現代書館

WEBマガジン 17/11/21


第17回 5−1 永久凍土と間欠泉(その1)

黒田龍之助 Web連載 「ぼくたちのロシア語学校」


 ミールの本科では、ラズガボールニクや「オレーグとマリーヤ」の他にも、さまざまな教材が使われていた。歴史や地理に関するものが多かったが、ミールの教材の常として、出典がよく分からないものもあった。すでに入手困難となったソビエトの出版物を授業で使うとしたら、コピーを断片的に配布するしかない。ちなみにミールの教材は、『標準ロシア語入門』とラズガボールニク以外、すべてソビエトの出版物だった。
 
手元には歴史を扱った教材が残っている。珍しく断片ではなく、全50ページほどで、簡単だが製本されている。おそらく『言語能力発達教材』と同様に、東多喜子先生から直接いただいたのだろう。中身はロシア・ソビエト近現代史で、十月革命に至るまでの経緯や、第二次世界大戦についての記述が中心だ。
 試みに一節を訳してみれば、こんな感じである。
 
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 十九世紀の中頃、ロシアは政治的、経済的に遅れた国であった。農奴制廃止以降は資本主義が発達し始めたが、ロシアは後進的な農業国のままだった。1861年の改革は農民たちに土地も生産手段も与えなかったので、最大多数を占める階級、つまり農民は非常に厳しい状況にあった。労働者の状況も、ロシアや外国の資本家たちからひどい搾取を受けており、同じく厳しかったのである。国内には憲法もなければ、労働法規もなかった。帝政ロシアは民族の牢獄であった。
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 テキストにはウダレーニエを示す記号が付されていないので、自ら書き込まなければならない。いま見れば、狭い行間に「農奴制」「生産手段」「労働法規」といった訳語が鉛筆書きでメモされている。一方、「搾取する」や「牢獄」といった単語はそのままなので、すでに知っていたのだろう。似たようなテキストを大量に読まされた結果、難しい単語もいつしか覚えてしまったようだ。
 どんなに難しい教材を使おうと、ミールの方式は変わらない。正しく音読して、和訳して、さらに逆訳でロシア語を唱えてから、最後は内容に関する質疑応答。帝政ロシアだろうが、対独戦だろうが、すべて暗唱である。
 
もちろん、こういったバリバリのソビエト史観については、ソビエト崩壊以前の1980年代の学生だったわたしにも、さすがに心理的抵抗があった。大学で習う歴史観とは、あまりにも違う。
 だが問題はそこではない。こういう表現は当時の新聞や雑誌で、よく使われていた。外国語学習としては、よく使われる表現を覚えなければならない。どんなに難しくても、一度覚えてしまえば、あとはくり返しだから、結局は実用的なのだ。ミールは歴史ではなく、ロシア語を教える学校である。

 歴史のほかによく使われた教材は、日本の科目でいえば地理が近かった。ロシア語で「страноведение ストラナベーヂェニエ」といい、辞書には地域研究などといった訳語が与えられているが、自然のほかに産業や伝統、習慣なども含まれるから、地誌と考えたほうが適切かもしれない。
 ソ連は大きな国で、共和国や地域ごとにさまざまな特徴があった。その特徴を学ぶのが、このストラナベーヂェニエである。
 
 ストラナベーヂェニエの教材は何種類かあり、コピーの他に、教科書を持っていた記憶もあるのだが、いまでは手元に何もない。その代わり定期試験の答案用紙がいくつか残っていて、そこにコピーの断片を見つけた。訳出すれば、こんな感じである。
 
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 レニングラードは海洋都市である。これは至るところで感じられる。気候もまた、雨や霧や風がいかにもそうなのだ。また、通りを行く船乗りの数の多さも同様である。さらには橋の柵の飾り付けがそうだ。そこには竜の落とし子や人魚が施されているのである。
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 ソ連内の自然や産業を紹介するわけだから、ロシア共和国に限らない。バルト諸国や、カフカ―ス(コーカサス)地方も取り上げられる。
 ラトビアの首都リガについては、こんな文章も読んだ。
 
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 街の中心である「旧リガ地区」は、特別保護区に指定されている。ここにはユニークな建物で、リガの輪郭を形作る建物の一つ、ドーム寺院がある。1211年に建設されたものだ。この建物の建築学的な創意工夫は、この寺院を建設したのが当時最高の職人であったことを証明している。
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 ラトビア史、アルメニア史、ウズベク史、なんでも面白く読んだ。やっぱり歴史が好きなのだと、実感する。一時は史学科に在籍していたくらいだから、当然かもしれない。
  ストラナベーヂェニエについて、歴史寄りの話題は得意なのだが、地理に関する知識はなかなか覚えられない。こちらのほうが普遍的で、むしろ現在でも通用するはずなのに、昔から理科が大の苦手だったわたしには、大自然がつらかった。

 記憶に残っているのが、シベリア・極東について学んだことである。マガダン地方には今でも、地中にマンモスが凍っているという話が面白かった。だが中には、いくら辞書で日本語を調べても、さっぱり分からないこともあった。
 シベリアの永久凍土вечная мерзлота。地中の温度が一年中零度以下であるため、常に凍っている土地のことである。こういう土地の上には、建物を建てることは難しい、といったような内容だったと思う。

 カムチャッカの間欠泉гейзер。周期的に噴き出す温泉のことである。「ゲーイゼル」はドイツ語のGeyserから来たという。
 永久凍土も、間欠泉も、ミールの教材を通して覚えた日本語である。当時はこんな単語、はたして使うチャンスがくるのかと半信半疑だった。

 だが、そのときはちゃんときた。
 大学院博士課程の頃、ある小さな研究会に属していた。いつもは某大学の一室で開かれていたが、あるとき温泉地で合宿することになった。いっしょに行くのは、ロシア文学やロシア史の専門家ばかりである。
 街の真ん中には、温泉の湧く様子が見られる場所があった。ピューッと噴き出す温泉を見ていると、わたしは急に思い出した。
 
 そういえば、間欠泉はロシア語でゲーイゼルっていったけな。
 
 ふと口にしたそのことばを、隣にいた大学教師が聴いていた。「黒田くん、ずいぶん難しい単語を知っているね」
 いえ、その、昔ミールで覚えたんですけどね。

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