現代書館

WEBマガジン 17/10/10


第14回 4−2 途中から参加するドラマ(その2)

黒田龍之助 Web連載 「ぼくたちのロシア語学校」


 『若い家族の一年』を使った本科の授業の進め方は、予科の『言語能力発達教材』と変わらない。生徒は予習として、指定範囲の意味を調べておく。授業ではその部分の音読、和訳、露訳、最後に内容についての質疑応答を順番にこなす。もっとも大切なのは口頭による和文露訳なのだが、これをうまくクリアするためには、事前に本文を暗唱しておくのがもっとも効果的だ。
 
 外国語学習では、あるレベルに達すると、必ずまとまったテキストを読む練習をする。生徒はそのために、自宅で知らない単語を辞書で調べてきて、授業中に自作の試訳を発表する。教師は間違いがあれば訂正し、さらにコメントを加える。
いわゆる「訳読」だが、現在では世間から厳しく批判される。そんなことをしても、外国語が話せるようにはならないという。
 
 だが話せるようにならないのは、訳読が悪いのではない。その後に暗唱しないからである。どんなテキストにせよ、訳出した後に口頭で、日本語から外国語へ訳す練習をすれば、必ず実力がつく。家で辞書を引いてくる作業は、外国語学習の準備にすぎない。和訳を確認したあとで暗唱するのが勉強であり、教師はそれをサポートするのが任務である。
 
 シュリーマンの昔から、暗唱が外国語教育に効果的なのは自明の理なのに、それが実践できていないのは、生徒が暗唱を面倒くさがるだけでなく、教師もまた、そういった単純作業を軽視するからではないか。つまり、教師自身が面倒くさがっているのである。生徒の暗唱につき合うには、教師にも覚悟が必要だ。
 もっとも、本格的にやろうと思ったら、受講生の数を思い切り限定しなければならない。大学ではどう考えても無理だ。
 
 だからこそ、ミールのような専門学校が必要なのである。先生が面倒くさがらず、熱心に生徒の暗唱につき合ってくださるのだから、たとえ物語の途中だろうが何だろうが、生徒もしっかり予習して、それに応えるしかない。

         *         *         *
 
 内容がどんなに難しくなっても、発音は疎かにできない。強いウダレーニエが要求されることも、どのクラスだろうが変わらない。それがミールである。
 ミールの発音指導は、決して手加減しない。ときには物語の内容なんてそっちのけで、発音のダメなところを指摘される。

 「《黒田さん、今の文をもう一度発音してください》」(《 》内は本来ロシア語)
 
 当時、わたしは大田区に住んでいたのだが、JR大森駅から自宅までは、徒歩で二十分くらいかかった。夜十時過ぎ、すでにシャッターの閉まった商店街を歩きながら、その日の授業で、多喜子先生から注意された発音が、頭の中で甦る。
 
 今日はЖの音がよくないといわれた。Жは雑誌という意味の「журнал ジュルナール」の、はじめの「ジュ」という音である。
 『標準ロシア語入門』によれば「舌を奥へひき、舌先を硬口蓋に近づけ、舌先に向けて強い息を集中すると、舌先と硬口蓋とのうすいすきまで空気がまさつしてこの音がでます」とあるが、理屈は分かっているつもりでも、ダメ出しされまくりだった。
 
 そんなにダメだったかな。自分ではちゃんとやってるつもりなんだけど。ジュ。こんな感じかな。ジュ。ジュ……。もっと歯と歯の間を開けなさいっていわれたっけ。ジュ。いや違う。ジュ。こうかな。ジュ。ジュ。ジュ……。
 
 気がつけば、前を歩いていたサラリーマン風の男性が、歩みを意識的に速めていた。わたしから、すこしでも離れたいようだ。
 後ろからジュ、ジュとくり返す、不気味な男が近づいてきたら、誰だってそうする。

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