現代書館

WEBマガジン 17/11/07


第16回 4−4 途中から参加するドラマ(その4)

黒田龍之助 Web連載 「ぼくたちのロシア語学校」


 話をすこし戻そう。
 四谷の大学に2年次編入してから、月日はあっという間に過ぎ、気がつけば卒業まで、あと1年となっていた。
 当時はバブル景気がはじまった頃で、ロシア語関係者にとっては、チェルノブイリ原発事故のようなマイナスもあったけど、就職はイケイケだった。クラスメートも希望に燃え、商社やメーカーに勤めることを目指して、就活に動き始めた。

 一方、わたしはもうすこしロシア語の勉強を続けたかった。といっても、運用能力を高めようというのではない。それはミールで充分に身につく。そうではなくて、もっとロシア語を多角的に知りかったのである。
 その頃に熱中していたのは中世ロシア語、つまりロシア語の古文だった。こういうことをもっと深く学んで、ロシア語の全体像をしっかりと捉えたい。本当にロシア語ができるというのは、そういうことなんじゃないか。

 この頃から、わたしは大学院進学を考えるようになった。
 最近では世間でも、大学院が身近になったようだが、当時はそれほどでもなかった。せっかくの好景気で、就職先も選り取り見取りなのに、なんだって大学院なんかに進もうとするのか、理解してもらえないのがふつうだった。だからわたしは、進学のことは周囲にもいわず、自分の胸の内に収めておいたのである。

 ところが3年生の春休みに、学内でロシア語学科のみを対象とした就職説明会が開かれることになり、関係ないので欠席したところ、わたし以外は全員出席したそうで、おかげで黒田は就職する気持ちがなく、大学院への進学を希望していることが、皆にバレてしまった。
 といってもクラスメートたちは、ヘンな編入生がヘンな進路を考えているくらいにしか、思ってなかったようだ。

         *         *         *

 大学院に進むのはいいが、問題は進学先である。四谷の大学にも大学院はあるのだが、どちらかといえば言語学や国際関係を学ぶところで、ロシア語を深めるには向いていない。ちなみに、これはわたしの判断ではない。相談をした先生全員から、是非とも他大学へ移りなさいと、口をそろえて説得された。
 わたしはこの忠告に、素直に従うことにした。今思えば先生方は、いろんなことに興味を持ちすぎるわたしに、少々手を焼いていたのかもしれない。
 
 他大学の大学院に進むべく、いろんな人に意見を聞いた。
 貝澤くんは「早稲田を受けるんだったら、資料とか持ってくるよ」といってくれた。いつもクールで、他人に対して覚めていて、日本語でもロシア語でも、酔っても素面でも難しい話しかしない彼が、こんなふうにいってくれたことは心底意外で、内心とても嬉しかった。

 だが、わたしは違う方向を考えていた。
 その当時、わたしは中世ロシア語以外にも、さまざまなスラブ系言語に興味をもつようになっていた。だが四谷の大学では、そういう外国語の授業が開講されていなかったので、民間のカルチャーセンターに通った。
 4年生では2年半に及ぶセルビア語クラスを終えて、チェコ語をはじめた。将来、大学院ではロシア語だけでなく、ほかのスラブ諸語まで視野に入れて勉強したい。そのためのステップとして、中世ロシア語をさらに勉強しようと考え、その補助としてセルビア語やチェコ語を学んだのである。

         *         *         *

 いろいろ調べたところ、本郷にある国立大学に、スラブ語学を専門とする先生がいらっしゃることが分かった。わたしもユーゴスラビア関係のパーティーで、一度お会いしたことがあったし、著書も読んでいたので、この先生の下で勉強を続けようと考えた。

 ところが本郷の大学は難関で、四谷の大学の先生からは、黒田くんがいきなり受験しても無理だから、まずは学士入学で3年生に編入してはどうかとアドバイスされた。なるほど、そうかもしれない。
 ということで、またしても「途中から」を目指すことになったのである。

 編入試験に向けての勉強法は、さすがに多喜子先生に相談することなく、一人で考えた。本郷の大学の事務室で過去問を見せてもらったところ、基本は露文和訳であることが分かった。とすれば、必要なのは語彙を増やすことだけ。単純明快だ。

 学費はどうするか。家計がそれほど逼迫していたわけではないが、親には池袋の大学と四谷の大学の両方に、学費に加えて入学金まで出してもらっていたから、これ以上は頼みにくかった。そこでアルバイトをするわけだが、家庭教師だけでは、なかなかお金が貯まらない。
 
 だが金銭問題も、実はそれほど悩んでいなかった。
 その頃にはミールを通じて、通訳のアルバイトの話がときどき来るようになっていたのである。日本の旅行会社を通じて、ソ連からの観光客を受け入れる仕事が多く、ロシア語学科対象の就職説明会を欠席したのもそのためだった。それほど稼げるわけではないけれど、家庭教師代と合わせれば、入学金くらいは払える。そんな胸算用があった。
 きっとなんとかなるはず。

 22歳のわたしは、いまと同じく、ひどく楽天的だった。

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