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第20回 6−1 拝啓、グエン・バン・リン書記長殿(その1) |
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黒田龍之助 Web連載 「ぼくたちのロシア語学校」
ミールмирとはロシア語で「平和」という意味である。 実をいえば、現代ロシア語にはもうひとつ「ミール」という単語があって、そちらは「世界」を意味する。古い時代は違っていたが、いまでは多義語となってしまい、ときにはどちらの意味なのか、判断に迷うこともある。 だがわたしたちの学校は、間違いなく「平和」だった。なにしろミールのあったビルの名称が、「平和ビル」だったのである。さらには、ミールと同じフロアに雀荘があって、そこは「麻雀ピース」といった。これはどう考えても「平和」ではないか。わたしは勝手にそう決めつけていた。 ミールに早めに到着して、前の授業が終わるのを、狭くて薄暗い廊下で待っていると、その麻雀ピースに近所のラーメン屋が、岡持で炒飯なんかを運んでくる。それを眺めながら、お腹すいたなあ、終わったらマリコ社長と駅前の中華屋に行こうかな、なんて考えていた。 その狭くて薄暗い廊下で、ときどきすれ違う初老の男性がいた。ビルの管理人さんだとばかり思っていたのだが、その男性が帰り際に「До свидания!《さようなら》」とロシア語で挨拶したので、ビックリした。上級生に尋ねると、あれ、知らないの、東一夫(あずまかずお)先生だよ、と笑われてしまった。 * * * * ミール・ロシア語研究所は、1958年に創設されたという。わたしの生まれる前だし、昔のことは知らないが、1980年代の教授陣は、東一夫先生と東多喜子先生、それに藤沼敦子先生や角田安正先生が入門科と予科で教えて、さらにソ連大使館からロシア人の先生も招いていたらしい。本科は多喜子先生が中心で、一夫先生は当時ごく上のクラスしか担当なさっていなかったので、わたしはまったく知らなかった。 ミールの「校長先生」にあたる人をビルの管理人さんと間違えるとは、わたしもおバカである。と同時に、男性タレントを多数輩出している有名な芸能事務所の社長が地味な男性で、オーディションを受けに来た少年たちが気づかないというエピソードも思い出した。 ただし一夫先生は決して地味ではない。背が高くて威厳があった。ソビエト製の男性化粧品、おそらく「赤いモスクワ」をつけていらして、一夫先生が現れると廊下にその香りが漂う。歩くときは背筋がすっと伸びていた。 あとで知ったのだが、一夫先生はスケートが得意で、授業の前にスケートリンクへ行ってきた話をしてくださったこともある。スポーツマンなのだ。 一夫先生については、上級生からいろんなウワサを聞かされていた。 一つはすごく厳しくて怖い先生であること。確かにあの威厳は、怖さに繋がるかもしれない。生徒の中には、相当恐れていた者もいたようだった。 その一方で、親しみがあって楽しいという意見もあった。いっしょに通訳の仕事をした上級生たちは、一夫先生とは長年の付き合いだから、もう友だちみたいなものよと笑っている。いったいどちらが本当なのか、当時のわたしにはさっぱり分からない。
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