現代書館

WEBマガジン 17/12/19


第19回 5−3 永久凍土と間欠泉(その3)

黒田龍之助 Web連載 「ぼくたちのロシア語学校」


 通訳をするようになると、いろんな書類が溜まってくる。わたしはさまざまな資料を大型の封筒にまとめ、それぞれ「東京」「京都」「金沢」のような地域別、あるいは「日本文化」「統計」のようなジャンル別に分けて、保存しておいた。こうしておけば、急な仕事にもすぐに対応できるというわけだ。
 すでに通訳から遠のいて久しいが、資料だけはいまも手元にある。封筒の中はあのときのままで、四半世紀前の空気が残っているような気さえする。
 
 「東京」を開けてみた。そこには手書きやタイプ打ちのロシア語原稿が、あれこれ詰め込まれている。東京タワーや浅草のほかに、東京ディズニーランドが詳しくて、全アトラクションを手書きで露訳した資料のコピーまである。上級生の誰かが作成したのを、ちゃっかりいただいたのだろう。「東京ディズニーランド・ガイドブック」というパンフレットも残っていた。
 パンフレット類は各種あって、通訳で訪れる先々でもらってきたことが窺われる。
 
 東京都総務局が発行している「暮らしととうけい」といった資料集もあった。こういう話題は、バスの中で時間を潰すときによいテーマなのである。
 実際には観光でも、名目上は視察として来日している彼らは、統計資料にある数字などを、熱心にメモする。帰国後の報告などで役立てるらしい。こちらもそのつもりで、あれこれ用意しておく。
 
 封筒の中には、観光バスガイドが使うらしい、東京案内の台本まであった。もちろん日本語だが、これを参考にしてロシア語で説明すれば、ずいぶん助かる。
 この手のものはふつう門外不出で、いったい誰がどこでどうやって入手したのか不明だが、貴重な資料である。
 その冒頭は次のように始まっていた。
 
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 東京は1200万人も人口を抱える、世界一の大都会です。50階、60階という大きなビルが建ち、高速道路や地下鉄が縦横に走り、早いテンポで変化していますが、この東京がこれまで、どのような歩みを続けて来たのか、その移り変わりについて少しお話し申上げましょう。
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 この先は東京の概観、さらには名所旧跡の案内が続く。「東京駅」の案内はこうなる。
 
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 赤レンガ造りの東京駅は大正13年(1914年)に完成し、もう60年余りになる古い建物です。オランダのアムステルダム駅を真似て造られたもので、新宿や池袋のようなスマートさはありませんが、東京の表玄関らしい、どっしりとした姿を見せています。
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 お気づきだろうか。ストラナベーヂェニエと何も変わらないのである!
 ミールで学ぶことには、まったく無駄がない。
 
 外国語を専攻する大学生は、授業で覚える単語が実用的でないと、不満を漏らす。こんな使えそうもない単語じゃなくて、もっと役に立つ単語を教えてほしいという。その一方で、スラングや流行語は喜んで覚えたがる。
 
 だが、何が使える単語で、何が使えない単語かは、学習者に判断できない。
 とくに大学生の語彙なんて、たかが知れている。「永久凍土」も、「間欠泉」も知らないのである。しかもその基準は、友だち同士で話す場面を超えない。
 
 人の交流が盛んになった現在、外国語を専攻する大学生の多くがネイティブの友人を持ち、実際に会ったり、SNSで連絡を取りあったり、さらには留学を経験したりしながら、外国語を使っている。それは悪いことではないが、同年代の言語感覚を過信すると、それ以上は伸びなくなってしまい、大人との会話ができない。延いては仕事にもならないのである。
 
 スラングや流行語についても、注意したほうがいい。スラングは使う場面を間違えると、とんでもないことになる。
 一方、流行語というものは、常に更新しなければならない。いまどき「オジン」や「ナウい」なんて使ったら、相当恥ずかしいではないか。
 
 外国語を本当の意味で身につけたいのなら、プロになりたいのなら、どんな単語も「好き嫌い」をいわずに覚えなきゃ。ロシア語通訳の経験を通して、わたしはそう考えた。
 わたしはすでに、外国語のプロを目指しはじめていた。

    *    *    *     *

 プロを目指すためには、語彙を増やさなければならない。そう考えると、ラズガボールニクの単語一覧を見る目も、だんだんと違ってきた。
 黒テン、白テン、ミンク、アストラカンといった毛皮の名称は、自分では使わなくても、観光客がソ連で買い物するときには必要だろう。扁桃腺炎、気管支炎、喘息、肋膜炎、肺炎など、病気の名前は見ているだけで、こっちまで具合が悪くなりそうだが、一行の中に持病持ちの参加者がいないとも限らない。
 あらゆる単語が通訳には必要に思え、必死で記憶するよう努めた。
 
 はじめからこんなふうに、悟っていたわけではない。かつてストラナベーヂェニエで、「永久凍土」や「間欠泉」に出合ったときは、他にもっと覚えなければならない単語があるんじゃないかと、疑問に思ったものだ。
 だが、ミールの授業で出てくるとなれば、仕方ない。文句をいわずに覚えるしかなかったが、それがよかったのである。
 実際、「間欠泉」はその後も通訳で必要となった。「永久凍土」は今のところ使ったことはないが、先のことは分からない。
 
 ミールの教材で使ったストラナベーヂェニエは、ソ連内しか扱っていなかった。だがソビエト観光客に日本を案内するときは、それでは足りない。必要な単語は自分で補う。「皇居」や「五重塔」といった名所旧跡から「ダブルカセットデッキ」や「ウォークマン」のようなお買い物必須単語まで、せっせと蓄えていく。それが実に楽しかった。
 
 今でも東京タワーを目にすれば、展望台へ上がるまでのエレベータ内で紹介するロシア語が、自然に口から出てくる。
 
 「《みなさま、本日は東京タワーにお越しくださいまして、誠にありがとうございます。当タワーは総合的なラジオ・テレビ塔で、高さ333メートル、1958年に建設され、その建設費用は当時のお金で30億円かかり……》」


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 1988年春、わたしは四谷の大学を卒業して、本郷の大学に学士入学して3年生となった。入ってみれば、ここは本当に小規模な露語露文学専攻で、授業もほとんどが大学院と共通。
 これなら大学院にまっすぐ行けばよかったと考えていたら、某先生から、だったら大学院を受けちゃえば、だって黒田くんは四谷の大学を卒業しているから、資格はあるでしょというご神託。
 それもそうだということで、受験してみたら運よく合格し、翌年からは大学院生となるというウルトラCをやってしまった。試験が苦手だといいながら、このころは受験ばかりの日々だった。
 
 どんなに受験が続こうが、身分が大学生から大学院生になろうが、ミールに通うことは変わらない。ミールはすでに生活の一部だった。そこで覚える単語は、大学や大学院では決してお目にかからないものだったが、それを駆使することで、学費が捻出できたのである。
 
 お金と同じく、単語もせっせと稼いでいた24歳だった。

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