなると年下であることがさらに目立つ。しかもロシア語学科の大学生ではない。かつてのヘンな高校生は、ヘンな大学生になっていた。

 だがヘンなのはわたしだけではなかった。ミールに通ってくる生徒には、謎の人が多かった。だいたいは社会人で、授業には仕事の後でやってくる。だが具体的な職業となると見当もつかない。そこが高校や大学とは違うわけで、それが楽しかったりした。
 
 授業の後、クラスメート何人かで近くの居酒屋へ飲みに行くこともあり、編入試験を控えていたわたしも、そういうことは積極的につき合った。社会人と話をするのが、物珍しかったのである。
 
 いつも率先して飲みに誘うおじさんが2人いた。1人は藤子不二雄の漫画に出てくるラーメンばかり食べているおじさんに似ていて、もう1人はずんぐりと大きくて雪男みたいだった。
 授業中はいたって大人しい2人だったが、場所が飲み屋に変わると急に元気になり、サラリーマンらしい情けない愚痴をこぼしながら、下品な冗談を連発した。口ぐせは「おじさんたちみたいになっちゃダメだよ」で、貝澤くんとわたしの顔をみればこのセリフをくり返す。
 わたしはこれを素直に受け止め、ああいうふうにならないように現在も気をつけている。

 そういうヘンなおじさんもいたが、生徒は基本的に真面目な人が多かった。
1人、非常によくできる女性がいた。課題はしっかり暗唱してくるし、発音も先生から誉められることが多い。イントネーションがよくないと指摘されて悩んでいるわたしに、ロシア語の朗読テープを貸してくれたこともあった。
わたしの目指す四谷の大学の卒業生で、その当時はロシア語と関係のある省庁に勤めていることが、授業中の自由会話の内容から推測できた。やはり実際に仕事で使っている人は違う。

 だが彼女はある日、ミールをあっさりと辞めてしまった。理由を聞けば、「もう充分やったから」。
 彼女だけではない。このような優秀なタイプにかぎって、実にきっぱりとロシア語に見切りをつけてしまう。もちろん多喜子先生も残念がるのだが、外国語は本人のやる気がなければ、誰も強制できない。去りゆく後ろ姿を見送るしかないのである。

 わたしは考えた。
 優秀でないわたしにできるのは、止めないことだけだな。
 
      *         *         *

 1985年2月中旬、わたしは四谷の大学へ編入試験に出かけた。この大学は現役時代に受験したので、同じ道を2年ぶりに歩いて試験会場へ向かっている。
 あのときは受験生が大勢いたが、編入試験はほとんど人がいなくて、キャンパス内もひっそりと静まりかえっていた。

 一次試験は筆記とディクテーションだった。問題はやはり難しく、手ごたえなんてほとんどなかったが、それでも差し当たり合格した。運がいい。
 数日後におこなわれた二次試験では、午前中は入学の志望動機に関する論述(日本語)、午後は専任教員全員による面接だった。
 志望動機では、ミールで熱心にロシア語を学んできたことをアピールしておいた。というか、ほかに誇ることなんて何もなかった。

 面接では筆記試験の成績があまりよくなかったことが告げられた。ああ、やっぱり。
 そこで2年生からでよければ編入を許可するがどうかと打診された。どうもこうも、喜んで受け入れるしかない。お情けで合格するのは、ミールの本科試験に続いて2回目である。本当に試験がダメなのだ。でもまあ、受かってしまえばこっちのもの。

 今になって当時の専任教員たちの気持ちを想像してみれば、なんだか知らないが、やる気だけはありそうだから、おまけで編入学させてみるかと考えたに違いない。それにしてもこの受験生が必死でアピールするミール・ロシア語研究所とはいったい何なのか、先生がたは不思議に思ったことだろう。
  
       *        *         *

 1985年4月、わたしは四谷の大学のロシア語学科2年次に編入した。新しい大学生活にはすぐ慣れた。それまでは史学科の専門科目と並行してロシア語を学んでいたが、これからはロシア語だけやっていればいいのである。こんな楽なことがあるだろうか。

 ひと月ほどして、廊下ですれ違った学年主任の先生から、最近調子はどうだねと声をかけられたとき、わたしは何の躊躇いもなく「Всё в порядке.《万事順調です》」とロシア語で答えた。
 先生は、いや、それはそう答えるかもしれないけれど、本当のところはどうなのだと、さらに尋ねてきた。気を遣っていただいているのは分かるのだが、そのときは《万事順調です》こそが、紛れもない本心だったのである。
  
       *        *         *

 ロシア語学科に編入できたことは、多喜子先生も喜んでくださった。
 「では、今後はますます頑張って、ロシア語を勉強してください」

 もちろんです。たとえロシア語学科で学ぶようになっても、ミールの授業が優先順位の第1位であることは、決して変わりません。

 朝から晩までロシア語漬け。この理想的な環境を整えるまでに、わたしはふつうの人よりだいぶ時間がかかってしまった。
 それゆえに喜びもひとしおの、20歳の春だった。



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